第20話 黄泉の羅刹鬼、参上!(1)

 密室トリックの謎解き騒動を終えて、自分の部屋に戻った俺は、疲れた体を投げ出すようにベッドへと倒れ込んだ。

 柔らかい枕に顔を埋めながら、ぼんやりと俺は思案にふける。


 綺晶の推理力は予想以上だ。

 俺の渾身のトリックがあっさり暴かれるとは想定外にも程がある。

 アリバイ工作が成功して容疑者から外れれば、今後の殺人がやりやすくなると踏んでいたのに、とんだ見込み違いだ。

 だが、今さら愚痴を言っても詮無きこと。

 俺は上体を起こすと、頬を叩いて気を引き締めた。


「休んでる暇はないぞ。台風が過ぎ去る前に、第二第三の殺人を決行しないと」


 決意を新たにした俺は、ベッドを降りて立ち上がる。

 まずは音楽室へ行き、隠しておいた仮面とマントを手に入れよう。

 そうして怪人「黄泉の羅刹鬼」に変身した俺は、闇夜に紛れて百目鬼のおじさんを殺害するんだ。

 気合いを入れた俺は、勢いよく部屋の扉を開けて……

 扉の前に立っていた綺晶と鉢合わせした。

「うおっ!」と叫んで飛び退く俺に、綺晶は動じることなく用件を告げる。


「夜分に申し訳ないのだけれど、ヤスに頼みがあるの。いいかしら」

「た、頼み? いいけど、なにかな?」

「全員から事情聴取するのを手伝ってもらいたいのよ」


 犯人オレが仕組んだ密室アリバイトリックにより、悲鳴が聞こえるよりもずっと前に、被害者は犯人に襲われていたことがわかった。

 その点を考慮して、全員のアリバイを調べ直したいと綺晶は考えているようだ。


「わかった。そういうことなら付き合うよ」


 これも探偵助手の務めだ。

 俺が同行を快諾すると、綺晶はコクリとうなずいて、


「じゃあ、さっそくヤスのアリバイを教えてもらえるかしら」

「……俺を疑っているのか?」

「形式的な質問よ。アリバイは関係者全員に聞かなければ意味がないでしょう?」


 まるで刑事ドラマのワンシーンのようだな。

 スラスラと答える綺晶に感心しつつ、俺は努めて冷静に答えた。


「悲鳴が聞こえてくる前は、綺晶と二人で屋敷内を探索していたな」

「そうね。では、私と廊下でばったり出会う前は何をしていたのかしら?」

「綺晶と会う前は、一人で部屋にいたよ」

「それを証明できる人は?」

「いない」

「そう。わかったわ。じゃ、行きましょうか」


 歩き出そうとした綺晶へ、俺は間髪入れずに尋ねる。


「その時間、綺晶はどこにいたんだ?」

「……一人で部屋にいたわ。証明する人はいないわね」

「そうか。わかった。じゃあ、行こうか」


 こう言っておけば、アリバイがないだけでむやみに疑われはしないだろう。

 しっかりと予防線を張った俺は、綺晶と共に各人の部屋へ向かうことにした。

 鬼村康智と希望ヶ丘綺晶。ともにアリバイ、なし。



※ ※ ※



 二人で廊下を歩いていると、トイレから出てきた女装少年・金魚と鉢合わせした。

 ジャー、という水の流れる音を聞いて俺は内心でほくそ笑む。これは使えるぞ!

 使用後のトイレは性別を見分ける重要なヒントの一つだ。

 トイレの便座が上がっていることに気づいた名探偵が「使用したのは男だ」と気づく展開は定番中の定番だろう。

 ここで綺晶にトイレを見せて便座が上がっていることに気づかせれば、「金魚は男ではないか?」と疑念を抱かせることができる。

 これで疑惑の目を金魚に向けさせることができるぞ!

