第17話 密室の中の密室(3)

 密室殺人(未遂)事件の現場である寝室に、俺たちはやって来た。


「勝手に部屋に入るのはまずいんじゃないか?」

「なにを言っているのかしら。あなたは密室があるのに調べずにいられるの?」

「は? そっちこそなにを言ってるんだ?」

「密室があれば解かずにはいられない。それが名探偵の性よ。私はどうしても密室の謎を解きたいの。密室殺人と聞いた瞬間から体がうずいて止まらないのよ!」


 うっとりと両腕で自分の体を抱きしめる綺晶は、密室の謎を解きたくてウズウズしていた。

 なんというミステリ狂。いや、ミステリ馬鹿か。


「ミステリ好きなあなたならこの気持ちがわかるでしょう? わかったら、さっさと現場検証を始めるわよ」

「はいはい」


 おざなりな口調で答えると、俺たちは現場検証を開始した。

 おばさんの寝室は掃除が行き届いており、綺麗に整理整頓されている。

 清潔なシーツでベッドメイクされたダブルベッド。

 衣装の多さを思わせる大型のクローゼット。

 DVDのケースがぎっしり詰まった本棚。

 床に無造作に転がっている大理石の灰皿(凶器)。

 入り口のすぐ横にあるアンティーク調の猫足テーブルには、水が入ったガラス製の水差しと、空のグラスが無造作に置かれている。

 ベッド脇の化粧台には化粧品の他にスマホやリモコンといった小物が並び、壁際には液晶テレビとDVDレコーダーが備え付けられていた。


 さて、この部屋を調べて綺晶はどんな推理を展開するのかな?

 名探偵との推理対決に心躍らせつつ、俺は部屋を調べるふりをしながら横目で彼女の様子をうかがう。

 綺晶はまずクローゼットを開けて中を調べ、それからベッドの下、カーテンの裏、本棚の陰などをチェックしていた。


「……なあ、綺晶。部屋を探すと言ってもいったい何を探せばいいんだ?」

「この部屋は密室で、犯行時刻に室内には百目鬼のおばさんしかいなかった。ということは、犯人は何らかの方法で遠隔殺人を行ったことになる」

「遠隔殺人……。犯人は遠い場所に居ながら、何らかの仕掛けを使って殺人を行おうとしたってことか」

「だとしたら、この部屋には遠隔殺人の仕掛けが残されているはずよ」


 綺晶はぶつぶつとつぶやきながら、化粧台に置いてあるリモコンやスマホなどの小物を手に取り、怪しいところがないか確認していく。

 スマホの電源を入れるとロック画面が表示され、パスワードを知らない綺晶は「むぅ」と呻いて、スマホを化粧台に置いた。

 綺晶は室内をぐるりと見渡すと、不意に首をかしげ、いきなり四つん這いになって床を調べ始めた。

 美少女が四つん這いで床を這い回る光景はなかなかの見物だったが、しかし、そこまでしても手掛かりは見つからなかったようだ。

 綺晶は立ち上がってため息を吐くと、入り口近くまで下がって俯瞰で犯行現場を眺め始めた。


「……?」


 綺晶が眉間にしわを寄せて、しきりに首をかしげている。

 しめしめ。さしもの名探偵も今回は苦戦しているようだ。

 まあ、この密室の謎は難しいからな。いかに名探偵でも、今度ばかりはノーヒントで正解を導き出すのは無理だろう。

 しかたがない、ここらでさりげなくヒントを出してやるか。

 無能な助手が偶然取った行動が、事件解決のきっかけになるのはミステリのお約束だからね。ふふふ……。

 そうして俺が優越感に浸っている間に、綺晶は入り口の横にある猫足テーブルへと近づいていく。

 テーブルには水差しと空のグラスが置いてある。

 何をする気かと思っていると、綺晶は水差しを手にとってグラスに水を注ぎ始めた。

 綺晶はなみなみと水が注がれたグラスを手に持って、おばさんが倒れていた場所まで移動する。


「綺晶? 何をしているんだ?」

「うん。ちょっと気になることがあって……」

「気になること?」


 名探偵の不可解な行動に首を捻っていると、彼女はグラスをそっと床に置いて水面をじっと見つめた。


「……血だまりが、楕円形なのよ」


 言われて俺は、床に広がるおばさんの血痕(本当は血糊だけど)へと視線を移す。

 頭をかち割られた人がどれくらい出血するのかわからなかったので、俺は心持ち多めに血糊を使った。

 その結果、血糊は直径1メートル弱の赤い楕円形を床に描いていた。


「平らな床に液体を垂らせば同心円状に広がっていくはずよ。今回の場合なら、死体を中心にして全方向に血が流れていくはずなのよ」

「死体じゃないけどな」


 すぐ殺人事件にしたがる名探偵に釘を刺しながら、俺は彼女が何を言わんとしているのか考える。

 血だまりは倒れていたおばさんの左側に広がっていて、右側にはさほど血が流れていない。その偏りが血だまりを楕円形に見せていた。


「倒れているおばさんの体が障害物になって、右側へ血が流れていかなかったのか?」

「その可能性もあるわ。けれど私の見立てでは……」


 綺晶が立ち上がり、床に置かれたグラスを指差す。

 俺は彼女に促されるまま、グラスの側に屈み込んで水面を凝視した。


「これを見て何か気づかない?」

「そう言われても、ただのグラスに入った水にしか見えないけど」


 それは何の変哲も無い、八分目まで水が入っているごく普通のガラスのコップだった。


「どうやらヤスの目は節穴のようね。注意深く観察すれば、水面がわずかに傾いていることがわかるはずよ」

「水面が傾いている?」


 俺はグラスに顔を近づけて観察するが……うーん、やはりよくわからない。


「言われてみればそんな気がしなくもないが……。それがどうかしたのか?」

「水面が傾いて見えるということは、グラスが傾いているということよ。床に置いたグラスが斜めに傾いているということは……」

「……床が斜めに傾いている?」


 水準器という、地面に対する角度を計る器具がある。

 建築現場で建物が地面と水平になっているかを確認する際に用いられるものだ。

 この水準器の代用品として水が使われるのは有名な話だ。

 水面の傾きを見て建物が傾いていないかを推し量る……綺晶が言っているのはそれと同じ理屈だった。

 そして、俺はハッとする。

 綺晶が言おうとしていることは、俺がヒントで出そうとした内容そのものだ。

 まさか、綺晶はすでに密室の答えに気づいているのか?

 俺は内心で動揺しながら、しかし表向きは無能な助手を装って、わざとらしく驚いて見せた。


「そうか! 水面が傾いて見えたのは、この部屋の床が傾いていたからなのか! でもそのことと密室にどんな関係があるんだ?」

「どうして床が傾いているのか、思いつく理由を答えなさい」

「……欠陥住宅」

「ハズレ。正解は、床が傾くほど重い物が室内にあるからよ」

「荷物の重みで床板が歪んだ……? でも、この部屋に床が傾くほど重い物があるようには見えないぞ」

「そうね。見たところそれらしき荷物はどこにも見当たらない。ならば、重い物はいったいどこにあるのか」


 綺晶は血だまりが広がっている方向へと歩いて、壁の手前で立ち止まり、拳で壁をコンコンと叩いた。


「答えは、壁の中にある」

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