第11話 成金男と赤いドレスの女(3)

 台本では、夕食の席で五つの情報を綺晶に聞かせることになっている。

 ミステリで言うところの「伏線」で、会話の中に事件の謎を解くヒントをさりげなく混入するのだ。

 ――今夜、俺たちが開示するヒントは五つ。


 一、百目鬼家は夜神島の山地の大部分を買い占めた。

 二、百目鬼家の会社に多額の融資をしたスポンサーがいる。

 三、おタケさんは東京出身。

 四、百目鬼家の前任の家政婦は、十五年前に黄泉隠しにあって行方不明になった。

 五、夜神島には「黄泉の入り口から死者が蘇る」という伝説がある。


 これらの情報を、いかにさりげなく会話に盛り込むかが今夜の肝だ。

 緊張して心臓が早鐘を打ち始める中、俺は素知らぬ態度で仲間を見渡す。

 頼むぞ、みんな。

 俺の書いた台本通りにやれば大丈夫だから。

 落ち着いて、綺晶に怪しまれることなく、自然体で伏線をばらまくんだ。



※ ※ ※



「わしのおごりだ。遠慮せずに食べなさい」


 百目鬼のおじさんが、「おごり」を強調しながら食事を促す。

 テーブルには出前用の寿司桶に入った特上のにぎり寿司が置かれている。

 おじさんの感性では、これが最上級のごちそうのようだ。


「君たち庶民の財布ではこんな贅沢なものは滅多に食べられないだろう。わしのおごりだから、心ゆくまで味わうといい。わっはっはっ」


 しきりに「おごり」を強調するおじさん。

 容疑者の中に嫌味なやつがいるのがミステリの定石だ。

 そこで「嫌味な金持ち」という役回りを百目鬼夫妻にお願いしたのだが……どうにもおじさんは感性が庶民的すぎる。

 人選を誤ったかな、と思いながらはす向かいの席を見ると、女装少年の金魚が青ざめた顔でガチガチに体をこわばらせていた。

 どうした金魚? 体調でも悪いのか?

 心配する俺に、顔面蒼白の金魚が目で訴える。


 ――どうしよう、緊張して吐きそうだよ。


 俺が書いた台本では、金魚が会話の口火を切ることになっていた。

 大事な場面での第一声という大役を任された金魚は、緊張のしすぎで今にも卒倒しそうだ。

 前途多難な幕開けに俺が頭を抱えていると、ウニの軍艦巻きに手を出していた美少女探偵・綺晶が思い出したように顔を上げた。


「そういえば、風の噂で聞いたのだけれど」


 綺晶は軍艦巻きに乗っているウニだけを食べ、残ったしゃりを寿司桶に戻す。


「百目鬼さんは本土で事業を興して成功を収めたそうね。良ければどんな事業を行っているのか教えてもらえないかしら」

「いいだろう、わしのサクセスストーリーを聞かせてやろう!」


 金魚の様子にやきもきしていたおじさんが、渡りに船とばかりに話題に食いつく。

 この後、おじさんは自身のサクセスストーリーを虚実織り交ぜて熱く語ったのだが、ほとんどが自慢話なのでここでは要点だけを解説しよう。


 おじさんの事業は一言で言うと「深海魚の流通・販売」だ。

 海で漁をしていると、まれに深海魚が網にかかることがある。かつてはそういった深海魚のほとんどが、釣ったそばから海に捨てられていた。

 だが、ある深海魚は地域によっては滅多に食べられない「幻の魚」として高値で取引されていた。

 また、学術的価値が高い深海魚は生きたまま水族館や研究機関に売れば一匹で数百万円の値がつくこともあった。

 深海魚は生きた海の財宝でもあったのだ。

 そこに目をつけた百目鬼のおじさんは、全国津々浦々の漁港に協力を取り付け、いつどこでどんな深海魚が釣れるかをデータベース化。

 最新の海洋研究と地元漁師の経験則、そこに膨大な釣果データを組み合わせて、それまで運任せだった深海魚の捕獲を「指定された深海魚を高確率で釣り上げる」という独自の技術へと向上させた。

