第6話 暴風前夜(1)
自称「美少女名探偵」の綺晶が夜神島に移住してから、二週間が過ぎた頃。
晴天が続く夜神島に一隻のフェリーが到着した。
乗客の一人である細身の少年が、船のタラップを下りて港に降り立つ。
彼は出迎えに来ていた俺に気づくと、爽やかな笑顔で「ヤス!」と声を上げた。
あどけない顔立ちとサラサラショートヘアの少年は、性別を超越した中性的な魅力であふれている。
半袖と膝丈のズボンから伸びるすらりとした手足は、脱毛したようにつるつるのすべすべで、色白な肌も相まって汚れを知らない無垢な少女のようだ。
俺より一回り背の低い、小柄で愛らしい美少年。彼の名は
夜神島出身で俺と同じ中学校に通う、同学年の幼なじみだ。
「どうしたの? ヤスが迎えに来るなんて珍しいね」
駆け寄ってきた金魚が、女性のような耳心地の良い声音で話し掛けてくる。
金魚は昔から病弱で、検査や治療のために本土の病院へ入院することは珍しくなかった。
だから退院して島に戻るたびにいちいち出迎えたりはしないのだが、今回は特別だ。
「お前が帰って来るのを首を長くして待っていたんだ。実は金魚に頼みたいことがあるんだよ」
「いいよ、僕は何をすればいいの?」
理由も聞かずに二つ返事で引き受ける金魚。
久しぶりに顔を合わせた幼なじみは相変わらず素直で、友人を疑うという発想をはなから持ちあわせていなかった。
※ ※ ※
島に一件しかない喫茶店に金魚を連れて入ると、先に来ていた双子の幼馴染み――愛子と蔵子が、冷房の真下にあるボックス席で冷たいジュースを堪能していた。
「や。久しぶり」
ストローでオレンジジュースを飲んでいた愛子が、金魚に気づいて片手を上げる。
気さくな姉につづいて、隣に座っていた妹の蔵子が微笑みながら会釈した。
「二人ともヤスに呼び出されたの?」
双子の正面の席に腰を下ろしながら金魚が尋ねる。
俺は金魚の隣に座るとウェイトレスに冷たい飲み物を注文して、冷房のさわやかな風を堪能してから、ようやく本題に入った。
「集まってもらったのは他でもない。みんなには俺の連続殺人を手伝って欲しいんだ」
「え?」
「もっちろん! 喜んで連続殺人に手を貸すよ!」
「私も手伝うよ~。頑張って完全犯罪しようね~」
「え? え?」
楽しいことに目がない愛子が一も二もなく了解して、のんびり屋の蔵子が後に続く。ただ一人事情のわかっていない金魚だけが目を白黒させていた。
金魚の驚く顔が見たくて黙っていたが、さすがにこれ以上は意地悪だな。
俺は改めて金魚に、島に移住してきた医者のこと、その娘である名探偵のことを説明した。
「へぇ~。僕の留守中にそんなことになっていたとはね。それでヤスが殺人計画を練ってるの?」
「そうなんだ。どうせならベタな殺人事件を起こして、ミステリオタクの綺晶に喜んでもらおうと思ってさ。そこでみんなにも協力してもらうことにしたんだ」
「ベタってどういうことだ?」
オレンジジュースをストローでちゅーちゅー吸いながら、ジャージ姿の愛子が俺を見る。
俺は三人にもわかるように、できるだけシンプルな説明を試みた。
「今回の事件で俺は、推理小説や二時間サスペンスドラマのお約束やあるあるネタを忠実に再現するつもりだ。そこでみんなには名探偵をミスリードさせる役目を頼みたい」
「ミスリードって何?」
「ミステリ用語で、読者を間違った推理に誘導することだ。ほら、よくドラマとかでいるだろ。『こいつが怪しい』と思わせておいて実は犯人じゃないやつが」
「ああ、いるいる。そういうやつに限ってすぐに殺されたりするんだよな」
「つまり、僕たちは探偵の推理を惑わせる『怪しい容疑者』役をやればいいってこと?」
金魚が不安気に瞳を潤ませ、上目遣いで俺を見る。
誰に教えられたわけでもなく自然に可愛らしい仕草をしてしまうのが、金魚の凄いところだ。
「だがどうして私たちなんだ? 容疑者役なら誰がやっても同じだろ」
「それは……推理小説のセオリーにのっとって考えた結果だ」
「セオリー?」
蔵子が不思議そうに首をかしげる。
