第16話 密室の中の密室(2)
百目鬼のおばさんの体を毛布でくるみ、担架代わりの板に乗せて、俺は医師の良寛先生と二人がかりで車に運ぶ。
正面玄関から外に出た俺たちは、激しい雨に打たれながら車の後部座席におばさんの体を押し込んだ。
予想以上に雨脚が強く、作業を終えた俺が「こりゃたまらん」と急いで車から離れようとしたとき、座席に押し込まれていたおばさんがむくりと起き上がった。
「ヤスくん、ヤスくん」
「だーっ! なにやってるんですか。おばさんは意識不明の重体なんですから、起き上がらないでください」
「ねえ、もう血糊取っていい? ずっと頭に血をつけたままだから気持ち悪いのよ~」
「もう少しの辛抱です。お願いだから大人しくしていてください」
おっとりマイペースなおばさんを、俺は懸命になだめすかす。
台本では、おばさんは良寛先生と一緒に車で退場することになっている。
後ほど良寛先生から「治療の甲斐無く死亡した」と連絡を受けて、晴れてご臨終となる計画だ。
ちなみにおばさんは、後日、船でこっそり本土に渡る予定になっていた。
死んだはずのおばさんがのほほんと島で暮らしていたら、殺人事件が狂言だったと綺晶にばれてしまうからね。
綺晶は余命半年だから、半年後……綺晶が天寿をまっとうして永遠の眠りにつけば、おばさんも島に戻ることができる。それまでの辛抱だ。
今回の殺人事件では、第一の被害者であるおばさん、第二の被害者であるおじさん、第三の被害者であるおタケさん、そして真犯人として逮捕される
「あとは俺にまかせてください。……それと、おばさんにこんなことをさせてしまって、すみませんでした」
「あらあら、いいのよ。私も楽しかったから~。こちらこそ、ヤスくんの役に立てて嬉しいわ~」
俺が感謝を述べると、おばさんはにこにこと優しく微笑んでくれた。
いい人だよなぁ。
いい人すぎて、俺の手で殺したことに改めて罪悪感が湧いてくるよ。
「それじゃ、ヤスくん。連続殺人がんばってね~」
頭から派手に血を流しているおばさんが、横になりながら手を振っている。
俺は運転席の良寛先生に「よろしくお願いします」と声をかけると、血まみれのおばさんにこっそり手を振って、屋敷に戻った。
※ ※ ※
「そこをどけ!」
「ダメよ。ここを通すわけにはいかないわ」
玄関に戻ると、百目鬼のおじさんと綺晶が押し問答をしていた。
どうやらおじさんが外に出ようとしているのを、名探偵・綺晶が制止しているようだ。
「あんな状態の妻を一人で行かせられるか! わしも山を下りるぞ!」
「それは許可できないわ。容疑者をみすみす逃がすわけにはいかないもの」
「容疑者だと! わしが妻を襲ったと言うのか!」
美少女名探偵からあらぬ嫌疑をかけられたおじさんは、怒りで顔を真っ赤にしながら良寛先生の車を指差した。
「わしが怪しいなら、あの医者はどうなんだ! 家内を連れ出すふりをしてこのまま逃げるつもりじゃないのか!」
山を下りようとしている良寛先生こそ真犯人ではないかと、おじさんがいちゃもんをつける。
なぜ良寛先生を疑わないのかと問われた綺晶は、平然と語った。
「被害者は右後頭部を殴られていたわ。これは、犯人が右利きである証拠よ」
現場の状況から、犯人は被害者の背後から近づき、右後頭部に一撃を加えたとわかる。
つまり犯人は右利きだ。
「私の母は左利きだから、犯人の特徴と一致しないわ」
みんなで寿司を食べていたとき、良寛先生は左手で箸を操っていた。
良寛先生は左利きだから綺晶は容疑者から除外したのだ。
「だ、だが、犯人はたまたま右手で灰皿を掴んだだけかも……」
「灰皿はいつも、扉から入ってすぐ左側にあるテーブルに置いてあったそうよ。犯人が部屋に入るときに灰皿を掴んだのなら、左手で掴むのが自然なはず。つまり犯人は一度灰皿を左手で掴み、それをわざわざ右手に持ち直して殴ったということになる。そんなことをするのは、犯人が右利きだからよ」
