第26話 臨機応変な殺人(3)
――第二の殺人事件発生。
そして、美少女名探偵・綺晶による現場検証が始まった。
「犯人は窓から部屋に侵入した後、おじさんともみ合いになったようだな」
割れたガラス窓と散らかった室内を見回して、探偵助手である俺はそう推論を述べる。
「さっき俺たちが聞いたガラスの割れる音は、犯人が窓を割って侵入した音で間違いなさそうだ」
「そうね」
俺と二人きりで現場検証している名探偵・綺晶がそっけなく答える。
……なぜだろう。綺晶にいつもの覇気がない。
なにか気が重くなるようなことでもあったのか?
「……」
珍しく口数の少ない綺晶が、無言で室内を見回す。
ベッドには包丁が突き立てられている。
毛足の長い絨毯の上にはブランデーのボトルや、自由の女神像といった雑貨、本や書類などの紙束が散乱している。
部屋にはテレビがない代わりに大きな本棚が二つあり、ハードカバーから文庫まで多種多様な本がずらりと並んでいた。おじさんは読書家だったようだ。
デスクの上には仕事の資料らしき紙と、ノートパソコンにプリンタ。
ベッド脇のテーブルにはスマホと充電器が置かれている。
部屋の入り口は1つしかなく、扉はチェーンで施錠されていた。
扉の正面の壁には割れた窓ガラスがあり、俺たちが窓から部屋に入ったとき窓の鍵はかかっていなかった。
「犯人は外から窓ガラスを割って、窓の鍵を開けて侵入した……」
綺晶はつぶやくと、窓ガラスを調べ始めた。
今回のトリックは事前に予定していなかった即興のものだ。
当然練習もシミュレーションもしておらず、この状況から探偵がどんな推理を展開するか予想がつかない。
俺は内心でハラハラしつつ綺晶の動向を見守り……すぐに彼女が窓ガラスから目を離したのを受けて、ホッと安堵の息を吐いた。
「犯人の足跡が残っているわね」
窓の外を見て綺晶がぽつりとつぶやく。
綺晶の言葉通り、地面は昨夜の雨でぬかるみになっており、窓の外には犯人のものとおぼしき足跡がしっかりと残っていた。
当初の計画では足跡は豪雨で流されて消える予定だったが、昨夜は予定外の事態が続いたためそれができなかった。
――足跡が消せないのなら逆にそれを利用しよう。
そう考えた俺は、あえて昨夜侵入した犯人の足跡を残すことにしたのだ。
この状況なら、綺晶は「たったいま犯人がおじさんを抱えて窓から逃げた」と考えるだろう。よもや足跡が昨夜のうちにつけられたものとは思うまい。
と、そこで俺は、窓から身を乗り出した綺晶が二階を見上げていることに気づいてギョッとする。
まずい。綺晶の気を逸らさなければ。
「あー、この状況から判断すると、犯人はおタケさんの可能性が高いな」
「え?」
「だってそうだろ? 犯人が部屋に侵入したとき――つまり窓ガラスの割れる音が聞こえたとき、綺晶、愛子、蔵子はリビングにいて、俺と金魚は二階にいた。犯行が可能なのは一人で台所にいたおタケさんだけだ」
「おじさんの部屋を襲撃できたのは、アリバイのないおタケさんだけだと言いたいのね」
綺晶が真剣な顔で考え込む。
やはり様子がおかしい。
いつもは余裕綽々で推理する綺晶が、今回はやけに悩んでいるように感じられる。
「どうしたんだ? 体調でも悪いのか?」
「え? どうして?」
「さっきから様子が変だからさ。いつもはもっと鋭いと言うか、すごくやる気がみなぎっている感じがするのに、今はやけに元気がないから」
精力的な姿ばかり見ているから忘れがちだが、綺晶はこう見えても余命半年の病人だ。急に体調を崩したとしてもなんら不思議はない。
だが、そんな俺の心配をよそに、綺晶は堂々と胸を張った。
「心配はいらないわ。ちょっと寝起きで頭が回らなかっただけよ。そんなことよりも、ヤスの推理は間違っているわ!」
「俺の推理が間違ってるだって? その根拠は?」
ようやく調子の出てきた綺晶へ、俺は無能な助手役らしくムキになって反発する。
挑発された綺晶は、荒らされた室内に視線を戻した。
「私たちはガラスの割れる音を聞いてすぐに現場に駆けつけたわ。もしも部屋が散らかるほどの取っ組み合いが行われていたら、私たちが気づいたはずよ」
「つまり、どういうことだ?」
「犯人は偽装工作のために、事前に部屋を散らかしておいたのよ。つまり、窓ガラスが割れるよりずっと前に犯人はここに侵入して、おじさんを殺害して部屋を散らかし……」
「でも窓ガラスの割れる音を聞いただろ? あれは犯人が窓を割って侵入した音じゃないのか?」
「おそらく犯人は遠隔操作で窓ガラスを割ったのよ。窓ガラスを割って侵入したように見せかけることで、自身のアリバイを偽装した……。これは犯人のアリバイ偽装トリックだわ」
綺晶の推理を聞いて俺の背筋がぞくぞくと震える。
名探偵の推理に追い詰められる緊張感。これこそ殺人鬼の醍醐味だ!
