第30話 もう一人の羅刹鬼(4)

 当初の予定では、そろそろ崖の上に追い詰められる時刻なんだけどなあ。


 真犯人である俺は崖に未練を抱きつつも、これからミステリの定番である「ラストは関係者全員を集めて推理を披露」が始まることにわくわくもしていた。

 仕方がない。崖で終われないのは残念だけど、ここは名探偵に花を持たせよう。

 綺晶がここで見事に真犯人(俺)を言い当てた暁には、潔く逮捕されてやろうじゃないか。

 いよいよドラマもクライマックス。果たして綺晶はどこまで真相に迫れるのか。

 名探偵「希望ヶ丘綺晶」のお手並み拝見だ!



※ ※ ※



 探偵の指示で音楽室に集まった面々――双子の姉妹・愛子と蔵子、女装男子・金魚、メイドのおタケさん、美少女名探偵・綺晶の顔を順に眺め、俺はこれからの展開に心をときめかせる。

 無事にスランプから立ち直った綺晶は、ホームズのコスプレにちゃっかり着替えていた。

 見るからに気合い十分、謎解きをする気まんまんだ。


「みんなに集まってもらったのは他でもないわ」


 音楽室にあるグランドピアノの前に立った綺晶が、集まった俺たちを睥睨する。


「これから、事件の謎解きを始めます」


 堂々と謎解きを宣言する名探偵・綺晶。

 だが、このとき俺は、綺晶の声が微かに震えていることに気づいていた。

 声だけじゃない。インパネスコートの下から覗き見える彼女の足も小刻みに震えていた。

 綺晶が推理を間違えて俺に土下座したのは、ついさっきのことだ。

 ただでさえ緊張する場面で、「二度と失敗はできない」という重圧が綺晶の肩に重くのしかかっていた。

 推理が外れることを何よりも怖がっている綺晶へ、俺は目で訴える。


 ――大丈夫。綺晶ならできる。お前は名探偵だ。


 果たして俺の心の声が届いたのか。

 目が合った綺晶は小さくうなずき、大きく息を吸い込んで口を開いた。

 綺晶の声は、もう震えていなかった。


「まず私は、犯人を特定するためにアリバイからの考察を試みたわ。つまり、『百目鬼のおばさんが殺された時刻』『怪人が女風呂を覗いていた時刻』『百目鬼のおじさんが殺された時刻』『音楽室で愛子が怪人に襲われた時刻』、この四つの時刻にアリバイのない人物が犯人だと考えたのよ」

「けど、該当する人物はいなかったんだろ?」


 愛子の言葉に、綺晶はうなずく。


「そこで私は考え方を変えることにした。犯人は複数だと仮定してみたのよ。同じ仮面とマントをつけていれば、中の人が違っていても見分けはつかない。つまり、昨夜現れた怪人と今朝現れた怪人は別人だったのよ!」


 正解だ。

 綺晶の推理に、俺は大きくうなずいた。

 だが問題はここからだ。


「慎重にことを進めていた犯人が、今朝の襲撃だけは稚拙で目立つやり方をしているわ。つまり、今朝の怪人は今までと別人である可能性が高い」

「犯人には共犯者がいるということですか?」

「いいえ。おそらく真犯人にとっても今朝の騒ぎは想定外だったはずよ」


 質問してきたおタケさんの目を、綺晶はまっすぐに見返す。


「これは私の想像だけれど、今朝現れた怪人は真犯人をかばっているのではないかしら。真犯人から疑いの目を逸らすために、第三者が怪人に扮して騒ぎを起こしたのよ」


 なるほど、一理ある。

 あのとき俺は、綺晶から犯人ではないかと追及されていた。

 それを知った誰かが、俺を助けるためにあんな騒ぎを起こしたのだと考えれば動機にも説明がつく。


「朝食の席で私はヤスが犯人ではないかと主張した。それを聞いて『ヤスを助けなければ』と思った人物が、今回の騒ぎを起こしたのよ」

「その口ぶりだと犯人の目星がついているみたいだな」


 俺の問いかけに綺晶はうなずき、ゆっくりと右手を挙げた。


「今朝の事件の犯人は……あなたよ。愛子」


 綺晶が愛子を指差して、俺は思わず息を呑む。

 ――違う。愛子は犯人じゃない!