綺晶の推理を聞いたおじさんは、反論できずに歯がみする。
そこへ雨音に紛れて良寛先生の叫び声が聞こえてきた。
「出発するわ! あとのことはお願いね!」
綺晶はうなずくと、動き出す車を見守りながら叫んだ。
「あとのことは任せなさい! この事件、名探偵希望ヶ丘綺晶が解決してみせる!」
※ ※ ※
「台風の影響で電話線が切れたようです」
リビングに戻った俺たちに、おタケさんは固定電話が不通になったことを報告した。
「スマホも圏外になってるね~」
双子の妹・蔵子が、スマホの画面を見て圏外になっていることを報告する。
もちろん、これらは雰囲気を盛り上げるための演出だ。
山奥の洋館に閉じ込められ、外は嵐で電話も通じない。まさにミステリお約束のシチュエーション。
ちなみに固定電話は電話線を不良品に交換しただけなので、復旧しようと思えばすぐに復旧できる。
携帯電話は……実はこれが地味に大変だったのだが、島の権力者である父さんに頼み込んで、最寄りの基地局を停止してもらっていた。
山の中にある百目鬼邸はもともと電波の入りが悪く、最寄りの基地局一つが停電しただけで携帯電話は使用できなくなる。
とはいえ基地局を停めたら他の島民にも迷惑がかかるので、主犯の俺としては申し訳ないことこの上ない。
島民の皆さん、本当にごめんなさい。
連続殺人事件が無事に終わったらすぐに復旧させるので、どうか許してください。
「これで俺たちは館に閉じ込められたわけだ。どうする、綺晶」
「とりあえず全員のアリバイを確認しましょう」
「は? アリバイだと?」
この状況で冷静に聞き込みしようとする綺晶に、異を唱えたのは双子の姉・愛子だ。
「まさか綺晶は、私たちの中にお母さんを襲った犯人がいると思ってるのか?」
「ええ、思っているわ」
そう言うと、綺晶は俺たちに背を向けて、振り向きざまにびしっと一同を指差した。
「犯人は、この中にいる!」
一度言ってみたかったんだろうな。
恰好良く決め台詞を放った綺晶は、指差しポーズのまま口元がにやけるのを必死に我慢していた。
名探偵って本当に不謹慎だ。
「え~? 私たちの内の誰かが犯人だなんてありえないよ~」
「私もそうあって欲しいと願っているわ。だからこそ、全員のアリバイをはっきりさせなければいけないのよ」
そう言われてしまうと、頑なに拒絶するのは逆に怪しいと思われかねない。
困惑する一同を誘導するように、俺はあえて自ら口火を切った。
「犯行時刻……つまり、おばさんの悲鳴が聞こえたとき、俺は綺晶と二人で屋敷の見回りをしていた。それは綺晶が証明してくれるはずだ」
「ええ。同時に私のアリバイはヤスが証明することになるわね」
「私と蔵子は、金魚の部屋に遊びに行っていた」
俺に追従する形で愛子がアリバイを主張する。
その言葉を裏付けるように、蔵子が愛子に同調した。
「私と愛子ちゃんは、金魚ちゃんにいろんな服を着せて楽しんでたんだよ~。そうしたら悲鳴が聞こえてきて、金魚ちゃんが真っ先に部屋を飛び出したんだよね~」
女装を強要する双子の魔手から逃げたかったんだな。
俺と綺晶の次に現場に駆けつけたのが金魚だったことを思い出して俺は納得する。
「私は良寛先生と廊下で立ち話をしていました」
メイドのおタケさんが淡々とアリバイを主張する。
良寛先生の確認を取る必要はあるが、ひとまずおタケさんのアリバイも成立したと仮定しよう。
そうなると残るは……。
俺たちの視線が残った一人――百目鬼のおじさんに集中する。
「わ、わしはずっと書斎で本を読んでいたぞ」
「それを証明してくれる人はいるのかしら?」
「なんだと! わしが家内を殺したと言うのか!」
ただ一人アリバイのないおじさんが紅潮した顔で喚き散らす。
その慌てぶりは小物感たっぷりで、疑わしいことこのうえない。
