第4話 許嫁の名は(2)

 長い螺旋階段を上ると、そこは360度パノラマで景色を楽しめる穴場の展望スポットになっていた。


「素敵な景色ね」


 赤さびが目立つ鉄製の手すりを掴んだ綺晶が、海風に髪をなびかせる。

 右手には、港を中心とした平地の住宅街。

 左手には、広葉樹が生い茂る急峻な山地。

 そして背後は、はるか遠く水平線まで見渡せるコバルトブルーの大海原。

 見晴らしのいいこの場所は、地上からの高さ約十五メートル、海面からの標高では五○メートル以上もある、夜神島灯台の展望室だ。


「ここは島で一番眺めのいい場所なんだ。ここからなら夜神島の隅々まで見渡せるだろ?」


 島の案内を買って出た俺は、手始めに丘の上にある灯台へと綺晶を案内した。

 どうやら綺晶は、ここからの眺めを気に入ってくれたようだ。


「灯台に登ったのは生まれて初めてよ。こういうのも悪くないわね」

「風が強いから、落ちないように気をつけろよ」


 手すりから身を乗り出す綺晶に俺は注意を促す。

 展望室と言えば聞こえはいいが、実際はちょっと広めの踊り場にすぎない。

 綺晶が転落しないか俺は気が気じゃなかった。


「あれは何かしら?」


 目を引く物があったのか、綺晶が崖の上を指差す。

 向かって左手に広がる丘陵地は、海に面した箇所のほとんどが断崖絶壁になっている。

 そんな崖の上に、一際目立つ西洋建築の四角い建物があった。

 ミステリ小説風に表現するなら――崖の上にぽつんと建っている不気味な洋館。


「あれは百目鬼どめき家のお屋敷だ。百目鬼家は夜神島を支配している御三家の一つだよ」

「御三家?」


 怪しげなワードに興味を引かれた綺晶が瞳を輝かせる。

 俺は内心で「食いついた!」と喜びながら、表向きは冷静に説明を続けた。


「島で一番古い家系の鬼村きむら家。資産家で大地主でもある百目鬼どめき家。それに、十年前に後継者を失って没落した餓鬼塚がきづか家。この三つの家は『鬼の御三家』と呼ばれ、江戸時代の昔から島に君臨しているんだ」

「その御三家が今も島を支配しているのね。興味深いわ」

「どこがだよ。こんなのは時代錯誤なだけだ」

「ヤスは鬼村家の一員なのでしょう? その割には御三家に好意的ではないようね」

「当然だろ。ごく一部の家系が長年に渡って村を支配するなんて馬鹿げてるよ」

「そう? 私は聞いているだけでわくわくするけれど」


 声に喜色をにじませる綺晶は、筋金入りのミステリマニアだ。


「それにしても、あの屋敷は見れば見るほどたまらないわね。凄惨な殺人事件が起きそうな陰鬱としたたたずまい。それに崖のそばという立地も素敵よ。あの行き止まり感、崖下に見える荒々しい波打ち際、実に犯人を追い詰めたくなるいい崖だわ」


 もう一度言おう。

 本気で楽しんでいる綺晶は、筋金入りの超ミステリマニアだ。


「あの屋敷は島で一番大きな建物なんだ。部屋数は20以上。風呂が2つにトイレが3つ。そのままホテルにしても遜色ない規模だよ」

「よその家なのにずいぶんと詳しいのね」

「百目鬼家の娘とは幼なじみでね。昔はよく、あの屋敷に遊びに行ったものさ」


 愛子と蔵子の双子姉妹の顔を思い出しながら、俺は幼少の日々を懐かしむ。

 そういえばいつからだろう。俺が二人の家に遊びに行かなくなったのは。


「最近は遊びに行かないの?」


 心を見透かしたように綺晶が尋ねて、俺は一瞬言葉に詰まる。


「……俺と百目鬼家の娘は、親同士が決めた許嫁でもあるんだ。子供の頃は気にもしなかったけど、あいつが女らしくなってくると、さすがに意識しちゃって……」

「それで以前のように無邪気に遊べなくなった?」

「いつまでも子供のままではいられないってことだよ」


 投げやりに答えながら、俺はなんとなく許嫁の顔を思い出す。

 子供の頃は許嫁という言葉に何も感じなかった。

 そもそも許嫁がどういう意味か、よくわかっていなかった。

 ……今さら、何も知らなかった頃には戻れない。


「ヤスの許嫁はどういう子なのかしら?」

「いい子だよ。ピアノが得意で、プロのピアニストから『君には才能がある、上京して本格的にピアノの勉強をしないか』と誘われたこともあるほどだ」

「あの家にはピアノまであるの?」

「スタインなんとかっていう有名なメーカーのグランドピアノがある。わざわざピアノ専用の音楽室まで作って、娘のためにものすごい力の入れようだよ」

「スタインウェイのピアノを買うなんて、百目鬼家の主人はよほどの音楽好きなのね」

「音楽好きなのもあるけど、どちらかと言うと成金趣味だな。百目鬼のおじさんは裸一貫で島を出て、本土で事業を興して成功したんだ。急に金持ちになったから、やたらと大きな家を建てたり、娘にピアノの英才教育をさせたりして自己顕示欲を満たしているのさ」


