第29話 もう一人の羅刹鬼(3)
○ここまでのあらすじ
音楽室で双子の姉・愛子を襲撃したのは、白い仮面の殺人鬼「黄泉の羅刹鬼(偽物)」だった。
本物の「羅刹鬼」であるヤスは、突如現れた偽物の正体を推理する。
一方、ヤスが羅刹鬼だと確信していた美少女名探偵・綺晶は、ヤスと羅刹鬼が対峙する現場を目撃して動揺してしまい……。
※ ※ ※
リビングで俺、蔵子、おタケさんが謎の怪人の正体について話し合っていると、風呂上がりの愛子と綺晶が戻って来た。
愛子から借りたえんじ色のジャージ上下というラフな恰好の綺晶は、濡れた髪にバスタオルをかけて顔を隠している。
綺晶の手を引いて歩く愛子が、ソファに座る俺を見つけて声をかけてきた。
「綺晶からヤスに話があるってさ」
「俺に?」
綺晶はついさっきまで「犯人はヤス」と大見得を切っていたからな。
怪人が登場したことで俺が犯人ではないとわかり(本当は犯人だけど)、謝罪する気になったのだろう。
綺晶のことだから素直に謝るとは思えないけど、とりあえず話ぐらいは聞いてやるか。
「俺に言いたいことがあるのか?」
意地悪な口調で尋ねると、綺晶のか細い肩がびくんと震えた。
綺晶らしくない反応だと思っていると……。
「ごめんなさい。許してください」
綺晶は床にひざまずき、両手をついて額を地面にこすりつけた。
「お、おい、なにやってるんだ」
いきなりの土下座に俺は驚き、その場にいた愛子、蔵子、おタケさんも突然のことに目を丸くする。
「ヤスを犯人だと決めつけた私は愚かで浅はかでした。どうか許してください」
「ちょちょちょちょっと待て」
狼狽する俺が辺りを見回すと、愛子たちが「どういうこと?」とでも言いたげに俺をにらみつけていた。
そんなのこっちが聞きたいよ!
人前で土下座される居心地の悪さに腰が引けていると、綺晶は額を地面にこすりつけながら言葉を続けた。
「推理を外したみじめな私を見て、いい気味だと思っているのでしょう。当たり前よね。散々偉そうなことを言ってあなたを見下していた私を、嫌いになるのは当然だわ」
「なんの話だよ。俺は嫌いになんて……」
「心の中で無様な私を笑っているのでしょう。いいのよ、笑ってくれて構わないわ。ヤスの気が済むのなら、私は土下座でもなんでもするわ」
「どうしたんだよ。なんでいきなりやけくそになってるんだ?」
「……」
俺の言葉に、綺晶は顔を伏せたまま黙り込む。
――なにか、人前では言いづらい事情でもあるのか?
「みんなごめん。少しの間、綺晶と二人きりにしてくれないか」
俺は見守っていた愛子たちに人払いを要求する。
俺の意向を汲んだおタケさんが「食堂で温かいお茶でも飲みましょう」と提案して、愛子と蔵子の背中を押す。
愛子は最後まで後ろ髪引かれるような顔をしていたが、それでも文句一つ言わずに立ち去ってくれた。
リビングで二人きりになって、それでも土下座を止めようとしない綺晶の前で俺は片膝をつく。
「事情を話してくれないか? どうして綺晶が這いつくばって謝らなきゃいけないんだ?」
「……ヤスに許してもらうには、こうするしかないからよ」
どうやら綺晶は、俺が怒っていると思い込んでいるようだ。
助手であり友人である俺を犯人呼ばわりしたのだから、俺に嫌われて罵られても仕方がないと思っているのか?