 名探偵の間違いに気づいた俺は、しかし、ついさっき見たばかりの綺晶の泣き顔を思い出してなにも言えなくなった。

 みんなの前で俺が間違いを指摘したら、屈辱と羞恥で綺晶は今度こそ立ち直れなくなるかもしれない。

 でも、だからといってこのまま愛子をえん罪にするわけにもいかない。

 どうすればいいんだ。綺晶のミスに気づいていながら、俺はなにもできないのか。


「愛子はヤスの嫌疑を晴らすために、怪人に変装して騒ぎを起こしたのよ。おそらく、愛子は偶然、屋敷内に隠してあった怪人の衣装を発見して――」

「待てよ。私は犯人じゃない。いい加減なことを言うな」


 犯人扱いされた愛子が怒りを露わにする。

 友人である愛子から怒りを向けられた綺晶は一瞬ひるみ、覚悟を決めた目でにらみ返した。

 いったん推理を始めたら、相手が親友だろうと家族だろうと断罪せずにはいられない。

 それが名探偵という生き物だ。


「いいえ、犯人は愛子よ。今朝の怪人はぬかるみの中を走って追っ手を振り切ったわ。つまり、犯人は足が速く、泥で足が汚れている人物。あのとき外に出ていたのは、私、ヤス、愛子、金魚の四人だけ。私は犯人ではない。犯人はヤスをかばっているので、ヤスでもない。金魚は病弱だから走って追っ手を振り切るのは無理。そうなると残るのは愛子だけよ」

「ふざけんな! 私は犯人に襲われたんだぞ。それは綺晶だって見ていたはずだ!」


 愛子の言う通りだ。

 あのとき怪人は、音楽室でピアノを弾いている愛子に襲いかかった。

 襲った犯人と襲われた愛子、両者が同一人物であるはずがない。


「いいえ、あのとき音楽室に現れた仮面の怪人は、愛子よ」

「だから、あのとき私はピアノを弾いていて……」

「いいえ。あのときピアノを弾いていたのは――蔵子よ。愛子と蔵子は入れ替わっていたのよ」

「ちょっと待て、それはいくらなんでもおかしいだろ」


 さすがに黙っていられなくなった俺が会話に割って入る。


「愛子と蔵子が入れ替わっていたなんてありえない。この家でピアノを弾けるのは、ピアニスト志望の愛子と、音大卒のおタケさんだけだ。それに、」


 俺はちらりと愛子の胸を見る。


「音楽室で襲われたとき、愛子の胸は真っ平らだった。あの絶壁は絶対に愛子だ」

「いちいち人の胸を見て言うな!」


 愛子が恨みがましい目で俺をにらむが、そんなことを気にしている場合じゃない。


「それに、綺晶は音楽室へ行く直前の愛子と会話をしたじゃないか。あのときの愛子が、愛子のふりをした蔵子だって言うのか?」

「双子の愛子と蔵子はよく入れ替わってみんなを騙していたそうね。それが本当なら、蔵子に愛子の真似ができたとしても不思議ではないわ。そういう意味では、今朝の怪人は愛子と蔵子の共同作業による産物とも言えるわね」


 綺晶が緊張の面持ちで蔵子に近づく。

 先ほどからずっと黙っている蔵子は、笑っているような困っているような微妙な表情をしていた。


「蔵子の趣味はコスプレだったわね。コスプレでは男装するために『胸を潰して平らにする補正下着』があると聞いたことがあるのだけれど。それを使えば蔵子でも平らな胸になれるのではないかしら」

「……そうだね~。その補正下着なら私も持ってるよ~」


 コスプレ趣味の蔵子が、豊かな胸を平らにする方法があると素直に認める。


「でも、コスプレしてもピアノを弾けるようにはならないよ~?」

「蔵子がピアノを弾く必要はないわ。あのとき音楽室で襲われた愛子は、最初からピアノなんて弾いていなかったのだから」


 綺晶は俺たちに背を向けると、壁に向かって歩き始めた。


「あらかじめ録音しておいた曲を再生することで、ピアノを弾いているように見せかけていただけなのよ」

「曲を再生? このピアノに自動演奏機能はついてないぞ」

「そんなものを使わなくても、音楽を再生する機械ならここにあるわ」


 綺晶は立ち止まると、音楽室の壁際にあるオーディオセット……CDプレーヤーに手を乗せた。


「このオーディオセットを使って、蔵子はピアノの曲を流していたのよ。それであたかも自分がピアノを弾いているように見せかけ――」

「それ壊れてるよ」


 堂々と謎解きをしていた綺晶の口が、愛子の一言でぴたりと止まった。

 三秒ほど硬直した後、綺晶はCDプレーヤーの電源ボタンを押して、押して、押しまくって、電源が入らないことを思い知る。


「…………壊れているわね」

「だからそう言ってるだろ」


 だが、ここまで自信満々で謎解きをしておいて簡単に引き下がれるわけがない。

 往生際の悪い綺晶は「そんなはずは」と独り言をつぶやき、電源コードを辿ったり配線を検めたりしてオーディオセットを調べまくった。

 ……そうして綺晶は、「ああ……」と吐息を漏らしてがっくりを膝をついた。

 床に膝をついた綺晶が、ゆっくりとこちらを振り返る。


「……愛子、蔵子」


 友人二人の名を呼ぶと、綺晶は思い切りよく額を床にこすりつけた。


「私の推理が間違っていたわ。疑ってごめんなさい!」


 潔い土下座っぷりに、愛子と蔵子は怒る気にもなれないようだ。


 ――こうして、関係者を集めての解決編は、名探偵の推理失敗により幕を閉じた。

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