 ここに「注文を受けた深海魚を捕獲して良好な状態で全国各地にお届けする」という深海魚専門の流通・販売システムが誕生したのだ。


「今まで捨てていた魚が高値で売れて漁師も嬉しい。今まで手に入らなかった珍しい深海魚が入手できてユーザーも嬉しい。全員が喜ぶウィンウィンの関係を構築したのだよ」


 折からの深海魚ブームも追い風となり、事業は大躍進。

 おじさんの深海魚捕獲・運搬事業は日本のみならず、世界中の深海魚市場から注文を受けるまでに成長した。

 ニッチな市場を宝の山に変え、それを独占する。

 かくて百目鬼家は一代で一財産を築いたのである。

 ……と鼻高々で自慢話をするおじさんだが、最初から順風満帆だったわけじゃない。

 事業が軌道に乗るまでには多大な苦労もあった。


「深海魚はとてもデリケートな生き物でね。普通の漁船では水揚げされても陸に着くまでに八割方が死んでしまう。しかも気圧の変化に弱いので飛行機で運ぶことができない。これを生きたまま長距離輸送するには特殊な水槽を開発する必要があった。だが事業は赤字続きでなかなか設備を整えられなくてね」


 おじさんが語る苦労話を、綺晶は相づちを打ちながら聞いている。

 綺晶は軍艦巻きに乗っているウニだけを取り分けながら話の先を促した。


「資金が底をついて諦めかけたとき、出資してくれるスポンサーが現れたのだ。そこでわしは出資金をすべて設備投資に注ぎ込む賭けに出た。賭けは当たり、ようやくわしは事業を軌道に乗せることに成功したのだ」


「こうしてわしは大金持ちになったのだ。わっはっは!」と最後は金持ち自慢になっておじさんの話は終了した。

 実に成金らしい、大いばりの自画自賛だ。


「百目鬼さんは本土で仕事をされているのに、どうして離島に住んでいるのですか?」


 良寛先生が質問しながら、左手で箸を使い、ネタのない軍艦巻きを自分の皿へと運ぶ。

 どうやら綺晶が寿司桶に戻した軍艦巻き(だったもの)を良寛先生が処分するようだ。


「なぜ離島に住んでいるかだと? 決まっているだろう。わしが夜神島を愛しているからだ」


 それまで立て板に水で自慢話をしていたおじさんが、急に台本通りにしゃべろうとしてぎこちなく言葉を選ぶ。


「かつて夜神島にリゾート業者が押しかけてきたことがあった。やつらはリゾート開発の名目で島の自然を破壊しようとしたのだ。そこでわしはこの辺り一帯の山を買い占め、ここに家を建てて暮らすことにした」

「百目鬼さんが私有地にすることで、開発業者の魔手から島を守ったんですね」

「その通り。わしは夜神島を救った英雄というわけだ、わっはっはっ」


 なんとか台詞を言い終えたおじさんは、食事中だというのに葉巻を取り出して、一服しようと葉巻の先端をカッターで切断した。

 棚に置かれていた高さ30センチほどの自由の女神像を手に取ったおじさんが、葉巻を持ったまま像の台座にあるスイッチを押す。

 ゴー。

 自由の女神のたいまつから、青白い火柱が勢いよく立ち上った。

 おじさんは無駄に火力の強いガスライター(ターボライターというらしい)で葉巻に火をつけると、


「オイルライターは匂いがキツくていかん。葉巻の風味を楽しむなら、やはりガスライターに限るげほっ、げほげほっ」


 成金らしくうんちくを垂れながら葉巻を吸ったおじさんは、むせて涙目になってすぐに灰皿に葉巻を置いた。慣れないことをするから……。


「こ、この辺りの山といえばっ!」


 おじさんがにわか成金ぶりを披露していると、急に金魚が甲高い叫び声を上げた。


「や、や、山には黄泉の入り口があるという言い伝えがあるんだよね。黄泉の入り口と聞くと日本書紀を思い出すよね。イザナギが死んだ妻を生き返らせるために、黄泉の入り口から冥界に入って妻の魂を連れ戻そうとしたんだよね。黄泉の入り口は死者の世界と生者の世界をつなぐ道なんだよね。ひょっとしたら黄泉の入り口から死者が生き返ってくるかもね」


