第25話 臨機応変な殺人(2)

 明け方に百目鬼のおじさんを殺害した後――。


 時刻は朝の六時半。

 屋敷の二階にある空き部屋でトリックの準備を整えた俺は、階段を下りて何食わぬ顔でリビングに赴いた。


「あれ、ヤスじゃん。おはよー」

「おはよう、愛子。ずいぶん早起きだな」


 リビングでは双子の姉妹・愛子と蔵子が椅子に座って談笑していた。

 二人ともすでに顔を洗って着替えをすませており、愛子はいつものジャージ姿、蔵子はブラウスにロングスカートという装いだ。


「早起きじゃなくて、ほとんど寝てないんだよ。綺晶にバレないようにずっと気を張っていたから、緊張して寝付けなくてさ」

「それは悪かったな」


 一応謝ってみたが、愛子は気楽に「いいよいいよ」と手を振るだけで、さして気にしている様子はなかった。

 こういう根に持たない所が愛子の長所だ。


「綺晶はまだ寝てるのか?」

「綺晶ちゃんなら私の部屋で着替えてるよ~。昨日の騒ぎで服が泥だらけになったから、私のコスプレ衣装を貸してあげることにしたの~」

「呼んで参りましょうか?」


 双子のために紅茶を運んで来たおタケさんが会話に加わる。

 今日もメイド服がよく似合うおタケさんに「まだ起こさなくていい」と声をかけ、俺は愛子の隣に腰掛けた。


「綺晶がいないうちに、みんなに話しておきたいことがあるんだ」


 俺は台本が変更されたことを手短に説明する。

 トリックの説明は省き、これからどう行動して欲しいかだけ伝えると、愛子は露骨に渋い顔をした。


「台本をそんなに簡単に変えていいのか?」

「いいんだよ。連続殺人は臨機応変に対応するのが大切なんだ」

「こっちは苦労して台本を覚えたってのに、勝手だよな。そもそもヤスが風呂を覗いたりするからこうなったんだろ。反省しろよ」

「そ、それは……反省してます」


 昨夜覗き見た光景が脳裏に浮かび、俺は愛子から目を逸らす。

 恥ずかしさで目を合わせられない俺に、蔵子はのんびりした声で問いかけた。


「急な変更で、この後の展開にほころびが出たりしないかな~?」

「それは問題ない。変更したのはトリックだけで話の展開は台本通りに進めるから、矛盾が出ることはないはず――」

「こそこそとなにを話しているのかしら?」


 廊下から聞こえてきた声に、俺は驚いてビクンと背筋を伸ばす。

 恐る恐る振り返ると、そこには家の中なのにコートを着込んだ綺晶が立っていた。

 すらりとした細い足が露わなキュロットパンツ。

 ワイシャツを着てネクタイを巻き、その上にケープと呼ばれる短いマントがついたコート――「インパネスコート」を羽織っている。

 頭にかぶっているのは前後につばがついた丸い帽子――鹿追帽。

 インパネスコートに鹿追帽とくれば、これがなんの扮装かは一目瞭然だ。

 綺晶はかの名探偵、シャーロック・ホームズのコスプレをしていた。


「綺晶ちゃん、似合ってるよ~」

「ありがとう蔵子。この服、気に入ったわ」


 憧れの名探偵になれた綺晶が喜びに表情を輝かせている。


「それで、私をのけ者にしてなんの相談をしていたのかしら?」


 疲れなど微塵も感じさせない溌剌とした声で、ホームズ綺晶が俺たちの輪に入る。

 殺人計画について相談していたと言えるはずもなく、俺は笑ってごまかした。


「たいしたことじゃないよ。ちょっと、あれだ、ほら、昨日の怪人はどうして夜中に屋敷の周りをうろついていたのかなー、って話してたんだ」

「そうね、犯人の動機は一考に値するテーマだわ。犯人はなぜ百目鬼のおばさんを殺害したのか。そして、なぜ愛子と蔵子の入浴を覗いたのか」

「いやいや、覗きは犯人の目的じゃないと思うぞ」

「あら、どうしてそう言い切れるのかしら。ヤスは愛子と蔵子の裸なんて見る価値がないと言いたいの?」

「その質問はおかしいだろ。覗き見する価値があると答えたら愛子に殺されるし、見る価値もないと答えたら愛子に殺されるし、俺がどう答えてもアウトじゃないか」

「ワトソン君は意外と頭の回転が速いのね。感心だわ」


 すまし顔で答える綺晶は、すこぶる上機嫌のようだ。

 嵐の孤島で不気味な洋館に閉じ込められて殺人事件に巻き込まれたホームズ綺晶は、朝からハイテンションだった。


「冗談はともかく、犯人の目的は明白よ。昨夜の怪人は百目鬼のおじさんを殺すために現れた……そう考えて間違いないわ」

「その根拠は?」

「昨日の手紙よ」


 俺の質問を予測していたかのように、綺晶が間髪入れず答える。


「あの手紙は脅迫状であり殺害予告よ。つまり、犯人は百目鬼夫妻に恨みを持つ人物に間違いない」

「そこまで断言するってことは、なにか証拠でも見つけたのか?」

「いいえ。でも一晩熟考して、それ以外に考えられないと結論づけたのよ。私の推論が正しいかどうか、、一度おじさんに詳しく話を聞いてみる必要が……。そういえば、おじさんはまだ寝ているのかしら?」


