第19話 密室の中の密室(5)
「これは密室トリックじゃなくて、アリバイトリックだと!? それはどういう意味だ!」
「事件が起こったとき、私たちは悲鳴を聞いておばさんの部屋に駆けつけたわ。そのときに私たちは『おばさんが暴漢に襲われて悲鳴を上げた』と思い込んでしまったのよ」
「でもそれ以外にあり得ないだろ?」
「いいえ、あり得るわ。あのとき聞いた悲鳴は、おそらくおばさんの声ではなかった」
「おばさんじゃないなら、あの悲鳴は誰の声なんだ」
「それは私にもわからないわ。インターネットで検索すれば悲鳴の音源は簡単に手に入るから、それを使ったのかもしれないわね」
正解だ。
最近はネットのフリー素材で質の高い音源が手に入る。
おばさんと声質の似た悲鳴を探すのも、さして苦労はしなかった。
「犯人はおばさんを襲撃した後、この部屋にある音響装置を使って時間差で悲鳴があがるように仕掛けておいたのよ」
「そうか! 俺たちは悲鳴が聞こえた時間が犯行時刻だと思い込んでいた。だけど実際は、悲鳴が聞こえてくるよりも遥か前におばさんは襲われていたのか」
「そういうことよ。犯人は音響装置を部屋に残して、とっくに現場から立ち去っていたんだわ」
さすがは綺晶。よくぞそこに気がついた。
だが残念ながら、この推理には大きな穴がある。
「でも、この部屋には音響装置なんてないぞ。犯人はどうやって悲鳴を大音量で響かせたんだ?」
室内にはCDプレーヤーもスピーカーも存在しない。
いったい何を使って音源を流したというのか。
そう問いかける俺に、綺晶は持っていたスマホをかざして見せた。
「おそらく犯人は、おばさんのスマホに音声データをダウンロードして、スマホで悲鳴の音源を鳴らしたのよ」
「おばさんが死ぬ前ならまだ携帯電話が使えたから、ネットにつなげてダウンロードできたかもしれないけど……。でも、それにはおばさんのスマホを操作する必要があるだろ。パスワードを知らないのに、犯人はどうやってロック画面を解除したんだ?」
「たとえば、『スマホにメールを送ったので見てもらえますか?』とか言えば、おばさんはスマホを起動させて確認するはずよ。そこを襲って、ロックが解除されたスマホを奪ってしまえば何の問題もないわ」
まるで俺の犯行を見てきたかのように、綺晶がすらすらと真相を言い当てる。
なんでそこまでわかるんだよ。名探偵は超能力者なのか?
「おそらく犯人はタイマーのスリープ機能を使って、自動で電源がオフになるように仕掛けておいたのね。そうしておけば、悲鳴が鳴り響いた後に電源がオフになって、誰もスマホを調べることができなくなる。ロック画面が解除されない限り、音声データのトリックに気づかれることはない……」
その通りだ。
誰もロック画面を解除できないから、俺は堂々とおばさんのスマホを現場に残すことができた。
誰もスマホの中身を確認できないから……。
「で、でも、スマホの中身を確認できなければ、綺晶の推理が正しいかどうか判断のしようがないだろ。いくら理屈が通っていても、ただの憶測で何の証拠もないじゃないか」
「……そうね。証拠は何もないわ。すべては私の推測よ」
綺晶が素直に不備を認めて、俺はここぞとばかりに「犯人は第三者説」を推そうと試みる。
けれど、俺が押し切るよりも先に綺晶は不敵につぶやいた。
「けれど、犯人がこのスマホで何かをしていた可能性は高いわ」
あまりにも自信たっぷりに言い切られて、俺は二の句が継げなくなる。
彼女は何を根拠にして断言しているのか。俺には名探偵の思考がさっぱりわからなかった。
「どうして犯人がおばさんのスマホを使ったと言い切れるんだ?」
「その根拠は……ヤス、あなたが教えてくれたのよ。あなたはさっき、犯人は自分の痕跡を消すために、隠し部屋の床を掃除したと言ったでしょう?」
そう言いながら、綺晶は持っていたスマホの画面を俺に見せ付ける。
俺は汚れ一つない綺麗な画面を見て……ようやく彼女の言いたいことに気がついた。
「この部屋にタッチペンの類いはないわ。つまり、おばさんは素手でスマホを操作していた。それなのに画面にはおばさんの指の跡が残っていない。それはなぜかしら?」
「……誰かが、画面についた指の跡を拭き取ったから」
「そう。おそらく犯人はスマホを指で操作した後、自分の痕跡を消すために画面を拭いたのよ」
綺晶の言う通りだった。
足跡を消すために部屋の掃除をしてしまうくらい几帳面な殺人鬼である俺は、スマホの画面に俺の指紋が残らないように使用後に画面を拭いたのだ。
よもや、そのせいでおばさんの指紋まで消してしまい、その些細な不自然さを綺晶に疑われることになるなんて……。
「で、でも、たまたま死ぬ直前におばさんが画面を拭いたのかも……」
「死ぬ直前にたまたま? ヤスは本当にそんな偶然が起こったと思うの?」
勝ち誇った顔で嫌味を言う綺晶の前で、俺はぐるぐると思考を巡らせる。
ここはしつこく食い下がるべきか、それとも素直に負けを認めて引き下がるべきか。
探偵の助手として……事件の真犯人として、俺が取るべき行動はどっちだ。
――まだトリックを暴かれただけで、俺が犯人だとは気づかれていない。ここは怪しまれるような行動は慎むべきだ。
俺は深呼吸をすると、あえて無能な助手を装って大げさに驚いて見せた。
「そうか、なるほどな~。さすがは綺晶。名推理だ」
「ふふふ、このくらいたいした推理ではないわ。ふふふ」
俺が大げさに感心すると、褒められた嬉しさを隠しきれない綺晶が上機嫌で胸を反らした。
「そんな偽装工作をするってことは、やっぱり犯人は内部の人間なのか?」
「私はそうにらんでいるわ」
「ちなみに、犯人の目星はついているのか?」
「……いいえ、犯人はわからないわ。けれど、少なくとも行きずりの犯行でないことは確かよ。犯人は周到な準備をして凶行に及んでいる。これは計画殺人よ」
綺晶はスマホをテーブルに置くと、いったん俺に背を向け、くるりと振り返った。
「これは計画殺人よ!」
「はいはい、言いたかったんだね。あと、殺人じゃなくて殺人未遂だからな」
「計画殺人未遂……語呂が悪いわね」などと不謹慎なことをつぶやく名探偵をたしなめつつ、俺は密かに胸をなで下ろす。
トリックは暴かれたが、俺が犯人だと気づかれてはいない。
状況は不利だが最悪ではない。
これならまだ殺人計画を続行できる。
ひとまず俺は、「名探偵の助手」に成りきってこの場を乗り切ることにした。
「悲鳴は偽物だったから、みんなのアリバイも白紙ってことだよな。犯人を捕まえるために、これから何をすれば……」
「それなら、手っ取り早く犯人をあぶり出す方法があるわ」
「えっ? あぶり出すって、どういうことだ?」
「こういうことよ」
そう言って綺晶が俺の手をいきなり掴んだ。
ま、まさか俺が犯人だと気づいたのか!?
混乱する俺を、綺晶がクローゼットの中へと押し込む。
犯人である俺を監禁するつもりか――と思ったのも束の間。
俺に続いて綺晶本人もクローゼットに入り、内側から扉を閉めた。
狭いクローゼットに押し込められた俺と綺晶。何が何だかわからず困惑していると、俺に密着したまま綺晶が上目遣いでささやいた。
「ここで犯人が現れるのを待つのよ」
「犯人が現れる? ここに?」
「あのスマホは重要な証拠品よ。おばさんがまだ生きているのなら、スマホのロックが解除されるのは時間の問題。そうなれば悲鳴の音声データを使った偽装トリックが明るみに出る。外部犯の犯行に見せかけたい真犯人にしてみれば、トリックがバレる前に何としても証拠隠滅を計りたいはずよ」
「な、なるほど。おばさんが生きていると知った犯人は、急いで手を打とうとするってことか」
綺晶の言う通り。彼女に偽装トリックを見破られていなければ、俺は後で密かにスマホを回収する予定だった。
何かの間違いでスマホのロックが解除されたら、たちまち偽装工作がバレてしまうからね。
……そう考えると、俺がのこのこ回収しに来て、待ち伏せしていた綺晶に捕まる可能性もあったわけだ。
わずかなミスも許されないギリギリの綱渡り、名探偵とのせめぎ合いに俺は高揚する。
この緊張感こそ、真犯人の醍醐味だ。
「心臓がドキドキしているわね」
狭い空間で密着していた綺晶が、俺の胸に手を当てる。
真犯人として名探偵との駆け引きに興奮していた――なんて知られるわけにはいかない俺は、思いつくままにいいわけを並べ立てた。
「そ、そりゃあ、ドキドキもするさ。犯人が現れたら捕まえるのは男である俺の役目だし、綺晶を犯人から守ってやらないといけないし、それに……」
俺は密着する綺晶を見つめる。
吸い込まれそうな澄んだ瞳に目を奪われ、サラサラの黒髪からはフローラルな香りが漂ってきて……。
……綺晶って美少女なんだよな。
「綺晶みたいに綺麗な子がこんなに近くにいたら、ドキドキして当然だろ」
「へ?」
いつも落ち着いている綺晶が、珍しく間の抜けた声をあげた。
かくいう俺も、自分が発した言葉に自分で戸惑い、激しく動揺していた。
俺はなにを口走ってるんだ。
ほら見ろ、綺晶だって困ってるじゃないか。
とにかく何か言わないと。気まずい空気を変えるんだ。
……だけど、焦れば焦るほど頭が真っ白になって言葉が出てこない。
そうして気まずい沈黙が続き……やがて綺晶が重い口を開いた。
「……いないわ」
「えっ? 何?」
「さっき私に尋ねたでしょう? その……私に好きな人がいるかどうか」
そういえば、二人で屋敷を探索していたときにそんなことを尋ねた気がする。
俺は「彼氏はいるのか」と綺晶に質問をして……。
「……いないわ」
俺から目を逸らした綺晶が、消え入りそうな声でもう一度ささやいた。
ええと、このシチュエーションで俺にそういうことを言うのって、つまり……。
狭いクローゼットの中、抱き合うような態勢で、綺晶が恥ずかしそうに顔を伏せる。
それがとても綺晶らしくなくて、だけどすっげー可愛くて、俺は余計にドキドキしてしまった。
「綺晶。あの、俺は」
「黙って」
小声で、しかしはっきりと綺晶が命令する。
いやいや、この流れで黙り込むのは男としてダメだろう。
俺は何か言わなければと思い……綺晶が真剣な顔で外を見ていることに気がついた。
つられて俺もクローゼットの扉の隙間から外の様子を覗き見る。
寝室の扉が開き、何者かが部屋に入って来るのが見えた。
不審者の登場に俺は息を呑む。まさか、本当に犯人がスマホを回収しに来たのか?
いやいや、そんなはずはない。だって犯人は俺なんだから。
だとすると、事件現場にこそこそと入ってきたのは誰だ?
俺は不審者の正体を見極めようと、扉の隙間に顔を近づけ……同じように身を乗り出した綺晶が、俺に背中を押されてバランスを崩した。
ガタッ。
倒れそうになった綺晶を抱き寄せた瞬間、クローゼットが軋んで音を立てた。
「誰かいるの?」
物音に気づいた不審者が声を上げる。
聞き覚えのあるこの声は……金魚?
どうして金魚がここに?