だが、このまま引き下がっては真犯人の名が廃る。
俺は無能な助手を装い、名探偵の推理に異を唱えた。
「でも、それは全部状況証拠だろ? 離れた場所にいた犯人がどうやって窓ガラスを割ったんだ? その方法は?」
「そこが問題よ」
眉間に皺を寄せて考え込む綺晶。
ここからは名探偵と殺人鬼の知恵比べだ。
※ ※ ※
――1時間後。
散らかった部屋で壁掛け時計を眺めながら、俺は「百目鬼のおじさんは今ごろ何をしているのかな?」などと考えていた。
俺に殺害されたおじさんは、「死体となって犯人に運び出された」という設定で、屋敷の離れにある防災用の地下シェルターに身を隠していた。
シェルター内は電気も通っていて、食料や水の備蓄もたんまりとある。
俺に殺害されたおじさんは、事件が解決するまでこのシェルターに隠れることになっていた。
おじさんがシェルターでのんびりしている姿を想像しつつ、俺は室内に視線を戻す。
部屋の片隅ではホームズ綺晶が「うーんうーん」と頭を抱えていた。
いつもなら快刀乱麻のごとき切れ味で華麗に謎を解き明かす綺晶が、今回はやけに苦戦している。
やはり本調子ではないのか、綺晶は事件に集中できていないようだ。
「朝食の支度ができましたが、どうされますか?」
部屋の入り口に現れたメイドのおタケさんが俺たちに声をかける。
そういえば今朝はまだなにも食べていなかったな。
ここは捜査を一時中断して朝食を……。
「後で食べるわ」
綺晶が即答した瞬間、探偵助手である俺も朝食抜きが決定した。
うう、食べられないと思うと余計に腹が減ってきた。
いつものようにさっさと謎を解いてくれたら気兼ねなく食事ができるのに。
どうして今回に限って時間がかかってるんだ?
「なあ、まだ謎は解けないのか?」
「もう少しで解けるから、大人しく待っていなさい」
ホームズの扮装をした綺晶がいらだたしげに答える。
窓に近づいた綺晶は、足元にガラスの破片を見つけて「窓の内側に破片……」とつぶやき、くしゃくしゃと頭を掻いた。
いつになく苦戦しているなぁ。この分では朝食を食べられるのは何時になることやら。
「なあ、いったい何をそんなに悩んでいるんだ?」
空腹に耐えかねた俺が尋ねると、綺晶は悩ましげに唸ってため息を吐いた。
「なぜ犯人は部屋を散らかしたのか考えていたのよ。だってそうでしょう? おじさんを連れ去るだけなら、わざわざ部屋を荒らす必要がないもの」
「なるほど。犯人には部屋を荒らす理由があったってことか……。たとえば、部屋から何かが無くなっていることに気づかれないようにするためとか……」
早く朝食を食べたい俺が、ちょっとわざとらしい感じでヒントを提示する。
「何かがなくなっている……?」
俺のヒントを受けて、綺晶が改めて室内を見渡す。
ベッドに突き立てられた包丁。
床に落ちているブランデーのボトル、自由の女神像、本、書類などの紙束。壁には大きな本棚が二つあり、大小様々なな本が並んでいる。
デスクには仕事の資料、ノートパソコン、プリンタ。テーブルにはスマホ、充電器……。
「何かがなくなっている……この部屋にあるべきものがなくなっている……あるべきもの……ハッ!」
閃いた綺晶が、窓から身を乗り出して軒下の石畳を確認する。
そこに散乱しているガラスの破片をじっと見つめて、
「お手柄よ、ヤス」
自信を取り戻した綺晶が、いったん俺に背を向け、くるっと振り向いて指差した。
「謎はすべて解けたわ!」
「いちいち指を差すな」
決めポーズをする綺晶の手をはたき落とす。
叩かれた手をぶらぶらさせながら、綺晶はなに食わぬ顔で朗々と推理を語り始めた。これでようやく朝食にありつけそうだ。
「私たちは前提を間違えていたのよ。私たちは『犯人がどうやって遠隔操作で窓ガラスを割ったのか』を考えていた。けれど実際はそうじゃなかった。窓ガラスは最初から割られていたのよ!」