 辛辣なことを言ってはいるが、俺は本土で成功を収めたおじさんを尊敬もしていた。

 ただちょっと、金遣いの荒さが目に余るだけで……。


「さっき御三家の説明をしたけど、近年は百目鬼家が実質的な夜神島の支配者だ。ただ古いだけの鬼村家や、血筋の絶えた餓鬼塚家なんて、百目鬼家の足下にも及ばないよ」


 語りながら、俺は島の半分を占める緑の山地を示す。


「この山は全部、百目鬼家の私有地だ。……そして、山には恐ろしい言い伝えがある」


 ここからが本題だとばかりに、俺は迫力を出そうと声を潜めた。

 雰囲気の変化を察した綺晶が、待ってましたとばかりに身を乗り出す。


「それで何人ぐらい死んだのかしら?」

「何の話だ?」

「夜神島に伝わる血塗られた歴史のことよ。発狂した村人が島の住民を手当たり次第に殺戮したとか、そんな凄惨な出来事があったのでしょう?」

「ないよ。あってたまるか」

「なんだ。つまらないわね」


 目に見えてがっかりする綺晶。このミステリ脳が。

 俺は内心で呆れながらも、表向きは真剣な表情で問いかける。


「綺晶は、どうしてこの島が『夜神島』と呼ばれているかわかるか?」

「島の名前の由来?」


 名探偵にとっては簡単な謎かけだったようだ。

 少し考える素振りを見せただけで、彼女はスラスラと質問に答えた。


「この島には立派な灯台があるわ。この灯台が照らす明かりは、船乗りたちの大きな助けとなったはずよ。灯台はいわば航海の安全を担う『夜の海の守り神』ね。『夜』の海の守り『神』がある島だから、いつしか夜神島と呼ばれるようになった」


 百点満点の解答をした綺晶が、ふっと余裕の笑みを浮かべる。


「――と、島の観光パンフレットに書いてあったわ」

「パンフレットの受け売りかよ」

「情報にどん欲だと言ってほしいわね。情報は推理の礎よ。情報がなければ推理はできない。探偵とは、どんな情報でも集めずにはいられない生き物なのよ」


 島の観光パンフレットを読みふけったことを、恰好つけて正当化する綺晶だった。


「別に文句を言うつもりはないよ。でも、パンフレットにもう一つの理由は載っていなかっただろ?」

「もう一つの理由? 島の名前には別の意味があると言うの?」

「ある。それが島の伝承に関係しているんだ」


 はるか昔から、島ではまことしやかにささやかれている風説があった。

 曰く――夜神島には、死者の国につながる秘密の入り口がある。


「死者の国? 夜神島は地獄とつながっているとでも言うの?」

「『地獄』じゃない。夜神島にあるのは『黄泉』への入り口だ」


 曰く――島には黄泉への入り口が隠されている。

 黄泉の入り口に迷い込んだ人間は、羅刹という名の鬼によって亡者の国へ突き落とされ、二度と現世には戻れない。

 その伝説を裏付けるように、山に足を踏み入れた者が忽然と姿を消した事例は数多い。

 島民たちは古来よりそれを神隠しならぬ「黄泉隠し」と呼んで怖れていた。


「山のどこかに黄泉への入り口がある。そこに入った者は二度と帰って来られない。だからここは黄泉よみ島と名付けられ、それが巡り巡って夜神よみ島に変化したと言われているのさ」

「『夜神』は『黄泉』……。そういえば日本書紀にも、黄泉の入り口がある『黄泉島』についての記述があるわ。ここがその黄泉島かもしれないというわけね」


 この伝承は俺の創作ではない。島に古くから伝わる本物の言い伝えだ。

 と言っても、子供が山に入らないように、しつけのために言い伝えられている「怖い話」の類だと俺は考えている。

「夜遅くまで遊んでいるとお化けにさらわれる」と脅かされるのと似たようなもので、田舎にはそういった怖い話が一つや二つはあるものだ。

 俺はその伝承を連続殺人事件に利用しようと考えていた。


「黄泉の入り口が実在するかどうかはわからない。だが、過去に何人もの人間が行方不明……黄泉隠しにあったのは紛れもない事実だ」


 名探偵の好奇心を煽るように、俺はわざと意味深にささやく。


「御三家の一つ、餓鬼塚家の跡取りが10年前に山で行方不明になった。それ以来、人々は黄泉隠しを怖れて山に近づかなくなり、地主である百目鬼家は山を立入禁止にしているんだ」

「興味深い話ね。私もいつか山に入って黄泉の入り口を探してみたいものだわ」


 まんまと興味を引かれた綺晶がキラキラと輝く瞳で山を見つめ、俺は彼女の死角で一人ほくそ笑んだ。

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