第8話 暴風前夜(3)

 ――とある週末の朝。

 連続殺人の準備が忙しくて寝不足君の俺は、イヤホンを耳に付けて、スマホ片手に通学路を登校していた。

 キャー!

 突然イヤホンから女性の悲鳴が聞こえてきて、俺はびくっと体を震わせ、すぐさまスマホの画面を確認する。


「悲鳴がくるとわかっていても驚いちゃうな……。3、2、1……よし消えた!」


 スマホの電源が勝手にオフになり、画面が真っ暗になる。

 あらかじめタイマーで電源が切れるように設定しておいた俺は、スマホが予定通りの動きをしたのを見て小さくガッツポーズをした。

 昨夜、インターネットでフリー素材の音源「若い女性の悲鳴」をダウンロードした俺は、その音源を使ったアリバイトリックを実現するため、音源の編集やタイミングの微調整に腐心していた。


「タイミングが早すぎても遅すぎてもダメだからな。悲鳴が聞こえた直後にスマホの電源がオフになるように、何度も練習して体でタイミングを覚えないと」


 完璧な殺人トリックを実現するには地道な反復練習が肝要。

 きっと漫画やミステリ小説の犯人は、人の見ていないところでこんな風に地道にトリックの練習をしていたに違いない。完全犯罪は一日にしてならずだ。

 俺はスマホの電源を入れてロック画面を解除すると、再度練習を行った。

 そうして殺人トリックの練習を積み重ねながら学校に到着した俺は、教室に入って……大量のフリルで装飾されたピンクのドレスを華麗に着こなす、お姫様のように可憐な美少年を目撃した。


「……ぷぷ」

「あーっ! 笑った! むりやりやらせたくせに、ひどいよ!」


 同級生の病弱な美少年・金魚が、泣きそうな顔で猛抗議する。

 恥ずかしさで頬を赤くする美少年は、お姫様ファッションとの相乗効果で非常に可愛らしい。


「悪い悪い。予想以上に似合っていたから……。いいよ、ばっちりだ!」

「褒められても嬉しくないよ!」


 童顔の金魚が涙目になりながら怒る。やっぱり可愛らしい。


「すごいでしょ~。私が全身コーディネートしたんだよ~」


 かたわらでうふふと微笑む双子の片割れ・蔵子へ、俺は「グッジョブ!」と親指を立てて見せた。


「コスプレ好きの蔵子に頼んで正解だったよ。それにしても上手く化けたもんだな」

「これでもほとんどノーメイクなんだよ~。やっぱり素材がいいと違うよね~」

「うんうん。さすが金魚だ。俺の目に狂いはなかった」


 感心しながら、俺は生まれ変わった金魚をまじまじと眺める。

 見られることに慣れていない金魚が照れくさそうにモジモジするが、それがまた可愛くて……。

 あれ? よく見たら金魚の胸、少し膨らんでいないか?

 気になった俺は、無造作に手を伸ばして金魚の胸を鷲掴みにした。むに。


「なにやってんだ、おらー!」


 突如湧いて出た愛子が、猛烈な勢いで俺の太ももにローキックをぶちかます。

 丸太で殴られたような激痛を受け、俺は駒のように回転しながら金魚から離れた。


「痛――っ! いきなり何するんだ!」

「それはこっちの台詞だ! この破廉恥野郎!」

「男の胸をさわっただけだろ! なに怒ってるんだよ」

「金魚は男だけど、今は男じゃないんだよ! この変質者!」

「ちなみに~。金魚くんは胸にパットを入れてるんだよ~。このパットは愛子ちゃんがこっそり買っておいたものを――」

「う――わ――!!」


 さっきまで俺に食ってかかっていた愛子が、マッハの速さで蔵子の口を塞ぐ。

 そうか、愛子がパットを……。お前、気にしていたんだな。

 双子なのに蔵子はばいんばいんで愛子はつるんぺたんだもんな。格差社会とはかくも厳しいものなのか……。


「やめろ! そんな哀れむような目で見るな!」


 婚約者の乙女な一面を知ってしみじみする俺と、妹の口を塞ぎながら怒鳴り散らす愛子。

 いつもと変わらぬ賑やかな朝の光景だ。


「おはよう。今日も朝から騒がしいわね」


 そんな騒がしい教室に、綺晶が颯爽と現れた。

 綺晶が着ている紺のブレザーは、彼女がかつて通っていた都会の中学校の制服だ。

 綺晶の弁によれば「制服を着ていないと学校に来た気がしない」とのことだが、うちの学校は私服なので小洒落た制服は浮きまくっていることこの上ない。


「ねえ、ヤス。もしかして彼女が噂の名探偵?」


 見知らぬ制服美少女の登場に、金魚が緊張で顔をこわばらせる。

 安心しろ金魚。確かに綺晶は美少女だが、お前も見劣りしていないぞ。

 対する綺晶も初対面の金魚に気づき、ピンクのフリフリドレスを見て眉間にしわを寄せた。


「綺晶に紹介するよ。こいつは赤子川金魚。俺の幼なじみだ。ずっと学校を休んでいたけど、今日からまた登校してきたんだ」


 俺が間に入って金魚を紹介すると、綺晶は「ふぅん」とつぶやき、右手を差し出した。


「転入生の希望ヶ丘綺晶よ。よろしく」

「よ、よろしく」


 二人が友好の握手を交わす。

「綺晶って初対面の人と必ず握手をするよな」などと考えていると、彼女は金魚の外見をじろじろと観察し始めた。

 まさか、もう男だと気づいたのか?