 壁にかかっている時計を見ると時刻はすでに七時を回っていた。


「そろそろ朝食の時刻ですね。旦那様を呼んで参りましょうか?」

「あ、ちょっと待った」


 おタケさんがおじさんを呼びに行こうとするのを、俺は慌てて呼び止めた。

 おじさんはすでに殺害済みだが、まだその事実は知られたくない。

 おタケさんがおじさんの部屋へ行くのは、俺の仕掛けたトリックが効果を発揮してからだ。


「おじさんのことだから『殺人犯と一緒に食事ができるか!』とか言い出すかもしれないよ。下手に逆鱗に触れるより、今はそっとしておいた方がいいんじゃないかな?」

「……そうですね。では旦那様の食事は後で私が部屋に運びましょう。先に皆様の朝食の準備を致しますね」


 恭しく一礼して、おタケさんがキッチンに向かう。

 俺はおタケさんの姿が見えなくなったのを確認すると、おもむろに椅子から立ち上がった。


「じゃあ俺は二階へ行って金魚を起こしてくるよ」


 俺は「二階へ行く」とわざわざ宣言して、その場を離脱する。

 ちらりと横目で様子をうかがうと、綺晶は俺が二階へ行くことに何の疑念も抱いていないようだ。

 双子姉妹と美少女名探偵の話し声を聞きながら、俺はそそくさリビングを後にした。


「綺晶は雨の中で犯人ともみ合ったんだろ。そのときに気づいたことはないのか?」

「そういえば、もみ合っているときに犯人の体を触ったけれど……無かったわ」

「無かったってなにが?」

「胸が。まるで男のように真っ平らだったのよ。だから蔵子は犯人ではないと思うわ」

「ちょっと待て! 私も女だぞ! そこは私も除外しろよ!」

「え? でも愛子の胸は男みたいに真っ平らじゃない」

「うわ! ストレートに言いやがった! そうなんだけど、そこはオブラートに包めよな」

「屋敷にいる人間で胸がないのは、ヤス、愛子、それにパットでごまかしていた金魚の三人かしら。おじさんも該当するけれど、犯人は太鼓腹ではなかったから……」

「綺晶って推理を始めると人の話を聞かなくなるのな……」


 ……そうか。綺晶は金魚を容疑者の一人として見ているのか。

 ではここらで一つ、金魚を推理物では定番の「怪しいけど真犯人ではない容疑者」に仕立て上げてやるとしよう。

 そんな悪だくみをしつつ、二階へ上がった俺は、空き部屋に隠しておいたグラスを持って金魚の部屋に向かった。



※ ※ ※



 客間といっても扉に鍵がついているわけじゃない。

 俺はノックもせずにドアノブを回すと、物音を立てないよう慎重に部屋へと入った。

 室内では、来客用の布団にくるまった金魚がアイマスクをつけて熟睡していた。

 低血圧の金魚は、熟睡している間は何をされても目を覚まさない。

 そのことを知っている俺は堂々と部屋を横切って両開きの窓を開けた。

 台風は夜の内に通り過ぎて、すでに雨は上がっている。

 俺は窓から身を乗り出すと、階下にあるおじさんの部屋を探した。


 ……あった。

 左斜め下の位置に割れたガラス窓が見える。あそこがおじさんの部屋だ。

 俺はグラスを手に持つと、振り子のように手を動かして割れたガラス窓に狙いを定めた。


「練習なしの一発勝負だ。上手くいってくれよ……」


 南無三。心の中でそう叫び、俺はグラスを放り投げた。

 透明なグラスは放物線を描き、ガラス窓の真下にある石畳へと落下する。


