第27話 もう一人の羅刹鬼(1)
○ここまでのあらすじ
第二の殺人を決行した新米殺人鬼ヤスだったが、美少女名探偵・綺晶にトリックを看破され、ついに「ヤスが犯人ではないか」と疑われてしまう。
名探偵に目をつけられたヤスは、なんとかごまかそうとするけれど……。
※ ※ ※
まだだ。まだ終わったわけじゃない。
朝。皆と食卓を囲みながら、俺はカリカリに焼けたトーストを咀嚼する。
オレンジジュース、サラダ、ベーコンに目玉焼きが並んだ食卓で、殺人鬼兼探偵助手の俺、双子の姉・愛子、双子の妹・蔵子、女装男子・金魚、そして美少女名探偵・綺晶の面々は黙々と食事を胃袋に詰め込んでいた。
厨房に立っているメイドのおタケさんも含め、全員が黙り込んでいるので空気が非常に重い。
空気が重い原因は明らかだ。
――さっきからずっと、綺晶が半目で俺をにらみつけている。
美少女名探偵は明らかに、俺が犯人ではないかと疑っていた。
まいったな。これからおタケさんを殺さないといけないのに、ここまではっきり疑われたらうかつに行動できないぞ。
「あの~。二人の間になにかあったのかな~?」
空気の重さに耐えかねた蔵子が、恐る恐る尋ねてきた。
事情を知らない蔵子たちにしてみれば、俺と綺晶の間に漂う険悪さはストレス以外の何者でもないだろう。
「なんでもないよ。ちょっとした行き違いがあって――」
「私はヤスが殺人鬼ではないかと疑っているのよ」
言葉を濁す俺を差し置いて、綺晶がざっくりと説明した。
黙り込む一同は、俺が真犯人だと知っているのでうかつなことが言えないようだ。
そんな重みが増した空気の中で、愛子が意を決して口を開く。
「ヤスが人殺しなんてするはずないだろ。綺晶の勘違いだよ」
「私もそう思いたいわ。私にとってもヤスはかけがえなのない人だから」
「え?」と驚いた全員の視線が綺晶に集中する。
「だってヤスは無駄に知識が豊富で、台詞がいちいち説明的で、いつもいい感じに間違った推理をするのよ。これほど『名探偵の助手』にふさわしい人材はそうそういないわ」
「あ……そういう意味ね……」
ちょっとだけドキドキしていた俺は、ホッとしたような残念なような複雑な心境だ。
「綺晶ちゃんはヤスくんが犯人じゃないと思いたいんだね~」
「ええ。けれどヤスが怪しい行動をしていたのは事実よ。名探偵として、その事実を見過ごすわけにはいかないわ」
「待て待て。俺がいつ怪しい行動をしたって言うんだ?」
俺が食い下がるも、綺晶は眉一つ動かさず、淡々と過去を振り返った。
「女風呂を覗いた怪人が逃げ去った後、ヤスは私にこう言ったわ。『きっとその男は屋敷に忍び込もうとしていたんだよ』と」
「たしかに言ったけど、それがどうかしたのか?」
「ヤスはどうして犯人が男だと知っていたのかしら?」
「え? それは、綺晶が犯人は男だと……」
「言っていないわ。私は『怪しい人物』と言っただけ。あの時点で犯人の性別を知る人間がいたとしたら、それは犯人自身だけよ」
うっ。
痛い所を衝かれて俺は一瞬言葉に詰まる。
「あ、あれは、女風呂を覗いたのなら犯人は当然男だと思ったんだ。普通そう思うだろ」
「……いいわ。そういうことにしてあげる」
明らかに納得していない様子で、綺晶が俺のいいわけを受け入れる。
俺がホッとしたのも束の間、綺晶は「それからもう一つ」と追求を続けた。
「さっきの事件で、部屋の外に落ちていたガラスの破片はブランデーグラスのものだったわ。けれど、グラスは粉々に砕けて原形を留めていなかった。二階から落ちたくらいであんなに粉々になるものかしら?」
「……綺晶がなにを言いたいのかわからないんだけど」
「ならわかりやすく言ってあげる。犯人は割れたブランデーグラスを窓ガラスの破片だと見せかけたかった。だから形がわからなくなるくらい粉々にする必要があったのよ。あのとき粉々にする機会があったのは、最初に現場に駆けつけたヤスだけ……」
「たしかに、あのとき俺はガラスを踏んだかもしれない。でも、わざと踏みつけて粉々にしたわけじゃない!」
「あら、誰が踏みつけたと言ったかしら。私は『粉々にした』と言っただけよ。粉々にした方法を知っているのは犯人だけ……」
「詭弁だ!」
興奮した俺はテーブルを叩いて立ち上がり、全員の驚いた顔と綺晶の冷静な目を見てすぐに我に返る。