「どうしたんだ? 何か気になることでもあるのか?」

「たいしたことじゃないわ。彼女の肌の色がやけに白いと思っただけよ。私も肌の白さには自信があるけれど、金魚はそれ以上ね」


 初対面なのに名前を呼び捨てにしながら、綺晶は握手したまま金魚の腕を凝視する。


「……なるほど。赤子川金魚。あなたは病院への入退院を繰り返しているわね。ずっと学校を休んでいたのも、最近まで本土の病院に入院していたからかしら」

「そ、その通りだけど、どうしてわかったの?」

「肘の内側に特徴的な青アザがあるわ。これは点滴を繰り返し行った痕ね。最近まで入院していた証拠よ」


 綺晶が金魚の右腕をひねり、肘の内側を露にする。

 綺晶の言葉通り、そこは注射痕によって肌が青く変色していた。


「病的なまでに白い肌を見れば、金魚がこれまでずっと日焼けを避ける生活をしてきたことがわかるわ。つまり、金魚は何らかの理由で屋内にいることが多かった。腕の注射痕とあわせて考えれば、彼女が頻繁に入院していたことは容易に想像がつくわ」


 相変わらずの名推理だ。

 俺は綺晶の観察眼に感心しつつ、おそるおそる尋ねた。


「……それで?」

「それだけよ」


 綺晶がきょとんとした顔で俺を見る。

 よし! よし!

 さすがは夜神島でもっとも女装が似合う男!

 綺晶の観察眼を持ってしても、金魚の性別を見抜くことはできなかった!

 綺晶はまごう事なき名探偵だが、だからといってすべてを見通せるわけじゃない。

 綺晶にだって見抜けないことはある。美少女に変身した金魚がその証だ!

 殺人鬼が名探偵を出し抜くことは決して不可能じゃない!


「ところで綺晶ちゃん。週末は暇かな~?」


 決意を新たにする俺をよそに、蔵子がおっとりした口調で綺晶に問いかける。

 それは、俺があらかじめ蔵子に頼んでおいたことでもあった。


「特に予定はないわ」

「よかった~。お父さんが綺晶ちゃんと良寛先生を家にご招待したいって言ってるんだけど、どうかな~?」

「百目鬼家の屋敷に? それは願ってもないことだわ」


「絶海の孤島にある崖の上の怪しい洋館」というシチュエーションにご執心のミステリオタク綺晶が、屋敷に招かれて二つ返事でOKする。

 それにしても、蔵子の台詞からはわざとらしさがまるで感じられない。

 案外蔵子には役者の才能があるのかもしれないな。

 そんな蔵子に対抗したわけでもないだろうが、愛子がわざとらしい口調で俺へと話しかけてきた。


「せっかくだからヤスと金魚も遊びに来たら?」

「俺たちも行っていいのか?」

「もちろん。お父さんも久しぶりにヤスに会いたいって言ってたよ」


 蔵子に比べるとかなりぎこちないものの、愛子も見事に台本通り演じきった。


「じゃあ、週末はみんなで百目鬼家の屋敷に集まって遊ぶとするか」


 俺が話をまとめると、一同は歓声をあげて盛り上がった。

 期待と緊張で胸が高鳴る俺に綺晶が小声でささやく。


「週末は楽しくなりそうね」


 断言してやろう。

 その予想は的中する。

 本当に楽しくなるのは、ここからだ。

 かくして俺たちは、週末に崖の上の洋館に集まることになった。

 あとは天気予報の通りに「あれ」が来れば、準備は完璧だ。



※ ※ ※



 そして週末の午後。

 俺はテレビから流れてくる気象予報士の声を聞きながら、自宅で一人ガッツポーズをしていた。


『発達した台風は、明日の朝には九州の南を通過する見込みです。暴風圏内では今夜から明日にかけて激しい雨と風が予想されますので、しっかりと対策を――』


 不気味な伝説がある絶海の孤島「夜神島」で、

 崖の上に建てられた怪しい洋館に偶然集まった男女が、

 突然の嵐で館に閉じ込められ、

 凄惨な連続殺人事件に巻き込まれる……。


 名探偵VS殺人鬼。


 ミステリマニア垂涎のシチュエーションで、宿命の対決がついに幕を開ける。

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