「許すもなにも、俺は怒ってないから」
「嘘よ。怒っていないはずがないわ。私のことが嫌いになったのでしょう。私なんて探偵失格だと思っているのでしょう。そうでなければ、こんな……」
「探偵失格なんて大げさだな。ちょっと推理を間違えただけじゃないか」
俺が優しく諭すと、綺晶はようやく頭を上げてくれた。
俺を見上げる綺晶の目は、涙で潤んでいた。
「……本当に、ヤスは怒っていないの?」
「怒ってないよ」
「私のこと、嫌いになったんじゃないの?」
「嫌いになってないよ」
「そう……なの? 私、てっきり……」
安心して気が緩んだのだろう。綺晶の目から、はらはらと涙がこぼれ落ちる。
ちょ、ちょっと待て。
女の子の涙に免疫のない俺は、どう反応すればいいかわからず慌てふためいた。
「ごめんなさい……。私、こんなだから……すぐに、人の神経を逆なでして……そのせいで、いつも嫌われていたから……」
「嫌われていた? 綺晶が?」
「ええ、そうよ……。私、前の学校では、嫌われ者で……みんなから無視されて……いつも、ひとりぼっちだったの……」
島に来る前の綺晶がどこでなにをしていたのか、俺は何も知らない。
なんとなく「昔から名推理でみんなを驚かせていたんだろうな」と、漠然とそう思っていたぐらいだ。
だから、初めて聞く綺晶の昔話に俺は衝撃を受けてしまった。
「私は昔から、名探偵に憧れていて……名探偵になりたくて……。でも、私の学校では連続殺人も密室トリックも起きなくて……」
「そりゃ普通の学校では起きないだろうな」
「事件が起こらなかったらから、私は……些細な出来事にも首を突っ込んで、騒ぎ立てて……ばらされたくない他人の秘密を、これ見よがしに暴き立てて、探偵気分を楽しんでいたの……」
綺晶は幼い頃から推理オタクだった。
秘密があれば解き明かさずにはいられない性格だった。
人に知られたくない秘密を暴いて楽しむような子供だったから、誰もが彼女を避けていた。
「それでも、友達はいたのよ……。推理バカの私を『面白い』って、笑って仲良くしてくれる子もいたの……。だけど……」
ある日、学校で窃盗事件が起こった。
美少女名探偵・綺晶はここぞとばかりにしゃしゃり出て、勝手に捜査をして証拠を集めて推理をして、犯人を名指しで指摘した。
綺晶が得意満面で名指しした犯人は……彼女の数少ない友達だった。
「私は調子に乗って、その子が隠していた秘密を暴いて、大勢の前でその子を犯人呼ばわりしたわ。……でも、あろうことか、私の推理は間違っていたの。その子は犯人じゃなかったのよ」
友達を辱めて傷つけた綺晶は、嫌われて、罵倒されて……絶交された。
いくら謝っても綺晶は許してもらえなかった。
そうして綺晶はひとりぼっちになった。
「私は後悔したわ……。だけど、それは『友達を告発したこと』を後悔したわけじゃない。私は『犯人を間違えたこと』が悔しかったのよ。私が間違えさえしなければ、友達が傷つくことはなかったから」
名探偵は推理することをやめられない生き物だ。
たとえ相手が親友や家族でも、名探偵は犯人だと確信したら秘密を暴いて糾弾せずにはいられない。
名探偵はそういうふうに出来ていた。
「だから私は、絶対に推理を間違えちゃいけないのよ……」
推理バカの綺晶は、推理をせずにはいられない。
探偵なんてろくなもんじゃないとわかっていても、探偵役をやらずにはいられない。
だけど他人の秘密を暴き立てても、みんなから嫌われるだけ。蔑まれて、罵倒されて、孤立してひとりぼっちになるだけ。
だから綺晶の母親は、この島で「誰も傷つかない殺人事件」を起こしてほしいと依頼した。
綺晶が誰にも嫌われることなく、綺晶らしく生きられるように。
「……私は、この島が好き」
綺晶はバスタオルを手に取り、涙を拭いて顔を隠す。
「この島に来て、ヤスやみんなと知り合えて、とても楽しかった。私の推理を喜んでくれて、すごいって褒めてくれて……。そんな風に言ってくれる人なんて、今までいなかったから」
夜神島に来てから、生き生きと推理をしていた綺晶。
俺たちはそんな彼女を見るのが楽しくて、綺晶はそんな俺たちと仲良くなるのが楽しかった。
「だから、推理が外れたとわかったとき、私は目の前が真っ暗になったわ。私はまた調子に乗りすぎたのかと……また、友達に嫌われたのかと……」
声を震わせる綺晶から、いつもの不遜な態度は微塵も感じられない。
推理を間違えた=友達に嫌われたと思い込んだ少女探偵は、大きなショックを受けて、これ以上ないほどに落ち込んでいた。
それはもう、思わず土下座して泣いて許しを請うほどに。
「ごめんなさい、ヤス……。許してください……。私はあなたに、嫌われたくないの……」
……まったく。
頭が良くて人の心理も読めるのに、うちの名探偵はどうしてこんなに人付き合いが下手なんだ?