「と、とにかく、俺は犯人じゃない」
務めて冷静を装い、しかし興奮を抑えきれないまま、俺は着席する。
まずい。
こんな状況じゃ第三の殺人なんて実行できない。
それどころか、すぐにでもボロを出して動かぬ証拠を突きつけられかねない。
これが、名探偵と対峙した殺人鬼の絶望感。
どんな嘘も名探偵には通用しない。
どんなトリックも名探偵の前では無力でしかない。
名探偵を敵に回す恐ろしさが、これほどとは想像だにしていなかった。
だめだ、このままでは勝ち目がない。
これ以上追求される前に、どうにかして俺の無実を立証しなければ。
それができなければ、俺は名探偵に潰される……。
「本音を言えば」
焦る俺へ、綺晶は静かにささやく。
「私だってこんな結末は望んでいなかった。残念だわ。こんな結末になって、本当に残念だわ」
※ ※ ※
朝食を終えた俺は、綺晶に監視される恰好でリビングのソファに釘付けにされていた。
俺が不審な行動をしないように綺晶が見張っているこの状態では、第三の殺人など夢のまた夢だ。
愛子と蔵子は二階へ行ったまま戻ってこない。
朝食の後、ストレスと重圧に負けた金魚が胃痛を訴えたため、二人が部屋まで付き添って介抱しているのだ。
間違いなく、俺たちの中で金魚が一番繊細で女の子らしかった。
おタケさんは厨房で朝食の後片付けをしているため、リビングに居るのは俺と綺晶の二人だけだ。
今後の進展が望めない状況に、俺は「諦めて罪を認めた方が幕引きとしては綺麗なのではないか」とまで考え始める。
そうして俺が名探偵の圧力に屈しかけたところで、ようやく愛子が二階から降りてきた。
「金魚の具合は?」
「心配ないよ。緊張のしすぎで気分が悪くなっただけだから。少し休めば良くなるさ」
えんじ色のジャージに快活なポニーテール姿の愛子が、ハキハキと答える。
「それよりも、さっきの話の続きだけど」
愛子は綺晶のそばに立つと、ない胸を反らして語気を強めた。
「ヤスは犯人じゃないよ」
「根拠は?」
「小さい頃からずっとヤスのことを見てきた。だから私にはわかるんだ」
「話にならないわね」
ツンとした態度で綺晶が愛子を突き放す。
愛子は不機嫌そうに眉を寄せると、座っている綺晶をにらみつけた。
「ヤスは優しくて友達思いのいいやつだ。そんなヤスが人殺しなんてするはずがない」
「ヤスがいい人なのは認めるわ。けれど、それと殺人は別の話よ。私を納得させたいのなら、ヤスが無実だという動かぬ証拠を持ってきなさい」
「そっちだって状況証拠だけでヤスを犯人だと決めつけてるじゃないか!」
激高した愛子が迫り、負けじと綺晶も立ち上がって二人は至近距離でにらみあう。
火花を散らす二人に圧倒されていると、やがて愛子が先に目線をそらした。
「きっとヤスは犯人にはめられたんだ。犯人はヤスに濡れ衣を着せようとしてるんだ」
「愛子の気持ちはわかるけれど――」
「私はヤスを信じる!」
平らな胸に手を当てた愛子が、鬼気迫る表情で綺晶を怒鳴りつける。
圧倒されてたじろぐ綺晶に背を向けると、
「ヤスは無実だ! 私がそれを証明する!」
捨て台詞を残して愛子はリビングを出て行った。
迫真の演技だ、と俺は感心する。
俺が殺人犯だと知っているのに、まるで愛子は本気で俺の無実を信じているかのようだった。
俺は、幼馴染みの愛子に「ヤスを信じる」と言われて少しだけ嬉しかった。
――もう、これで終わりにしてもいいかもしれない。
殺人鬼気分を満喫してきた俺は、自白してもいいかと思い始めていた。
連続殺人を完遂できなかったのは残念だが、ここまでやれたのなら上出来だ。
ここで潔く負けを認めても恥にはならないさ。
そうさ、ここは潔く敗北しよう。潔く……。
……だめだ。
やっぱりこのままじゃ終われない。
俺にはやりたいことがある。
真犯人である俺は……連続殺人犯である俺は……ラストは崖の上に追い詰められたいんだ!
やっぱり最後は崖だろ!
崖の先端に追い詰められ、名探偵にすべての謎を暴かれて、ついに観念して悲しい過去を打ち明ける。その一連の流れが大事なんだよ!
確たる証拠もないのに、リビングで自分から罪を告白する犯人なんてあり得ない!
俺は、動かぬ証拠を突きつけられ、崖に追い詰められて罪を告白したい!