ミステリに明るくない三人には、推理小説のセオリーやお約束と言われてもピンと来ないようだ。
「たとえば、推理小説でよくあるトリックに『双子の入れ替わり』がある。つまり、ミステリに詳しい綺晶なら、容疑者の中に双子がいるだけで怪しいと思うに違いないんだ」
「安直だね~」
にこやかにダメ出しをする蔵子。
綿菓子のような甘くてふわふわした雰囲気に惑わされがちだが、こう見えて蔵子は物事をはっきり言う性格だ。
「安直でも事実だ。ミステリをこじらせた人ほど、物語に双子が登場しただけでトリックを疑ってしまう。それはマニアの習性なんだ」
「よくわからん習性だな」
「そういう愛子だって、子供の頃は蔵子と入れ替わって島の人たちをからかっていたじゃないか。それくらい双子の入れ替わりトリックはありがちで、誰もが考えることなんだよ」
「……まあ、言いたいことはわかるけどさ」
よく双子で入れ替わって悪戯をしていた愛子が、ストローを口に咥えたまま納得する。
すると今度は金魚が「腑に落ちない」といった面持ちで問いかけてきた。
「ミステリの世界では双子が怪しいのはわかったよ。でも僕は何なの? 僕は怪しい人間じゃないよ?」
どうやら金魚は、自分が「怪しい容疑者」にカテゴリされていることが不満のようだ。
よろしい、ならば教えてしんぜよう。
金魚のどこが怪しく見えるかを!
「推理小説には、双子の他にも定番のトリックがある。それは……性別逆転トリックだ」
「性別逆転?」
「そう。『ずっと男だと思っていた人物が実は女性だった』という展開は、意外な犯人像の定番なんだよ」
「それと僕がどう関係あるの?」
「うん。金魚。女装してくれ」
きょとんとした顔で金魚が俺を見る。
そのまま三秒経過したところで、ようやく言葉の意味を理解した金魚が、火を吹くような勢いで顔を赤くした。
「嫌だよ! どうして僕が女装なんてしなきゃいけないんだよ!」
「それは、お前がこの島で一番女装が似合いそうな男子だからだ! 俺は常々、金魚は女装すれば美人になると思っていた!」
「いつもそんなこと思ってたの!?」
「無茶を言ってるのはわかってる! でも、こんなことを頼めるのは金魚しかいないんだ!」
「えー……」
困り果てた金魚が悲鳴とも呆れともつかない声をあげる。
やはり簡単には承諾しないか。
だが、金魚は頼まれると断れない優しい性格だ。
強引に押し切れば、きっとうやむやのうちに引き受けてくれるに違いない。
「というわけで、蔵子に命令する! 金魚を女にしてくれ!」
「はいは~い、私におまかせ~。女物の衣装ならうちにたくさんあるから、金魚ちゃんに似合うのを見繕ってあげるよ~」
「あ、なるほど。蔵子を名指ししたのはそういう理由か」
俺の意図を察した愛子が、女装させる気まんまんの蔵子を見て納得する。
ここだけの話だが、愛子がピアノを愛好しているように、蔵子にも熱中している趣味があった。
蔵子の趣味……それは、コスプレだ。
コスプレの衣装作りからメイクまですべてを一人でこなす蔵子は、夜神島でもっとも変装が得意な人間と言っても過言ではない。
金魚を女装させるのに彼女以上の適任者はいないと言って良いだろう。
「そうと決まれば、さっそく蔵子の部屋で衣装合わせだ。来い、金魚!」
「ええっ! 僕の意思は!?」
「まあまあ、そう言わずに~。女装してみたら案外くせになるかもしれないよ~」
「嫌だよ! くせになりたくないよ!」
金魚が愛子に腕を引かれ、蔵子に背中を押される恰好で出口へ向かう。
息のあったコンビネーションはさすが双子だ。ノリの良すぎる愛子といつでもマイペースな蔵子に、俺は心の中で感謝を述べた。
ありがとう。金魚をよろしく!
「ヤスくんは一緒に来ないの~?」
「悪いけど、俺はこれから人と会う用事があるんだ」
「そうなんだ~。誰と会うの~?」
「これから俺が会う相手は、二時間サスペンスドラマに不可欠な人材……『家政婦』さ!」
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