絶望と絶望の間 その2

 気がつくと、街の噴水の縁に寝かされていた。横に座っているのは魔王。傍らには濡らされた布がある。どうやら、彼女が看病してくれたらしい。


「気がついたかの……」


「……うん」


「竜の吐息ブレスのように盛大にぶちまけよって……どんだけ飲んだんじゃ?」


「ご、ごめん。しょうじき、よく覚えていない」


「こっちは、酒場の人間に知り合い扱いされて、えらい迷惑じゃ……。たしかに知り合いといえば、知り合いなのじゃが……」


 ため息をつきながら、口をとがらせる魔王。迷惑だと口にしながらも、その様子は嫌そうなものではなくて親しみがこもったものだ。


「まぁよい。なにがあったのかは知らぬが、お主には恩があるからのう……感謝しているのだ」


「感謝。何の?」


 オレは勇者として魔王である彼女を倒した。そんな彼女から感謝されるようなことなんて、なにもしていないと思うけど。


「余を呪縛から解き放ってくれた」


「呪縛?」


を倒してくれた」


 どういういみなのだろう。オレは答えを待つが、言葉のつづきはない。


 噴水の揺らぐ鏡面が月明かりを返している。それをうけて輝く魔王の

 紅い眼がうつくしいなと思った。流れる水音がここちよく耳に届く。



 ☆



「そのさ、世界征服とか企てていないのか?」


 オレは気になっていることを聞いた。いままでの流れからすると当然企てていておかしくはない。そもそも彼女は魔王なのだ。むしろ、そうあって然るべき存在だ。あるいみで世界征服の本家本元だ。確かめずにはいられない。


それ世界征服は、もう企てた」


「確かに」


「じゃから、もう……いいかな」


 もう過去の話だといわんばかりに足下に言葉をすてた。いがいにも世界征服というものは彼女のなかで価値のあるものではないという印象をうける。


「魔王なのに、そんなにあっさりと? そういうものなのか? それとも改心したとか?」


「うん、改心? いや、そうではない。余は生まれたときからそのような運命だった。改心というよりも、魔王の家に生まれたものとしての立場があったのだ。心ならずとも……な。いまだから、相手がお主だから言うが――」


「聞くよ。つづけて」すこし言いにくそうにしている魔王をオレは促す。


「そもそも余は、世界征服などしたくはなかった」


「!? えっ……?」


「人間と小競り合い程度で済むのならそれでよかった。世界は広いのだから共存すればいい。しかし、人間勢力の急速な拡大は目に余るものがあった。同胞を殺し、その住む地を奪った。人間は魔物を素材として様々な道具をつくるじゃろう?」


「……それが、なにか?」


「殺された己の父や母。子が目の前に現れる。人間の持つ盾となり鎧となって。それを目にした者の気持ちを、かんがえたことはあるか?」


「…………」


 オレは言葉をうしなった。そんなことを考えたこともなかった。骨を削り出した鎧。鱗を貼り合わせた盾。かんたんに思いつくだけでも、魔物を素材とした、そのような武具はたくさんあった。


「まぁ、それはお互いさまじゃがの……。なににせよ、そうやって家族を殺された同胞の想いを汲むと、余は魔王として動かざるを得なかった。それでも大きな戦にならぬようにと、人間の国とは何度も何度も会談を持ったのだ。たいていは誠意無く、のらりくらりと時間を稼がれる。やっと合意を得ても約束は反故にされる。そうして力を蓄えると容赦なく攻めてきた」


「そ、そうなのか……。そうだろうな」すぐに、冒険中に出会った下卑た笑みをうかべる王や貴族達の顔がうかんだ。勇者の力を欲してはいるが内心で見下しているのが透けている嫌な連中。どこの国でも権力者というのは決まって嫌な連中だった。


「余はバラバラだった魔物や種族を統べて、魔王軍として組織的に人間に抵抗することにした。人間の国は利害欲得で足並みを揃えることがなかったから、そこを突いて各個撃破した。そうして、自業自得で負けが込むと人間達は神頼みをした」


「神頼み……。女神フロランだな」 


「そうだ。そして女神の奇跡を身体に宿した其方が現れた」


異世界勇者オレか……」


「その後は其方も知っておるじゃろう。余は全力を尽くした。だが敗れ去った。多くの人間を殺し同胞や配下を失ってな……。殺されても文句は言えぬ立場だが、何故かこうして生きておる。だがな、すこし悔しくはあるが、再び世界征服を目指そうという気は起きぬのじゃ。もともと気が進まぬことであった故な」


「……そうなんだ。それをきいてすこし安心したよ」彼女の様子から、その言葉に嘘はないと判断できた「それで、魔王はいまは何をしてるの?」


「何もしとらん。こうして身を隠して生きておるだけじゃ。この人間の街には誰でも利用できる大きな図書館があっての。読み切れぬほどの書物がたくさんあるのだ。昼間は図書館で本を読み、帰りに酒場で一杯飲むのが余のたのしみなのじゃ。その日よんだ書物の内容をおもいおこして、明日読む内容を想像する」


「……それ、たのしいのか?」


 オレはおもわず聞いてしまっていた。そんな惨めなことがあるのだろうか? 世界を征するほどの権勢を誇った魔王である彼女が、そんな地味でささやかな日常で満足なんかできるのか?


「愉しい」


 そういって夜空を見上げた彼女からは迷いが感じられなかった。清らかな横顔をみていると、くだらないことを聞いてしまったという後悔の念がおきた。


「このような生活を手に入れることができて、余はしあわせじゃ。いまは……、魔王という呪縛から逃れることができて。心底ホッとしているのだ」


 弱々しい笑顔を向けてくる魔王。


「魔王……」


 しあわせだという言葉には偽りはないのだろう。だけど、みじかい言葉のなかには図らずも多大な犠牲を招き、その犠牲の上に成り立ってしまっているという重い過去がまざりこんでいる『なぜ? じぶんだけはこうして生きているんだ』というような、自分自身を刺すような過去が……。あ……、そうか。そういうことか。目の前の彼女はオレなんだ。オレもおんなじだ。仲間を失ってしまった今のオレには、彼女の気持ちが理解できる。いっしょなんだ。


「余は……弱い」


「弱くなんかない! 弱いなんて、ことはないよ!!」


 おもわずオレは、かっての敵だった少女をつよく抱きしめた。

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