第5話 許嫁の名は(3)

 美少女名探偵を連れて灯台を案内した俺は、灯台を出て商店街に向かう道すがら、偶然にも顔見知りと出くわした。


「あれ? ヤスじゃん。こんなとこで何やってんだ?」


 気安く声をかけてきたのは俺の同級生で、えんじ色のジャージを着たポニーテールの少女、愛子だ。

 愛子の背後では、彼女の双子の妹である黒髪ロングヘアの蔵子が、手にバスケットを持って立っている。


「彼女に島を案内していたんだ。紹介するよ。彼女は昨日引っ越して来た……」

「希望ヶ丘綺晶きららよ。よろしく」


 綺晶が挨拶しながら右手を差し出すと、愛子は溌剌とした笑顔で手を掴んだ。


「こちらこそよろしく。あんたが医者の娘だね。噂は聞いてるよ」


 ぶんぶんと音が鳴りそうな勢いで、愛子は握手した腕を上下に振る。

 線の細い綺晶が愛子の馬鹿力に振り回されるのを眺めながら、俺は簡単に双子を紹介した。


「綺晶に紹介するよ。こっちの乱暴な方が姉の愛子で、そっちのぽわ~んとした方が妹の蔵子。二人は双子で、俺の幼なじみだ」

「もっとちゃんと紹介しろよ」


 雑な紹介をされた愛子が、ムッとした顔で俺をにらみつける。

 一方の蔵子は、ふんわりと微笑みながら綺晶にお辞儀をしていた。

 がさつな愛子とは雲泥の差の、乙女らしい楚々とした所作だ。


「希望ヶ丘綺晶よ。よろしく、蔵子」


 愛子の手から逃れた綺晶が、初対面なのに名前を呼び捨てで蔵子に握手を求める。

「よろしく~」とのんきに手を差し出した蔵子の人差し指には、絆創膏が貼られていた。


「その絆創膏は?」

「これはサンドイッチを作るときに包丁で切って……。でも大丈夫だよ~。料理をしていれば、このくらいよくあることだから~」


 蔵子が持っているバスケットには、手作りのサンドイッチが入っているらしい。

 ひなたぼっこが好きな蔵子は、休日になると弁当を作ってピクニックに出かけることがよくあった。

 柔和で料理好きな蔵子は女の子の鑑だね。

 それに比べて愛子ときたら……。


「愛子もたまには料理したらどうだ?」

「私は食べる専門なんだよ」

「まったく、家庭的な蔵子に比べて愛子は男らしいよな」


 ため息をつく俺の太ももに、愛子の鋭いローキックが炸裂した。

「ぱーん」という小気味よい音とともに、俺は膝から崩れ落ちる。


「お、おおおおお、お前なあ!」

「ふん。私を馬鹿にしたヤスが悪い」


 すぐに暴力に訴える愛子が不機嫌そうに顔を背ける。

 そんな俺たちのやり取りを眺めていた綺晶は、好奇の目で双子の顔を見比べた。


「顔はそっくりなのに、性格は正反対なのね」

「あと胸の大きさも正反対だぞ」


 なんとか立ち上がった俺は、「ぱーん」という小気味よい音とともに、再び膝から崩れ落ちた。

 ローキックをかました双子の片割れ(胸の薄い方)が、鼻息も荒く俺を見下ろす。


「ヤスはいちいち失礼だな。親しき仲にも礼儀ありってことわざを知らないのか?」

「問答無用でローキックを決めるようなやつに言われたくないね」


 俺と愛子がにらみ合いいがみ合う。

 そんな仲の悪い俺たちを見た蔵子が、


「二人は今日も仲がいいね~」


 と「ぽわ~ん」と笑顔を浮かべた。

 このふざけたやり取りが俺たちの日常だ。


「ひとつ質問があるのだけれど、いいかしら?」


 俺たちのやり取りを眺めていた綺晶が、真剣な面持ちで双子に問いかける。


「二人の名前は漢字でどう書くの?」

「漢字? えっと、一十百の『百』に、『目』と……」

「それは名字でしょう? 教えて欲しいのは名字ではなく、名前の方よ」


 綺晶の言葉を聞いて俺は「おや?」と首をかしげた。

 二人のことは「愛子」と「蔵子」と紹介しただけで、名字は教えていない。

 それなのに、どうして愛子の名字が「百目鬼」だと知っていたんだ?