 ガシャーン!


 ガラスの割れる甲高い音が響き渡り、俺はすぐさま窓を閉めて廊下に飛び出した。

 そのまま何食わぬ顔で階段を駆け下りたところで、リビングから出て来た綺晶と鉢合わせする。


「綺晶、今の音は?」

「わからないわ。とにかく行ってみましょう」


 かくして俺たちは、不審な音が聞こえた場所――おじさんの寝室へと駆け出した。



※ ※ ※



「おじさん! 今のは何の音ですか!」


 ドンドンドン。

 俺がおじさんの部屋の扉を叩くが返事はない。

 ただならぬ雰囲気に、俺、綺晶、愛子、蔵子の四人は部屋の前で顔を見合わせる。


「おじさんが心配だ。とにかく中に入ろう」


 俺がドアを開けると、扉は五センチほど開いたところで「ガチン」と硬い音をたてた。

 扉には内側からチェーンが掛かっていたのだ。


「きゃあああ!」


 蔵子がわずかに開いた隙間から室内を覗き込み、悲鳴を上げた。

 すぐさま綺晶と愛子が部屋を覗いて、めちゃくちゃに荒らされた室内と、ベッドに突き立てられた包丁を目撃する。


「まさか、お父さんが襲われたの? お父さんはどこ? お父さん!」


 興奮した愛子がドアをこじ開けようとするが、いくら引っ張っても頑丈なドアチェーンはびくともしなかった。


「愛子と蔵子はここにいろ! 俺は外から回り込んで窓から部屋に入る!」


 俺が駆け出すと、すぐに綺晶も後を追いかけてきた。いいぞ、計算通りだ。

 俺は玄関で靴を履き、綺晶を待たずに外に出る。

 俺の方が綺晶よりも足が速いため、走り出すとあっというまに彼女を置き去りにしてしまった。

 軒下にある石畳の上を走り、角を曲がった所で割れた窓が視界に入る。

 窓の下には割れたグラスの破片が散乱していた。

 俺はグラスの原型を留めている大きな破片を拾うと、草むらの奥に放り投げた。

 残った破片を踏みつけて粉々にしながら二階を見上げ、金魚の部屋の窓がぴったりと閉じられていることを確認する。


「ガラスの破片が落ちてるから、足元に気をつけて」


 ようやく追いついた綺晶に、俺は「偶然、割れた窓ガラスを踏んでしまった」体を装いながら注意を促す。


「はぁはぁ……窓ガラスが、割れているわね……」

「ああ。さっきの音は窓ガラスが割れた音だったんだ。きっと犯人は、この窓を割って部屋に侵入したんだ」


 わざと断定口調でそう告げると、俺は開け放たれた窓から室内に上がり込んだ。

 部屋はめちゃくちゃに荒らされて足の踏み場もない状態だ。


「おじさんがいない。どうやら犯人に連れ去られたようだ」


 綺晶にそう思い込ませるべく、俺は間違った情報を口にする。

 美少女名探偵・綺晶はベッドに刺さった包丁を見て、それから窓の外へ視線を向け、困惑した様子で立ち尽くしていた。

 なんだか今までにない反応だ。

 俺は床に散乱した小物を掻き分けて部屋を横切り、扉にかけられたチェーンを外す。


「父さん!」


 すぐさま愛子が部屋に飛び込み、父親を探して室内を見回す。


「どういうことだヤス。何が起こったんだ?」


 愛子が尋ねてきたので、俺ははっきりと答えた。


「おじさんが犯人に襲われた。……二番目の犠牲者だ」

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