でも、仕方ないか。
古くはホームズの時代から、名探偵はなにかしら欠陥を抱えているものだと相場が決がっている。
そして欠陥だらけの名探偵を支えるのは、助手の役目だ。
「馬鹿だな。推理を間違えたくらいで、俺は綺晶を嫌いになったりしないよ」
タオルで顔を隠す綺晶に、俺は優しく語りかける。
「間違えてもいいんだよ。失敗したら、やり直せばいいんだ」
推理をすることは、綺晶にとって唯一の自己表現。
だからこそ推理で間違うことを綺晶はなによりも恐れている。
名探偵を夢見る彼女は、失敗したら何もかも失うと思っている。
だけど、それは違う。
今の彼女に必要なのは、失敗を怖れない勇気だ。
失敗を乗り越えて前に進んだとき――綺晶は真の名探偵になれる。
そう思うから、俺は、
「なにがあっても俺は綺晶の味方だ。だから自信を持って推理しろ。俺を信じて、探偵と助手の名コンビで謎を解き明かそうぜ」
俺の呼びかけを受け、綺晶は驚いたように目を見開く。
手を差し出すと、綺晶は戸惑いながらもおずおずと俺の手を握った。
俺が綺晶の体を引っ張り上げ、ようやく長かった土下座が終わる。
「……ヤスは、私の味方?」
「もちろん」
「私は推理を続けてもいいの? 探偵を続けてもいいの?」
「もちろん」
俺たちは、手を取り合ったまま見つめ合う。
「……私は、この事件の犯人を捕まえたい。手伝ってくれるかしら、ワトソン君」
「いいとも、ホームズ」
勇気を出して推理をしよう。
謎を解いて真犯人を見つけよう。
それが、名探偵・希望ヶ丘綺晶のあるべき姿だ。
※ ※ ※
うーん。
綺晶の涙に同情して思わずあんなことを言っちゃったけど、よく考えたら真犯人は俺なんだよね。
まあ、「もっとも信頼していた人間が真犯人だった」という展開は、ミステリのお約束ではあるけどさ……。
俺が真犯人だと知ったら、綺晶はどんな顔をするだろう。
信頼していた人に裏切られてショックを受けるだろうか。
友達を信じたくて、告発するのをためらったりするだろうか。
……ま、いいや。そのことは後で考えよう。
今は愛子を襲った怪人の正体を突き止めるのが先決だ。
「犯人を推理するために、これまでに得た情報をおさらいしてみるわ」
立ち直った綺晶が、偉そうに腰に手を当てながらリビングを歩き回っている。
リビングにいるのは、まだ少し目の赤い綺晶。温かいココアをすする愛子・蔵子姉妹。そしてメモ帳にペンを走らせる俺の四人だけだ。
気合いを入れて推理をする名探偵と、そのサポートをする助手。それを好奇の目で見守るギャラリーといった構図だ。
「綺晶ちゃんがどんな推理をするのか、楽しみだね~」
わくわくという擬音が見えそうなほど表情を輝かせた蔵子が、綺晶の名推理に注目する。
「二度と間違えるわけにはいかない」というプレッシャーを背負いながら、綺晶は胸を張って語り出した。
「黄泉の羅刹鬼は二度、私たちの前に姿を現わしているわ。一度目は女風呂を覗いたとき。二度目はピアノを弾く愛子を襲撃したとき」
綺晶の言葉をメモしながら俺はうなずく。