 さっそく俺は、綺晶がトイレの便座を見るように仕向けることにした。


「なあ、綺晶。トイレに行きたくないか?」

「……別に」

「そんなことはないだろう。俺はトイレの前にいるから、気兼ねなく用を足してこいよ」


 綺晶が剣呑な目つきで俺を睨んでいる。

 どうやら少々さりげなさに欠けていたようだ。

 仕方がない、無理強いはやめて別の方法を考えよう。


「じゃあ、俺が用を足してくるからここで待っていてくれ」


 そう言って俺はトイレのドアを思い切り開く。

 これでトイレが丸見えになったはずだ。

 さあ、綺晶。持ち前の洞察力でトイレをしっかり観察するがいい!


「なぜ扉を全開にしているの? ヤスはドアを開けっ放しにしないと排泄行為ができない体質なのかしら?」

「そんなわけあるか」


 ふてくされながら、俺はしぶしぶトイレに入る。

 いつもは無駄に鋭いくせに、どうして肝心な場面で気づかないんだ。

 ほら見ろ、トイレの便座が下がっているじゃないか。

 これは直前に男が用を足したという証拠……ん?

 あれ?

 どうして便座が上がっていないんだ?

 金魚が用を足した直後なのに、なぜ便座が下がったままなんだ?


「ちょっと失礼」


 トイレを出た俺は金魚の腕を掴み、廊下の片隅へと連れ込んだ。

 ぼそぼそと、綺晶に聞こえないよう俺は小声で金魚を問い詰める。


「どうしてトイレの便座が上がっていないんだよ」

「どうしてって、僕はいつも座って用を足すから……」

「男なら立って用を足せよ!」


 俺に怒られた金魚が困ったような泣きそうな顔になった。


「いいか。金魚が男だとばれるように、さりげなく証拠を残すんだ」

「そんなこと言われても……」

「二人とも、こそこそとなにを話しているのかしら」


 綺晶が近づいてきたので、俺は慌てて金魚から離れた。


「なんでもないよ。金魚のアリバイを聞いていただけだ。な!」

「う、うん」


 こうして俺たちは困惑顔の金魚から、事件発生前は一人で部屋にいたことを聞き出した。

 赤子川金魚のアリバイ、なし。



※ ※ ※



「ヤスと綺晶じゃないか。こんな夜遅くにどうしたんだ?」


 俺が扉をノックすると、えんじ色のジャージ上下を着た双子の姉・愛子が部屋から出てきた。


「綺晶が話を聞きたいって言うから連れてきたんだ。蔵子は中にいるのか?」

「いるよ。どうぞ入って」


 愛子に促されて俺たちは部屋に足を踏み入れる。

 子供部屋とは思えないほど広い室内を見て、綺晶が「へえ」と感心したように声を上げた。

 花柄のガーリーな壁紙に、リボンのついたパステルピンクのカーテン。

 お姫様が眠るような天蓋付きのベッドには、動物をデフォルメした愛らしい人形がずらりと並んでいる。

 掃除が行き届いた床には埃一つ落ちておらず、まるで部屋全体が華やかに輝いているようだ。


「こんばんは~」


 床に座って紅茶を飲んでいた双子の妹・蔵子が、にこやかに挨拶しながら、ピンク色の丸テーブルにティーカップを置く。

 笑顔の蔵子へ、綺晶は率直に「すごいわね」と声をかけた。


「まるでお姫様の部屋のようね。とても蔵子らしくて可愛らしいわ」

「ここは私の部屋じゃないよ~」

「え?」


 蔵子の言葉に綺晶が驚いて振り返ると、そこには憮然とした表情の愛子が立っていた。


「ここは私の部屋だ」

「愛子の……。あ、そう……それは、その……」

「フォローしなくてもいい。そういう反応には慣れてるから。あと、ヤスは笑うな!」


 必死に笑いを堪えていた俺に愛子がローキックを繰り出す。

 俺は愛子の蹴りをひらりとかわすと、堪えきれずに声を上げて笑った。


