第10話 成金男と赤いドレスの女(2)

 山の中にある古びた洋館――百目鬼邸の玄関へ行くと、明るい色のパンツスーツを着た女医の良寛先生と、その娘である中学校の制服を着た綺晶が、肩についた雨の滴をハンカチで払い落としていた。


「こんばんは、ヤスくん。それにあなたが愛子さんね。初めまして」


 良寛先生に挨拶された愛子が「初めまして」と礼儀正しく受け答えする。

 荷物を預かったメイドのおタケさんがリビングに誘導すると、愛子は並んで廊下を歩きながら綺晶に話しかけた。


「雨脚が強くなってきたな。ここまで来るのは大変だったんじゃないか?」


 見れば、両開きの窓が強風でガタガタと揺れている。

 天気予報通り、台風の接近により風雨は順調に激しさを増していた。


「そうね。母の車で来たのだけれど、山道がぬかるんで大変だったわ。これ以上雨がひどくなると帰り道は厳しいかもしれないわね」

「そうなったらうちに泊まっていけばいいよ」


 宿泊を薦められた綺晶が戸惑った表情を見せる。

 綺晶が遠慮するなんて珍しい……と思っていたら、彼女は俺に近づいて小声でささやいた。


「ヤスに聞きたいのだけれど、今の愛子の言葉は社交辞令かしら? ここで私が泊まりたいと言ったら『こいつ社交辞令を真に受けやがった』とか思われたりしないかしら?」

「……この屋敷に泊まりたくないのか?」

「泊まりたいに決まっているじゃない! 絶海の孤島で嵐の日に不気味な洋館に泊まれるなんて、探偵冥利に尽きるというものよ!」

「不気味な洋館で悪かったな」


 愛子が口を挟み、自然と声が大きくなっていた綺晶が「そういうつもりで言ったわけでは……」と慌てて失言を撤回する。


「でも、赤の他人の私が泊まってもいいのかしら?」

「赤の他人? 綺晶は友達だろ。友達を家に泊めるのは普通だっての。それとも、綺晶は友達の家に泊まったことがないのか?」

「…………ないわ」


 愛子の冗談めかした質問に、綺晶が真顔で答える。

 わかっていたことだが、綺晶は人付き合いがあまり得意ではないようだ。

 シャーロック・ホームズ然り、名探偵は大抵がエキセントリックな性格なので、凡人と友情を育むのは難しいのかもしれない。


「だったら、今日を『初めて友達の家に泊まった日』にすればいい」


 愛子が気さくに笑い、綺晶は緊張の面持ちで母親の顔色をうかがう。

 良寛先生が微笑みうなずくと、綺晶はようやく表情をゆるめた。


「では、そうさせてもらおうかしら」


 平静を取り繕いながら、しかし興奮を隠しきれない様子で、綺晶が今夜の宿泊を決断する。

 友達の家に初めてお泊まりするのを、綺晶は緊張しつつも楽しみにしているようだ。

「綺晶にも可愛いところがあるじゃないか」と俺は和みながら、心の中で連続殺人への意気込みを新たにしていた。

 綺晶の初めてのお泊まり。思う存分おもてなししてやるよ。へっへっへっ。

 悪だくみをしながらリビングに入ると、恰幅の良い男性と、モデル顔負けのスマートな長身女性が俺たちを待ち構えていた。

 洋館の主である百目鬼夫妻の登場だ。

 久しぶりに見たおばさんは、背中が丸見えな真紅のパーティドレスに、金ぴかのピアスやら首飾りやら指輪やらでゴージャスに着飾っていた。


「おーほほほ! よく来たざます。私はお二人を歓迎するざます」


 端の尖った真っ赤なメガネをかけたおばさんが、ざます言葉で綺晶たちを迎え入れる。

 おばさんの名前は百目鬼千恵子。

 双子の姉妹・愛子と蔵子の実母であり、和服の似合うお淑やかな大和撫子……のはずなのに、しばらく会わない間にいったい彼女に何があった!?

 おばさんの変わりように唖然とする僕の横では、愛子がぽかんと口を開けて立ち尽くしていた。どうやら愛子にとっても予想外の事態のようだ。

 もしかして、俺が台本に「百目鬼夫妻は成金趣味」と書いたから?

 おばさんは台本通りに成金を演じてくれているのか?

 だとしたら、はっきり言ってありがた迷惑だ!

 俺と愛子が凍り付いていると、高級スーツに蝶ネクタイという出で立ちのおじさんが、やたらと大きな葉巻をふかしながら良寛先生に近づいた。


「私が当主の百目鬼抄造だ。あんたが島に来たという医者かね?」

「はい。希望ヶ丘良寛です。こっちは娘の綺晶で……」

「診療所の使い心地はどうかね? あそこにある医療器具のほとんどは私が寄付したものでね。いや、礼は結構。なにしろ金なら腐るほどあるからな。わっはっはっ」


 嫌味だ! 嫌味な成金だ! でもいろいろ間違ってる気がする!

 俺がハラハラしながら見守っていると、さすがの綺晶も気を遣ったのか、声を潜めて愛子にささやいた。


「愛子のご両親はいつもこんな派手な格好をしているの?」

「えーと……」


 愛子が言葉に詰まっていると、おばさんが羽根のついた扇子をバッと広げ、口元を隠して高笑いを始めた。


「そうざます! これが私たちの普段着ざます! おーほほほ!」

「わっはっはっ! 二人とも今日は泊まっていくといい。見ての通り我が家は豪邸だ。部屋なら有り余っているから自由に使いたまえ。ただし、調度品は壊さないように気をつけることだ。庶民には一生かかっても弁償できない額だからな。わっはっはっ!」

「おーほほほ!」

「わっはっはっ!」

「……蹴りたい」


 愛子がぽつりとつぶやいた一言を俺は黙って聞き流す。

 高笑いする嫌味な成金夫婦と、いろんな感情が渦巻いて声の出ない俺たち。

 そんな膠着状態を打ち破ったのは、音もなく現れたおタケさんだった。


「旦那様。金魚かなめさんが到着されました」


 おタケさんが脇に下がると、俺の同級生である中性的な少年の金魚が、女装したピンクのフリフリドレス姿で入室してきた。


「こんばんは、おじさん、おばさん。ご無沙汰してま――」

「おーほほほ! 金魚さん、お久しぶ――」


 かたや数日前まで男の子だった金魚と、かたや昨日まで貞淑な和服美人だったおばさんが、互いの姿を見て絶句する。

 そうだよな。二人は顔見知りなんだから動揺するよな。


「金魚さん。あなた、変わったわね」


「おばさんもね!」と叫びたい衝動をぐっと堪え、俺は成り行きを見守る。

 妙な緊張感が漂う中、沈黙を打ち破ったのは、続いて入室してきた蔵子だった。


「みんなどうしたの~? いつまでも立ち話してないで、ほら座って座って~」


 朗らかな声で蔵子が着席を促す。

「ヤスくんもどうぞ~」と自然に席を勧められ、気がつくと俺たちはテーブルを囲んで歓談をする態勢になっていた。

 ありがとう、蔵子。助かったよ。

 俺が目で合図を送ると、蔵子は朗らかに微笑んだ。

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