 俺が不思議に思っていると、名前の漢字を聞き終えた綺晶は得心したように大きくうなずいた。


「なるほど。それで確信が持てたわ。百目鬼愛子、あなたがヤスの許嫁ね」


 ずばり指摘されたジャージ姿の愛子が、驚きに目を丸くする。

 確かに愛子は俺の許嫁だ。

 だが、どうしてわかったんだ?


「あら? どうしてヤスが不思議そうな顔をしているのかしら。崖の上にある百目鬼家の娘が許嫁だと教えてくれたのは、他でもないヤスだったはずよ」

「確かに教えたが、愛子があの家に住んでいるとは一言も言ってないだろ」


 綺晶はなぜ愛子があの家の――百目鬼家の娘だとわかったんだ?


「崖の上にある百目鬼家の娘は、『ヤスの幼なじみ』で『親が音楽好き』なのでしょう? この条件に合致する愛子と蔵子を百目鬼家の娘だと推理するのは、当然ではないかしら」

「確かに幼なじみとは言ったけど……。ここまでの会話の中に、愛子たちの親が音楽好きだなんて話題はなかったはずだ」

「そんなことないわよ。愛子と蔵子の名前を聞いて、私はすぐに親が音楽好きだと気づいたわ」

「名前? そういえば二人の名前の漢字を知りたがっていたけど、それと親が音楽好きなのとどういう関係があるんだ?」

「あなたはモーツアルトを知らないの?」


 馬鹿にするな、モーツアルトぐらい知っている……と言い返したい所だが、綺晶が何を言いたいのかわからず俺は口ごもってしまう。


「では無知なヤスにもわかるように教えてあげるわ。漢字の『子』は『ね』とも読むのよ。つまり、愛子と蔵子は『アイネ・クラネ』とも読める」

「……アイネ・クライネ・ナハト・ムジークか」


 田舎者の俺でも曲名くらいは知っている。

 アイネ・クライネ・ナハト・ムジークは、誰もが一度は耳にしたことがあるモーツアルトの代表曲だ。


「子供の名前にモーツアルトの曲名をつけるような親は、音楽好きに決まっているわ。愛子と蔵子はヤスと幼なじみで、親が音楽好き……。だから、二人は百目鬼家の娘だと確信したのよ」


 綺晶の推理に納得した俺は、それでも素直に負けを認めたくなくて言い返す。


「でも、どうして愛子が許嫁だと思ったんだ? 普通に考えれば、がさつな愛子よりも女らしい蔵子を花嫁候補だと思うはずだろ?」


 愛子が露骨にむっとするが、俺は気にせず問いただす。

 綺晶はなぜ、蔵子ではなく愛子が許嫁だと思ったのか?


「ヤスの許嫁はピアノが得意だと聞いていたから。二人のどちらかがピアノを弾いているとしたら、それは愛子だろうと思っただけよ」

「どうしてだ? それこそピアノが似合いそうなのは蔵子じゃないか」

「蔵子は不注意にも料理で指を怪我している。かたや愛子は、怒ってケリを入れることはあっても、手で殴るようなことは絶対にしない。……ピアニストは、何よりも自分の指を大切にするものよ」


 綺晶の推理を聞き、愛子は驚きの表情を浮かべ、蔵子は感動して拍手をする。

 蔵子の拍手を受け、綺晶は舞台役者のように恭しくお辞儀をした。

 その自信に満ちた振る舞いに、俺は彼女の推理力が本物だと認めずにはいられなかった。

 果たして俺は、この名探偵を敵に回して完全犯罪を成し遂げられるのだろうか?

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