第9話 成金男と赤いドレスの女(1)

「いらっしゃいませ」


 ぱらぱらと小雨が降る中、舗装されていない凸凹の激しい山道を徒歩で登り、山の中腹にある百目鬼家のお屋敷にたどり着いた俺を、家政婦のおタケさんが出迎えてくれた。

 俺が指示した通り、今日のおタケさんはロングドレスのメイド服を着用している。

 年上でメガネ美人のおタケさんには、ビクトリア朝のシックなメイド服が良く似合う。


「早かったですね。約束の時間までまだ一時間以上ありますよ」

「計画殺人は下準備が大切だからね」


 俺は濡れた傘を玄関脇の傘立てに刺すと、持参したスポーツバッグを肩に担ぎ直す。


「みんなは?」

「まだお見えになられていません。ヤスさんが一番乗りです」

「じゃあ、みんなが来る前に殺人の準備を済ませるかな」


 小さい頃から屋敷に入り浸っている俺は、建物のどこに何があるか熟知している。

 俺は我が物顔で廊下を進もうとして、


「おっと、忘れるところだった。これをおタケさんに渡しておくよ」

「まあ、私にラブレターですか?」

「違うよ。ちゃんと台本に書いてあっただろ」

「ええ、わかっていますよ。ほんの冗談です」


 おタケさんは楽しそうに答えると、手渡された封筒をメイド服のポケットにしまった。

 俺は今度こそ準備を整えるべく廊下を進……もうとして、再度振り返る。


「おタケさん。そのメイド服、似合ってるよ」

「ありがとうございます」


 コスプレだとか言っていたくせに、おタケさんはまんざらでもなさそうな顔で、メイド服のスカートをつまんでお辞儀した。



※ ※ ※



「おタケさんに気色悪い服をプレゼントしたのはお前か」


 グランドピアノのある音楽室で殺人の下準備に励んでいると、えんじ色のジャージ上下を着た愛子が現れていきなりそんなことを言い出した。


「気色悪いなんておタケさんに失礼だろ」

「あのなあ。おタケさんと言えば田舎くさいもんぺにエプロン姿なんだよ。長年一緒に暮らしてきたけど、もんぺ以外のおタケさんなんて見たことなかったんだよ。それがあんな可愛らしい服を着て、気色悪いったらありゃしない!」

「もう一度言うぞ。気色悪いなんておタケさんに失礼だろ」


 俺はCDプレーヤー、アンプ、スピーカーで構成されたオーディオセットの背面をいじりながら、口の悪い愛子をたしなめる。


「そういう愛子も、たまには女らしい服装をしてみたらどうだ?」

「嫌だよ、気色悪い」


 年がら年中ジャージを着ている愛子は可愛い恰好に抵抗があるようだ。

 可愛いおタケさんだけでなく、可愛い自分まで「気色悪い」と断じる辺りは公正明大だと言えなくもない。


「愛子っていつも同じ色のジャージを着てるよな。同じジャージを何着も持ってるのか?」

「うるさいな。気に入ってるんだからいいだろ。それよりさっきから何してるんだ」

「ちゃんと台本にも書いてあっただろ。スピーカーの中に道具を隠してるんだよ。殺人に使う凶器を肌身離さず持ち歩くわけにはいかないからな」


 俺はスピーカーの角にマイナスドライバーを突っ込むと、慎重に裏板を引っぺがす。

 CDプレーヤーの左右に備え付けられた箱形スピーカーの内側は、円形のスピーカーユニットとわずかな吸音材が入っているだけの、がらんどうな空間になっていた。


「知ってたか? スピーカーって中身は空洞なんだぞ」


 しゃべりながら、俺はスポーツバッグから取り出した「白塗りの仮面」と「黒いマント」をスピーカー内部に押し込む。


「ちょっと待った。その仮面とマントは殺人に必要な道具なのか?」

「なに言ってるんだ。殺人鬼の必需品だろ」


 殺人鬼の情緒がわかっていない愛子のために、俺はその場で仮面を装着して黒マントを羽織ってみせた。

「ふははは」と高笑いしながら、俺はマントをばっさばっさと翻す。


「どうだ、怪しいだろう! 殺人鬼っぽいだろう!」

「はいはい怪しい怪しい」


 渋い顔で愛子が答えたので、俺は「素人にこのロマンはわからないか」と嘆きながらマントと仮面を外した。

 気を取り直して、俺は残りの荷物をスピーカーに押し込む。


「なあ、凶器を隠すならあの部屋を使えばいいんじゃないか? あそこに隠しておけば誰にも見つからないだろ」

「あの部屋? ……ああ、あそこか」


 愛子が言っている場所がどこのことなのか、俺はすぐに思い至った。

 子供の頃はこの広い家でよくかくれんぼをして遊んだからね。屋敷の造りなら隅々まで体に染みついている。


「あの場所に隠すことは俺も考えたけど、結局やめにしたんだ」

「どうして?」

「台本に書いてあっただろ。あの場所を使ったトリックで名探偵を騙す予定なんだよ」

「あ、そっか。それじゃ荷物は置いておけないな……」

「それに、絶対に見つからない場所に隠すなんて邪道だろ。答えは目の前にあるのに、盲点になっていて誰も気づかない意外性がミステリの醍醐味じゃないか」

「そのこだわりはよくわからないけど……」

「このCDコンポは壊れていて音が出ないんだ。音が鳴らないからスピーカーの中に物が入っていても誰も気づかない。証拠が目の前にあるのに目に留まらないなんて、いかにもミステリっぽくて面白いだろ?」