真犯人の矜持を思い出した俺は、挫けそうになった殺人鬼魂を奮い立たせる。
まだ終わりじゃない。
最後まで諦めるな。
脳が焼け付くまで考えろ。
必ず逆転の一手があるはずだ!
そうして俺が闘志をたぎらせていると、どこからかピアノの音が聞こえてきた。
美しい旋律は、グランドピアノがある音楽室から聞こえていた。
「聞き覚えのある曲ね。この曲は確か……」
「ジムノペディ」
心地良い旋律は、フランスの作曲家エリック・サティが作曲した「ジムノペディ」の一節だ。
それは、俺と愛子にとって思い出の曲だった。
※ ※ ※
俺がまだ小学生だった頃。
当時の俺は、「お前にピアノなんて似合わない」と言って愛子を散々馬鹿にしていた。
「どうせへたくそなんだろ。悔しかったら俺の前で弾いてみせろよ」
男子よりも男らしい愛子に、ピアノのようなお嬢様の楽器は不釣り合いだ。
勝手にそう決めつけてからかう俺に、幼い愛子はムキになって言い返した。
「そこまで言うならヤスの前で弾いてやるよ!」
後日。
百目鬼家のお屋敷に招かれた俺は、初めて愛子がピアノを弾く姿を見た。
――幼い愛子が奏でた、美しい旋律。
静かで、穏やかで、耳に心地良い癒しのメロディに、俺は一発でノックアウトされた。
初めて聞くグランドピアノの音色があまりにも素晴らしくて、奏者が愛子であることも忘れて聞き惚れてしまった。
演奏が終わったとき、俺は立ち上がって拍手していた。
スタンディングオベーションを受けた愛子は、いつもの男らしさを忘れてひたすら照れまくっていた。
「いまのはなんていう曲なんだ?」
「『ジムノペディ』だよ」
「ジムノペディ……。俺、この曲好きだ」
俺が興奮気味に好きだと言うと、愛子はやたら恥ずかしがって顔を真っ赤にしてしまった。
兄弟同然に思っていた愛子のことを、俺はあのとき初めて、可愛いと思ったんだ。
※ ※ ※
「二人にとっては思い出の曲なのね」
俺が語る昔話を聞いて、綺晶が穏やかに目を細める。
美しい旋律に誘われるように、俺たちは音楽室へとつづく廊下を歩いていた。
漏れ聞こえてくる音色をBGMにして、俺は幼い愛子の姿を思い出す。
「その出来事がきっかけで、愛子はピアノに打ち込むようになったんだ。あのとき俺に褒められたのがよほど嬉しかったんだろうな。それからはめざましい上達ぶりだったよ」
「……愛子はいま、どんな思いでピアノを弾いているのかしら」
穏やかな旋律を聞きながら、綺晶は奏者の心情に思いを馳せる。
「もしかすると愛子は、自分とヤスの絆を私に伝えようとしているのかもしれないわね」
思い出の曲を通して絆の深さを訴える。
俺が百目鬼夫妻を――愛子の両親を殺すはずがないとわかってもらうために。
そう推理するのは、俺たちの考えすぎだろうか。
ジムノペディの第一番は、演奏時間が約三分。
俺が昔話をしている間に、曲は終盤に差し掛かっていた。
俺たちが廊下を進むと、音楽室のドアはまるで「演奏を見てください」と言わんばかりに開け放たれていた。
音楽室で、愛子がグランドピアノを弾いている。
乱暴者の愛子だが、ピアノを弾くときだけはいつも別人のように輝いて見えた。
愛子がピアノを弾き始めると、俺は決まって音楽室に吸い寄せられていた。
それは幼い頃から何度も繰り返してきた光景だった。
名曲が静かに終わろうとしている。
俺と綺晶はピアノを奏でる愛子に見とれて……。
そうして、音楽室の窓から侵入する黒い影を目撃した。
黒い影は、白い仮面と黒いマントを身につけた殺人鬼だった。
殺人鬼がナイフを抜き、愛子へと襲いかかる。
窓を背にして演奏に集中している愛子は、間近に迫る殺意に気づいていない。
「愛子!」
俺が叫ぶと、愛子が驚いて顔を上げ、
「きゃあああああ!」
迫る白刃に驚き、椅子から転げ落ちた。
間一髪、突き出されたナイフが、さっきまで愛子の居た場所で空を切る。
床に尻餅をついた愛子は、心臓が止まるほど驚いたのだろう、平らな胸に両手を当てて、青白い顔で仮面の怪人物を見上げた。
――あれは誰だ?
なんだこれは。
どうしてここに殺人鬼がいるんだ。
あの怪人はいったい何者なんだ。
こんな展開、台本には書いてない!
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