 ぎくしゃくと全身をこわばらせた金魚が、恐ろしいほどの棒読みで説明台詞をまくしたてる。

 一応台詞は台本通りだが、不自然さばかりが際立って俺はめまいがする思いだ。


「よ、黄泉の入り口なんて迷信ざます。死者が生き返るなどありえないざます」


 金魚の緊張が伝染したのか、百目鬼のおばさんが固い表情で反論する。

 台本通りのやり取りなのに、ハラハラして見ているこちらまで息が詰まりそうだ。


「ところでヤスくん。君はまだ東京に行きたいと言っているのかね?」

「えっ? ええ、まあ」


 突然話を振られた俺が、動揺しながらうなずく。

 金魚がぶった切った流れを元に戻そうと、おじさんなりに考えて話題を変えたのだろう。

 とはいえあまりに唐突すぎる。

 もっと自然に会話しようよ。

 そう目で訴える俺だったが、見た目によらずいっぱいいっぱいだったおじさんは気にも留めてくれなかった。


「鬼村は今もヤスくんの上京に反対しているのかね?」

「はい。父さんは俺がミステリ作家を目指すのが気に入らないから……」

「ヤスは作家になるつもりなの?」


 綺晶が中トロを手元に寄せながら俺に尋ねる。

 右手でネタをつまんで持ち上げた綺晶は、内側にわさびが塗られているのを確認して、中トロをそっと元の場所に戻した。


「綺晶には話してなかったかな? 俺は東京に出てプロのミステリ作家になりたいんだ」

「一度言い出したらきかないところは、強情な父親そっくりだな」


 おじさんはため息をつくと、葉巻を吸い、今度はむせずに紫煙を吐き出した。


「率直に言わせてもらうと、わしもヤスくんの上京には反対だ。ヤスくんも来年は高校生だろう? 叶わない夢などあきらめて、もっと現実を見てはどうかね?」


 こんな台詞を台本に書いた覚えはない。

 つまりこれはおじさんのアドリブだ。

 そしておそらく、おじさんの本心でもあるのだろう。


「叶わないかどうかは、やってみなければわからないと思います」

「やらなくてもわかる。それよりも早く鬼村家の家督を継いでお父さんを安心させなさい。これからの夜神島を支えるのは鬼村家の跡取りである君の役目だ」

「夜神島を支えるだなんて、俺はそんな器じゃありません」

「いいや、君には見所がある。そうでなければ困る。なにしろ、ゆくゆくは愛子と結婚してわしの会社を引き継いでもらうのだからね。わっはっはっ」


 何でも自分の思い通りになると信じて疑わないワンマン成金社長。実に憎たらしい、いい芝居だ。

 ……芝居だよね?


「私はヤスくんの夢を応援するよ~」


 和やかな声で会話に割り込んできたのは蔵子だ。


「結婚なんて親同士が勝手に言ってることだから、無理に従わなくてもいいと思うよ~。あ、でも婚約解消したら愛子ちゃんは泣いちゃうかもしれないね~。それは嫌かな~」

「な、なに言ってるんだ。そんなことで私が泣くわけないだろ」


 愛子がムキになって言い返す。

 夢を諦めるつもりのない俺が複雑な思いでいると、綺晶がぽつりとつぶやいた。


「東京へ行きたいならそうすればいいわ。外野がどう言おうと決めるのはあなたなのだから、ヤスは自分の思う通りにやりなさい」

「よそ者が島の問題に口出ししないでもらおう」


 俺の東京行きを後押しする綺晶に、おじさんが不機嫌顔で絡む。

 これも芝居……だよな?


「あら、私も夜神島の一員なのだけれど。よそ者だなんて心外だわ」

「黙れ! ヤスくんは愛子と結婚して私の跡継ぎになるのだ!」

「あなたに彼の未来を決める権利はないわ。私はヤスの夢を応援する。夢を叶えるチャンスがあるならチャレンジするべきよ」


 真っ向から反発した綺晶が、そっと目を伏せる。


「……世の中には、チャレンジしたくてもできない人間だっているのだから」


 綺晶のつぶやきを聞いて全員が黙り込む。

 名探偵になる夢を抱いている綺晶が、残り半年の命であることを、この場にいる誰もが知っていた。

 そうして気まずい空気のまま、夕食の時間はまもなく終わりを告げようと……。

 ……って、ちょっと待て。

 まだ伏線を全然消化できていないぞ!

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