第3話 許嫁の名は(1)

 推理小説のセオリー。それは「一番怪しくなさそうな人物が真犯人」であること。

 定石になぞらえるなら、犯人役の俺は探偵役である美少女・希望ヶ丘綺晶きららと親しくならなければいけない。

 俺は彼女にとって「一番怪しくなさそうな人物」になるのだ。

 かくして、希望ヶ丘親子が島に越してきた翌日。

 さっそく俺は友好を深めるべく彼女の家に赴いた。


「ごめんね。綺晶は情報収集に出かけたのよ」


 母親である希望ヶ丘良寛りょうかん先生が、からっとした物言いで娘の留守を教えてくれた。


「あの子ったら『島に恐ろしい言い伝えがないか調べてくる』って張り切っちゃって」


 なるほど。

 絶海の孤島に来て「村に隠された恐ろしい秘密」や「島に伝わる恐ろしい言い伝え」を捜したくなる気持ちは、ミステリマニアとして大いに共感せざるを得ない。


「遠くには行っていないと思うけど……」

「わかりました。俺の方で探してみます。それと、これを良寛先生に」


 名探偵が留守だと聞いて、すかさず俺はスポーツバッグから紙束を取り出す。

 クリップで留められた紙束の表紙には、「夜神島連続殺人事件(草案)」と印刷されていた。


「これから起こる連続殺人事件のプロットです。目を通しておいてください」


 名探偵に「人が殺された」と思い込ませるには、検死をする医師の協力がどうしても必要になる。

 医師の良寛先生は、偽の殺人事件を本物らしく見せるために不可欠な人材だった。


「見せてもらうわね。ええと第一の殺人がアリバイトリックで、第二の殺人が死体消失トリック。第三の殺人は……。まだ草案の段階なのに、事件の流れからトリックの詳細まで事細かに考えているわね」

「いえ、まだまだです。名探偵相手に僅かな証拠も残すわけにはいきませんから。ここからシミュレーションを繰り返して、一分の隙も無い完璧な犯罪計画を練り上げるつもりです」

「この計画は全部あなたが考えたの?」

「はい。昔から推理小説が大好きで、いつもこういうことばかり考えているんです」

「へえ~。綺晶が生まれながらの名探偵なら、あなたは生粋の殺人鬼ね」


 褒めてるんだかどうなんだかわからない言い回しで良寛先生が感心する。

 喜ぶべきか否定するべきか迷った俺は、結局何も言わずに笑って聞き流した。


「……ごめんなさい。君のような子供に連続殺人をやらせるなんて非常識よね」


 具体的な殺害計画を知って申し訳ない気持ちが湧いてきたようだ。

 プロットを読んでいた良寛先生が、不意に神妙な面持ちになった。


「綺晶も君と同じように推理小説が大好きでね。クローズドサークルで殺人事件の謎を解くのが昔からの夢だったのよ。島の人たちに迷惑をかけているのはわかっているけれど……私は余命わずかな娘の夢をどうしても叶えてあげたいの」


 クローズドサークルとは「閉ざされた空間」を指すミステリ用語だ。

 アガサ・クリスティの傑作「そして誰もいなくなった」を例に出すまでもなく、「吹雪の山荘」「嵐の孤島」など古来よりクローズドサークルを題材にしたミステリは枚挙にいとまがない。

 ――絶海の孤島「夜神島」で連続殺人事件の謎を解く。

 名探偵に憧れる少女にとって、これほど燃えるシチュエーションはないだろう。


「私の無茶なお願いを、君のお父さんは叶えると約束してくれた。だから私はとても感謝しているし、私にできることなら何でも協力するつもりよ」


 美人で聡明な女医は、愛娘への最後にして最大のプレゼントを望み、そのためなら残りの人生を島に捧げると誓ってくれた。

 それほどの覚悟を示してくれた良寛先生に、俺のしてあげられることは一つしかない。


「約束します。俺の考えたトリックで必ず連続殺人を成功させて、綺晶さんに追い詰められて捕まってみせます」

「ありがとう。君のような子がいてくれて良かったわ。綺晶を上手く導いてあげてね」


 卓越した推理力を持つ彼女なら、俺が導かなくても自力で真犯人にたどり着けるに違いない。

 そう思いつつうなずくと、それで安心したのか、良寛先生は微笑みながら再びプロットに目を落とした。


「それで、最初の犠牲者はいつ殺される予定なの?」

「そんなの決まってるじゃないですか」


 殺人事件の開幕時期を問われた俺が、胸を張って答える。


「夜神島に嵐が来たら、作戦決行です」



※ ※ ※



 俺が港を訪ねたとき、彼女は魚売りの老婆に聞き込みをしていた。

 昨日の乙女っぽいワンピースとは打って変わって、今日の彼女はパンツスタイルで襟付きのシャツにネクタイというボーイッシュな出で立ちをしている。

 もしかすると、調査活動をするときは探偵らしい服装にすると決めているのかもしれない。

 ちなみに彼女が聞き込みしている老婆は加藤トキさんといい、御年92歳という夜神島で最高齢のおばあちゃんである。

 島の生き字引であるトキさんに聞き込みをするとは、人を見る目があるじゃないか。

 俺は感心しながら、偶然を装いつつ彼女に近づいた。


「こんにちは。なにやってるの?」

「あら、こんなところで会うなんて奇遇ね」


 腰の曲がったトキさんから離れると、彼女は相変わらずの上から目線で俺に挨拶した。


「この島について聞き込みをしていたところよ」

「面白い話でも聞けたかい?」

「それなりにね。そういえばあなたのことも聞いたわ。名家のお坊ちゃんだそうね」

「単に家柄が古いだけだよ」


 謙遜でもなんでもなく、本気で俺は家柄で人の価値を決めるなんて馬鹿らしいと考えている。

 父さんが聞いたら「鬼村家の跡取りであることに誇りを持て」と怒るかもしれないが、知ったことではない。


「古くから続く由緒正しい家柄……。殺人事件の香りが漂ういい響きね」

「君は本当にミステリ小説が好きなんだな」

「私は『君』なんて名前じゃないわ。私のことは綺晶と呼びなさい」


 ムッとした表情で美少女が主張する。

 意外とフランクだな、と思いつつ、彼女との距離を縮めたかった俺は謹んでその申し出を受けることにした。


「じゃあ綺晶。良ければ俺が島を案内するよ。知りたいことがあれば遠慮無く聞いてくれ」

「あら、ありがとう。では聞くけれど、この島におどろおどろしい伝説はないかしら? たとえば、過去に陰惨な猟奇殺人事件が起こったことは?」


 ミステリ小説に登場する孤島には、怨念や呪いといった過去の因縁がつきものだ。それらを期待する綺晶の心情は同好の士としてよーくわかる。

 だから俺は言ってやった。


「もちろんあるとも! 夜神島に古来より語り継がれてきた恐ろしい伝承を教えてやるよ!」

「あなたとは馬が合いそうだわ」


 ミステリマニアである綺晶の瞳が期待に輝く。

 ここまで喜ばれると、あらかじめ恐ろしい伝承を準備しておいたこちらとしても、やりがいがあると言うものだ。


「詳しい話をする前に、一ついいかな?」


 恐ろしい伝承に興味津々の綺晶へ、俺は大真面目な口ぶりで提案する。


「俺は『あなた』という名前じゃない。俺のことは『ヤス』と呼んでくれ」

「いいわ。その図々しさに免じて、ヤスを私の助手にしてあげる」


 尊大な態度で、綺晶が俺を夜神島の案内係に任命する。

 こうして自分でも驚くほどすんなりと、俺は名探偵の助手に就任した。

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