「論理的に考えてみましょう。まず一度目に目撃されたとき、風呂を覗かれた愛子と蔵子、それに怪人と格闘した私の三人には確実なアリバイがある」
「そのときに、綺晶ちゃんは怪人の胸がぺったんこだと気づいたんだよね~」
「ええ。だから、おタケさんも犯人ではない」
愛子、蔵子、綺晶、おタケさんは犯人ではない……と俺はメモ帳に記入する。
「次に二度目の襲撃のとき、怪人に襲撃された愛子、それを目撃した私とヤスには確実なアリバイがある」
「襲われた後、私と金魚は逃げる犯人を追いかけて林に入ったぞ」
「つまり、金魚も逃げた犯人ではないということね」
愛子、綺晶、俺、金魚は犯人ではない……と俺はメモ帳に記入する。
綺晶は俺の手からメモ帳をひったると、記述された情報をまとめた。
「消去法で考えてみましょう。一度目と二度目の両方ともアリバイのない人物が、犯行可能な人間――すなわち犯人よ」
綺晶はメモ帳にある名前を読み上げる。
愛子、蔵子、綺晶、おタケさん、俺、金魚……。
「……全員にアリバイがある……」
ずーん、と壁に手をついて落ち込む綺晶。
名探偵は早くも行き詰まった。
名探偵にもスランプってあるんだな。
キレのある推理はなりを潜め、目をグルグル渦巻きにして頭を抱える綺晶に、俺はどう接するべきか困ってしまった。
これが二時間サスペンスドラマなら、「探偵はささいなヒントから真相に気づく」となる展開なんだけど……。
「そういえば~」
温かいココアを飲んでほくほく顔の蔵子が、間延びした声で語り出した。
「子供の頃は、愛子ちゃんと私でよく入れ替わって遊んでたよね~」
「な、なによいきなり」
話題の変化について行けず戸惑う愛子。
だが、俺には蔵子の意図がなんとなくわかった。
「そうそう。俺も二人にはよく騙されたよ。同じ服を着たら見分けがつかないくらい、小さい頃の愛子と蔵子はうり二つだったからな」
そう言うと、俺はちらりと二人の胸を見比べた。
ぼいん。
ぺたん。
「……今は一目で見分けがつくけど」
「うるさい!」
愛子が座ったまま、俺のすねを蹴る。
弁慶の泣き所を蹴られて俺は「おおお」とうめき声を上げてうずくまった。
そんな微笑ましい醜態を眺めていた綺晶が、はっとして顔を上げる。
「同じ服を着ていたら見分けがつかない……。そうか、私はとんでもない思い違いをしていたわ」
綺晶は俺に背を向けると、くるりと振り返って俺を指差した。
「私はとんでもない思い違いをしていたわ!」
「いちいち指を差すな」
決め台詞でポーズを取らずにはいられない綺晶を、俺は笑ってたしなめる。
俺に指を叩き落とされた綺晶は、満足顔で胸を張った。
「ヤス。全員を音楽室に集めてくれるかしら」
「全員を一カ所に集めるって、まさか……」
ミステリっぽい展開に俺は目を見開き、名探偵が自信たっぷりの笑みを浮かべる。
「待たせたわね。ここからは、謎解きの時間よ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます