第18話 密室の中の密室(4)
ぺたぺたと、綺晶が無遠慮に壁を触りまくっている。
「おそらくこの壁の中に仕掛けが埋め込まれている。その重みが床を傾かせたのよ」
そうして綺晶は、本棚の陰にあるかすかな突起を探り当てた。
指先が突起の内側に触れると、ガコンと音を立てて壁の一部が四角くへこみ、重々しく壁が真横にスライドしていく。
「こ、これは……」
わざとらしく驚きながら、俺は壁に空いた四角い穴を覗き込む。
ぽっかりと開いた穴の向こうには、四畳半ほどの小部屋が広がっていた。
「見ての通り、隠し部屋よ」
綺晶が見つけた隠し部屋――いわゆる「パニックルーム」は、欧米では一般的な防犯設備だ。
家に暴漢が押し入ったとき、家人はここに隠れて身の安全を守る。
そのためパニックルームの入り口は、暴漢に部屋の存在を気づかれないよう巧妙に壁に偽装されるのが常だった。
その偽装を、こうもたやすく見破るなんて……。
「こんな所に隠し部屋があるなんて思いもしなかったよ。よく気がついたな」
「落ち着いて考えれば誰でもわかることよ」
いや、普通はわからないからな。
血だまりが楕円形に広がっていたから隠し部屋に気づいたなんて、普通の思考回路じゃあり得ないから。
名探偵にトリックを見破られた俺は、内心でがっくりと肩を落として……。
しかし、焦ってはいなかった。
なぜなら、綺晶に隠し部屋を発見されることは想定の範囲内だから。
真犯人の俺が名探偵に仕掛けた罠は、ここからが本番だ。
「なるほど。おばさんが襲われて俺たちが部屋に駆け込んだとき、犯人はとっさにこの部屋に隠れたのか」
「そういうことよ。犯人はおばさんを殴り、私たちが駆けつけたので慌てて隠し部屋に隠れた……。だから密室から犯人が消えたように見えたのよ」
「確かにそれなら辻褄が合うな。……ということは、これで俺たちは全員犯人じゃないと証明されたわけだ」
「え?」
俺の言葉を聞いて綺晶が驚いた顔をする。
俺は内心で「引っかかったな!」と快哉を上げつつ、平静を装って答えた。
「だってそうだろ? 俺たちがおばさんの部屋に集まったとき、犯人が隠し部屋の中にいたのなら……」
「あのとき全員がこの部屋に集まっていた。同時刻に犯人が隠し部屋にいたのなら、犯人は私たち以外の第三者ということに……。そうね。そういうことになるわね」
密室トリックの答えが「犯人は隠し部屋にいた」と結論づけられたことで、俺たち全員の無実が証明された。
綺晶は俺たちの誰かが犯人だと証明しようとして、逆に第三者の犯行だと証明してしまったのだ!
これで綺晶はいもしない第三者を探すことになり、容疑者から外れた俺は疑われることなく連続殺人を続行できる。
ふふふ、どうやら第一ラウンドは俺の勝ちのようだな。
どうだ名探偵! 真犯人の恐ろしさを思い知ったか!
俺は隠し部屋に入ると、中に誰も居ないことを確認して、
「犯人はとっくに隠し部屋を出たようだな。だとしたら……犯人は屋敷の中をうろついているかもしれない! 大変だ、早くみんなに知らせないと!」
大声でまくしたてると、俺は大慌てで隠し部屋を飛び出した。
この後、俺は「犯人は屋敷内に隠れている」とみんなに伝えて騒ぎを起こす。そして居もしない第三者の犯行に見せかけて次の殺人事件を起こすのだ。
まんまと騙された名探偵が真相に気づくのは、俺がすべての殺人を終えた後。崖の上に追い詰められて自白するときだ。わはは、どうだ恐れ入ったか!
見事に名探偵を出し抜いた俺は、スキップしそうになる気持ちを引き締めて……。
そこで、綺晶がまだ隠し部屋を覗き込んでいることに気がついた。
「綺晶? 何やってるんだ。早くみんなにこのことを知らせないと」
大声で呼びかけるが、集中している綺晶の耳には届いていないようだ。
彼女は無言のまま、隠し部屋の入り口に立って室内を見回していた。
「……足跡がないわ」
「足跡?」
足下に視線を落とした俺は、ちり一つ落ちていない板張りの床を見て首を傾げる。
「足跡がないことの何がおかしいんだ?」
「隠し部屋なんてそうそう掃除はしないはずよ。長年放置された部屋は埃が積もっているのが普通で、人が入れば足跡が残ってしかるべきなのに、それがない」
「犯人が床を掃除して足跡を消したんじゃないか?」
事実、真犯人である俺はおばさん殺害後に隠し部屋を確認しようと室内に足を踏み入れ、足跡がついてしまったので慌てて床を掃除していた。
隠し部屋の床に埃が積もっていないのはそのためだ。
「犯人は足跡を消すために掃除をした……。そうね。あなたの言う通りだわ。おそらく犯人は自分の痕跡を消すために――ハッ!」
綺晶は顔を上げると、俺を押しのけて隠し部屋を飛び出した。
何事かと後を追いかけた俺は、綺晶がベッド脇に置かれていたスマホを手に取るのを見てギョッとする。
俺が内心でハラハラしていると、綺晶はスマホの電源をオンにして、ロック画面が表示されたのを見て眉をしかめた。
「ねえ、おばさんのスマホのパスワード、知ってる?」
「俺が知ってるわけないだろ」
「そうよね。パスワードを知っているのは本人だけ……本人が死ねば誰もスマホの中身を確認できない……」
ぶつぶつとつぶやきながら、綺晶はスマホの画面を様々な角度から眺めて……やがてぽつりと言葉を漏らした。
「もしかすると、私たちは犯人の仕掛けた罠に引っかかったのかもしれないわ」
「わ、罠って、どういうことだ?」
「考えてもみなさい。隠し部屋の存在は、館の主人であるおじさんなら当然知っているはずよ。おじさんが隠し部屋のことを思い出せば、遅かれ早かれ『犯人は隠し部屋に隠れていた第三者』という結論になる。犯人はそうなることを狙っていたのよ」
図星を指され、俺の背中を冷や汗が流れ落ちる。
「え……と……言ってる意味がよくわからないんだが」
「だから、『隠し部屋に犯人が隠れていた』と誤認させることこそが犯人の目的だったのよ! つまり犯人は、外部の人間による犯行だと思わせたかった人物……。これは間違いなく内部の人間の犯行だわ!」
「で、でも、隠し部屋を使ったんじゃないとしたら、犯人はどうやって密室から消えたんだ? そんなことは不可能じゃないか」
「『密室からどうやって逃げたか』と考えるから難しく感じるのよ。頭を切り換えてもっと単純に考えなさい。そうすれば犯人の仕掛けたトリックが見えてくるはずよ」
まさか、綺晶は密室トリックの真相に気づいているのか?
おいおい頼むよ。
謎解きは物語の終盤に真犯人を崖の上に追い詰めてからするものだろ。
お願いだからこんなにサクサクと謎を解かないでくれよ。
心の中で泣きを入れつつ、それでも俺は尋ねずにはいられない。
たとえ自分の首を絞めることになろうとも、助手には名探偵の推理を聞く義務があるのだ。
「犯人の仕掛けたトリック? ……ダメだ、わからない。答えを教えてくれ!」
「仕方がないわね。そこまで言うなら私の推理を聞かせてあげる」
無能な助手の言葉で優越感を刺激された綺晶は、くるりと背を向けて、振り返ってビシッと俺を指差した。
「これは密室トリックじゃないわ。これは、アリバイトリックだったのよ!」
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