「な、なんだってー」
空腹を訴える腹の虫と戦いながら、俺は綺晶の言葉に大げさに驚いてみせる。
「早く謎解きを終えて朝食にしようぜ」と思いながら話を聞いていると、綺晶は無駄に大きな所作でビシッと窓ガラスを指差した。
「おそらく犯人は、昨夜のうちにおじさんを殺害して、そのときに窓ガラスも割っておいたのよ」
「でも、俺たちはガラスが割れる音を聞いたじゃないか。窓ガラスが割られた音じゃないというなら、あの音は何だったんだ?」
俺がわざとらしく質問すると、綺晶は振り向きながらびしっと床を指差した。
「その答えは、最初から目の前にあったのよ!」
「いちいち指を差すな」
文句をつけながら彼女が指差した先を見ると、そこにはブランデーのボトルが転がっていた。
「ブランデーのボトル? これがどうかしたのか?」
「まだわからないのかしら? ブランデーのボトルがあるのに、この部屋にはグラスがない……。それが答えよ!」
やっとその答えに行き着いたか。
俺は内心で拍手をしつつ、無能な助手を装って首をかしげる。
「グラスがないことが答えだって?」
「そうよ。昨夜のおじさんはバスローブ姿で手にブランデーグラスを持っていたわ。そのグラスが部屋のどこにもないのよ」
「言われてみれば確かに……。でもブランデーグラスがないことと、今回の事件に何の関係があるんだ?」
「鈍いわね。犯人は偽装工作をするために、ブランデーグラス――つまり『ガラス製品』を必要としていたのよ。だから犯人はグラスを持ち去り、それが露見しないように部屋をわざと散らかした」
「そうか……俺たちが聞いたガラスの割れる音の正体は……!」
綺晶は不敵に微笑むと、窓から顔を出して斜め上を指差した。
「二階に両開きの窓があるのがわかるでしょう? あそこからグラスを投げ落とせば、下の石畳に当たって粉々に砕けるわ。思えば、窓の外にガラスの破片が落ちていること自体がおかしいのよ。外から侵入するために窓ガラスを割ったのなら、破片は部屋の内側に落ちるはずだもの」
「犯人は偽装工作のために、二階の窓からグラスを投げ落とした。だから、一階にあるおじさんの部屋からガラスの割れる音が聞こえたように感じたのか。だとすると犯人は……。そうか、犯人は金魚だ!」
名探偵にトリックを暴かれることは想定内だ。
だからこそ、俺はトリックが暴かれても他の人間が疑われるように罠を張っていた。
グラスが投げ落とされた二階の窓は、金魚が寝ていた客間の窓だ。
つまり、この犯行はそのとき部屋にいた人物――金魚にしかできないことになる。
これで今度こそ、俺は容疑者から外れる……はずだった。
「いいえ。金魚は犯人ではないわ」
「え、ど、どうして?」
「どうしても何も、金魚はひどい低血圧で、一度寝てしまうと何をされても起きないと言ったのはあなたよ、ヤス」
「それは……確かに言ったけど……」
「それなら、誰かが部屋に忍び込んで窓からグラスを投げ捨てても、金魚は気がつかないでしょうね」
名探偵に鋭く切り込まれ、俺の心臓がドクンと脈打つ。
同時に、俺はかすかな違和感を覚えた。
だが違和感の正体がなんなのかわかるより先に、綺晶が俺の顔を見つめて、おもむろに語り出す。
「確かに状況だけを見れば金魚が第一容疑者よ。けれど、ここまで用意周到に犯行を重ねてきた犯人が、『自分の部屋からグラスを投げる』なんて愚かな行為をするかしら?」
綺晶が俺の顔を見つめる。
彼女の眼差しが冷たくて、俺はぞくりと身震いする。
「……ヤス。あなたは金魚を起こしてくると言って一人で二階へ行ったわよね?」
氷のような眼差しで、綺晶が俺を見据える。
「ガラスの割れる音が聞こえたとき、あなたは二階で何をしていたのか、教えてもらえるかしら?」
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