「そういえばCDプレーヤーは壊れていたな。何年も使ってないから忘れてた」

「おいおい。音楽室を一番多く使ってるのは愛子だろ。しっかりしろよ」


 細かいことを気にしない大雑把な性格の愛子だが、こう見えてピアニスト志望で、ピアノを弾くときは繊細で正確な演奏をするから不思議なんだよな。

 スピーカーに荷物を詰め込んで裏板を元通りに張り付けながら、なんとなく俺は、愛子の演奏を初めて聴いた日のことを思い出していた。

 ……あの日の衝撃は今でもはっきり覚えている。


「ヤス? どうかしたのか?」

「ちょっと昔を思い出していたんだ。お前が初めて俺にピアノを弾いてくれた日のこと、覚えてるか? あの曲はたしか……」

「ジムノペディ」


 ぶっきらぼうに愛子が答える。

 エリック・サティはフランスの作曲家で、「ジムノペディ」は彼の代表作とも言えるピアノ独奏曲だ。

 とてもシンプルで、旋律と旋律の間にある静寂が美しい曲である。


「小学生が聞くには退屈な曲だけど、あのときはなぜだかすごく感動したんだよな。あの後から愛子は本格的にピアノをやり始めて……」

「昔の話はもういいだろ」


 昔話が恥ずかしいのか、愛子は強引に話を遮ると部屋の入り口を顎で示した。

 そこには俺たちを呼びに来たらしい双子の妹・蔵子が、微笑みながら立っていた。


「ヤスくん、いらっしゃい。お父さんがリビングで待ってるよ~」

「おじさんが?」


 そういえば、おじさんとは一年近く会っていないんだよな。

 おじさんのことがあまり得意ではない俺は、何を言われるのかとびくびくしながら音楽室を後にした。



※ ※ ※



「やあ、よく来たね。また背が伸びたんじゃないか?」


 リビングに入ると、丸々と肥え太ったえびす顔のおじさんが俺を歓迎してくれた。

 愛子と蔵子の実父であるおじさんの名前は、百目鬼抄造どめき しょうぞう

 本土でベンチャー企業を興して成功したワンマン社長だ。

 身長はさほど高くないが、横幅があるので体が大きく見える。

 今日のおじさんは黒のスーツに蝶ネクタイという出で立ちで、ずんぐりむっくりとしたスーツ姿には何とも言えないユーモラスさがあった。


「今日のために一張羅を着てみたんだ。決まっているだろう?」


 蝶ネクタイの位置を整えながら自慢げにスーツを見せつけるおじさん。

 樽のような体型と白と黒のコーディネートから「ペンギンみたいだ」と思ったが、その感想は胸の奥にそっと仕舞っておくことにしよう。


「今日は無理を言ってすみません」

「そんなにかしこまらなくていいよ。将来は愛子と結婚して私の息子になるんだ。遠慮することはない。なんなら私のことは『お父さん』と呼んでくれても構わないぞ」

「そういうのやめろよ」


 愛子が嫌そうな声で釘を刺す。

 俺がおじさんを苦手にしている理由。それは、すぐに俺と愛子の結婚話を持ち出すからだ。

 恥ずかしいからほんとやめて欲しい。


「おばさんは一緒じゃないんですか?」

「家内なら部屋で台本を読んでいるよ。ヤスくんの書いた台本、なかなか面白いね」

「ありがとうございます。おじさんの家を勝手に殺人事件の舞台にしてすみません。それに、二人には殺される役までお願いしてしまって……」

「構わんよ。こう見えてわしは二時間サスペンスドラマが大好きでね。年甲斐もなくわくわくしているんだ」


 わっはっはっ、と陽気に笑う上機嫌なおじさん。

 外見は似ても似つかないが、このノリの良さは間違いなく愛子の父親だ。


「ところで、台本ではわしが『成金趣味のイヤミな親父』の役となっているが、ヤスくんの目にはわしがそんなふうに見えているのかね?」

「そういう意味じゃないんです。すみません。ほんとにすみません」


 俺が平謝りしていると、おじさんは「冗談だ」と歯を見せて快活に笑った。


「今日は『成金趣味のイヤミな親父』を精一杯演じてみせるから、楽しみにしていたまえ。……ところで鬼村は元気かね? あいつはまだヤスくんの上京に反対しているのか?」

「はい。俺に家業を継ぐ気がないのが、父さんは気に入らないみたいです」

「あいつは頑固だからな。まあ、鬼村の気持ちもわからんではないが」


 百目鬼のおじさんと俺の父さんは、夜神島で幼少期を共に過ごした幼馴染みであり、親友同士だ。

 堅物の父さんと軟派なおじさんでは水と油ほど性格が違うのに、二人は自分の子供同士を結婚させようとするほど仲が良かった。


「実を言うと、わしもヤスくんの上京には反対なのだがね。島に残り、ゆくゆくは愛子と結婚してわしの跡を継いでくれれば百目鬼家も安泰……」

「旦那様」


 またしても結婚話に持って行こうとしたおじさんを止めたのは、メイド服を華麗に着こなしているおタケさんだ。


「希望ヶ丘様がいらっしゃいました」

「おお、そうか。リビングにお通ししなさい。わしは家内を呼んでこよう」


 俺との会話を切り上げたおじさんが、おばさんの寝室へと消えていく。

 残された俺は愛子と顔を見合わせ、「やれやれ」と両手を挙げるジェスチャーをして、美少女名探偵を出迎えるべく玄関に向かった。

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