「ふざけるな! わしが家内を殺すはずがない。わしはなにもしていない。これはきっと外部の人間の犯行だ。そうとも、行きずりの強盗が犯人だ!」
「おばさんの部屋に物色された形跡はなかったわ。それともあなたは、行きずりの強盗が嵐の夜に徒歩で山を登り、山奥の屋敷に一切の痕跡を残さず侵入して、おばさんを襲って何も盗らずに逃げたと言うのかしら?」
「そ、それは……」
「犯人は前もって屋敷に隠れていたのかもしれないよ~」
おじさんの窮地に蔵子が口を挟む。
犯人は風雨の激しい山道を登ってきたのではなく、天候が悪化する前から屋敷に潜んでいたというのが蔵子の主張だ。
「きっと犯人は隠れるのがすごく上手なんだよ~。いまも屋敷のどこかに隠れていて、逃げ出すチャンスをうかがっているんじゃないかな~」
「お母さんを襲った犯人がまだ屋敷の中にいるって言うのか?」
愛子が大げさに驚いて、綺晶は「ふぅむ」とうなる。
「……そうね。その可能性がないとは言い切れないわ」
思いのほかあっさりと意見を聞き入れた綺晶は、胸を張って宣言した。
「犯人が屋敷に隠れていないか、今から捜索するわよ」
「一人で見回るなんて危ないだろ。犯人と鉢合わせしたらどうする気だ」
「なにを言っているの? ヤスも一緒に見回るに決まっているでしょう。もしも凶暴な犯人が襲いかかってきたら、あなたが身を挺して私を守るのよ」
当然のような顔で、俺が楯になるのは決定事項だと告げられた。
こうして俺と綺晶は、二人きりで屋敷内を探索することになった。
※ ※ ※
「綺晶が蔵子の言い分をあっさり認めたのは意外だったな。あのままおじさんが犯人だと決めつけるのかと思ったよ」
リビングを後にした俺は、二人きりで廊下を歩きながら綺晶に話しかけた。
「見損なわないで欲しいわね。証拠もないのに犯人だと決めつけたりはしないわ」
「やっぱり蔵子の言うように外部からの侵入者が犯人なのかな?」
「それはありえないわ。これは内部の人間の犯行よ」
言い切られて俺はギョッとする。どうしてそこで断言できるんだ?
「おばさんは後頭部を殴られていた。つまり、犯人を寝室に招き入れ、無防備に背を向けていたということよ。強盗相手にそんなことをすると思う?」
「……いや、思わない」
「状況から考えて、おばさんが心を許していた相手……顔見知りによる犯行よ」
綺晶は立ち止まると、くるりと振り向いて俺を指差した。
「犯人は、私たちの中にいる!」
「いちいち指を差すな」
名探偵っぽいポーズを取りたがる綺晶の手を、俺は叩き落とす。
「それで俺たちはどこに向かってるんだ? 屋敷を見回るんじゃなかったのか?」
「それはあの場を抜け出すための方便よ。いもしない侵入者を探しても無意味でしょう?」
「まだ侵入者がいないと決まったわけじゃ……」
「それよりも問題は密室よ。私の予想では、密室の謎を解けばおのずと犯人の正体に近づけるはずよ」
期待通りと言うか、期待以上と言うか、綺晶は「密室」というシチュエーションに過剰なまでに食いついてきた。
いいだろう。
綺晶が密室の謎に挑むのは、俺としても望むところだ。
ここだけの話だが、俺は密室に罠を仕掛けておいた。
謎を解いたとき、綺晶は俺の仕掛けた罠にはまる。
そうして綺晶は答えの出ない推理の迷宮にはまり込むのだ。
名探偵が終盤になって「私は思い違いをしていた」「大切なことを見落としていた」と気づくのが推理ドラマの鉄則。そうなるように俺が名探偵を誘導する。
――名探偵を罠にはめ、真犯人の俺が間違った推理へと誘い、導く。
これぞミステリの醍醐味、探偵と真犯人の知恵比べ。
いくぞ綺晶、俺と推理勝負だ!
真犯人の俺が名探偵を出し抜いてミスリードさせてやる!
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