混乱する俺に、綺晶が密着しながらささやく。
「ヤスの出番よ。犯人を捕まえて」
「犯人って、金魚が?」
「そうよ。早くしないと逃げられるわ」
「わ、わかった」
綺晶は金魚が「スマホを回収しに来た犯人」だと思い込んでいるようだ。
綺晶に疑われないためにも、ここは指示に従うべきだろう。
俺は濡れ衣の金魚を捕まえるため、クローゼットから飛び出すタイミングをうかがった。
ワンピース姿の金魚が一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。
もう少し……あと一歩……。
「いまだあああああ! きええええっ!」
奇声を上げながらクローゼットから飛び出した俺は、問答無用で金魚を押し倒すと、力任せに押さえつけた。
「抵抗するな! 大人しくしろ!」
「うわあああ、ってヤス!?」
襲ってきたのが俺だと知って金魚が目を丸くする。
そこへ廊下からどたどたと足音が聞こえてきて、双子の姉・愛子がドアを開けて乗り込んできた。
「いまの悲鳴はなに……ヤスが金魚を押し倒してるっ!?」
駆けつけた愛子が、涙目の金魚を床に押し倒している俺を目撃した。
「なにやってんだ、この変質者!」
愛子が会心のローキックを俺の尻にたたき込む。
衝撃と痛みで、俺は吹っ飛ぶように金魚から離れて床を転がった。
「痛ってえ! なにするんだよ!」
「そっちこそなにしてるのよ!」
俺と愛子が怒鳴りあい、遅れて蔵子が「どうしたの~」とのんびり入室してきた。
「あ、ヤスくんに綺晶ちゃん。良かった~、無事だったんだね~。二人とも部屋にいないから、みんなで探していたんだよ~」
「探していた? 俺たちを?」
どうやら蔵子たちは、俺と綺晶が部屋にいないことに気づいて、俺たちの身を案じていたらしい。
行方不明の俺たちを心配して事件現場へ捜しに来た金魚が、いきなり襲われて押し倒されたというのが事の顛末だった。
「お騒がせしたようね。ごめんなさい」
事情を知った綺晶が神妙に頭を下げると、謝罪された愛子は「いいよいいよ」と言いながらぱたぱたと手を振った。
謝るのは蹴りを入れてきた愛子の方だろ、と俺がふてくされていると、
「ところで、二人はクローゼットの中でなにをしていたの?」
金魚が尋ね、愛子の瞳がギラリと輝いた。
「ヤス。まさか、綺晶に変なことをしていたんじゃないだろうな」
「違う。それは誤解だ」
「やましいことはなにもないわ。これは犯人逮捕に必要なことだったのよ」
弁明する俺の後を引き継いで、綺晶が粛々と経緯を説明する。
隠し部屋の発見、スマホを使ったアリバイトリック、クローゼットに隠れて犯人を待ち伏せしていたことまで、綺晶が包み隠さず打ち明けて愛子はようやく納得してくれた。
「そういうことだったのか。疑ってごめん、綺晶」
勘違いをした愛子が綺晶に詫びる。だからそこは俺に謝れよ。
ともかく誤解が解けて安心した俺は、さりげなく綺晶に近づいて小声でささやいた。
「全部話して良かったのか? これじゃ、犯人は警戒してスマホを回収しに来なくなるぞ。そうしたら犯人を捕まえる機会を失うんじゃないか?」
「そうね。犯人をおびきだすチャンスはこれで潰えたかもしれない……。でも私は、こんなことでヤスと愛子の関係が壊れるのは嫌なのよ。だって二人とも私の大事な友達だもの」
自分のせいで俺と愛子の仲を台無しにしたくないから、きちんと事情を説明して誤解を解いたのだと綺晶は語る。
普段は他人にどう思われようと気にもしないくせに、妙な所で気を遣うんだな。
俺は綺晶の偏狭な友情に苦笑すると同時に、クローゼットで交わした彼女との会話は結局なんだったのかと思い、戸惑った。
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