「綺晶の気持ちはわかるぞ! ここが愛子の部屋だとは思わないよな! 名探偵の目をも欺く愛子の乙女趣味は、ミステリ小説のどんでん返し並に予想外――」

「うるさい黙れ!」

「あははは。ちなみに蔵子の部屋は隣だから、そっちも見てみるか?」

「え~、恥ずかしいよ~」


 間延びした声で蔵子が嫌がるが、今回は綺晶の好奇心が勝ったようだ。

「面白そうね」と乗り気の綺晶を連れて、俺たちはぞろぞろと隣の部屋に移動した。


「これが……蔵子の部屋…・・?」


 扉を開けた綺晶が、部屋の惨状を見て絶句する。

 壁紙すら貼られていない飾り気のない室内は、洋服が散乱して足の踏み場もなかった。

 パイプ製のハンガーラックが無秩序に並べられ、大量の服を所狭しと吊している。

 クローゼットからは服があふれ出ており、床には脱ぎ捨てた着替えの他にも、裁縫途中で放置された布地が雑然と散らばっていた。

 勉強机には使い込まれたミシンが鎮座しており、ここで勉強していないことは誰の目にも明らかだ。


「蔵子の部屋は相変わらずだな。家政婦がいるんだから掃除してもらえばいいのに」

「ダメだよ~。散らかってるように見えるけど、私はどこになにがあるかわかってるんだから。勝手に片付けたら物の場所がわからなくなるよ~」


 片付けできない人間の理屈で、蔵子が部屋の掃除に反対する。

 少女趣味な愛子と、片付けのできない蔵子。

 普通は逆だと思うよな、と考えつつ綺晶を見ると、彼女は興味津々の体で床に落ちている洋服を触っていた。


「これは学校の制服かしら? でも制服にしては色使いが派手すぎるような……」

「それはアニメのコスプレだよ~。着てみる~?」


 コスプレ衣装に興味津々の綺晶へ、蔵子が落ちていた制服を持ってにじり寄る。

 綺晶は身の危険を感じて部屋の奥へと後退した。


「いえ、私は結構よ。おかまいなく」

「そんなこと言わずに、騙されたと思って試してみようよ~」

「けれど私と蔵子ではサイズが違いすぎるわ。私は蔵子ほど、その、大きくないから」


 蔵子の豊かな胸の膨らみを見ながら、綺晶が懸命にいいわけするが、


「それならいい補正下着があるから大丈夫だよ~。コスプレではスタイルの良さも重要な要素だからね~。アニメのキャラクターに体型を似せるために、下着にもこだわってるんだよ~」


 コスプレ趣味の蔵子が落ちていたブラジャー(たぶん補正下着)を手に取り、美少女の綺晶にじりじりと迫る。

 迫力負けして後退する綺晶は、なんとか話題を逸らそうとして机にあった写真立てを手に取った。


「こ、これは子供の頃の写真ね。三人とも可愛いわ」

「それは……」


 写真を見た瞬間、蔵子の表情が硬くなった。

 蔵子の机に飾られていた写真は、小学校の卒業式で撮影したものだ。

 真ん中に俺がいて、向かって右に愛子、左に蔵子が立って笑っている。

 俺たち三人がフレームに収まっている写真としては、一番最近のものだろう。


「勝手に見ないで~」


 間延びした声に似合わぬ敏捷さで蔵子が写真を奪い取り、その間に綺晶が包囲網から脱出する。

 蔵子の隙を突いて、名探偵・綺晶はコスプレ少女の魔手から逃れることに成功した。


「危うく着せ替え人形にされるところだったわ」

「それはそれで面白そうだけどな」

「ヤスは薄情者ね」


 憮然とする綺晶。本人には悪いが、綺晶の困った顔を見るのは案外楽しい。

 その後、何度も話を脱線させながらアリバイを聞き出した俺たちは、二人とも事件発生前は一人で部屋にいたことを確認した。

 百目鬼愛子と蔵子。双子のアリバイ、なし。

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