第2話 南の島の美少女名探偵(2)

 入り江に作られた港には、明らかに漁船とは異なる大型船……フェリーが接岸していた。

 接岸しているフェリーは、全長100メートル超、総重量2500トン以上。

 車やコンテナを大量輸送する馬鹿でかい図体は、貴重な物資を運んでくれる島の命綱であり、島と外界とをつなぐ唯一の公共交通手段だ。

 駐車した軽トラックの車内で文庫本のミステリ小説を読んでいた俺は、フェリーが停泊したのを見届けると、本にしおりをはさんで座席に置いた。


 車を降りると、フェリーから二人の女性が降りて来るのが見えた。

 まず目に入ったのは、栗色の髪を短く刈り揃えた長身の美人だ。

 見た目は二十代後半。ジーンズにTシャツとかりゆしというラフな恰好をしている。

 おしゃれに無頓着なのか化粧っ気はなく、血色のいい顔はとても若々しい。見るからに健康的で、全身に活力がみなぎっている印象だ。

 そんな美女のかたわらに、純白のワンピースを着た美少女が寄り添っている。

 色白で線の細い少女は、麦わら帽子を目深にかぶり、腰まで届く長い黒髪を潮風になびかせていた。

 華奢な体つきと透明感のある白い肌は儚げな印象を見る物に与え、まさに「深窓の令嬢」「薄幸の美少女」といった趣だ。

 ……いや、美少女は言い過ぎだな。

 彼女は麦わら帽子を目深にかぶり、食い入るように文庫本を読んでいるため、遠目からでは顔がよくわからなかった。


「おーい!」


 こちらに気づいたかりゆし美女が、ぶんぶんと大きく手を振る。

 父さんは吸っていた煙草を携帯灰皿に放り込むと、歩きながら俺に言った。


「あれが希望ヶ丘良寛先生だ」

「医者って女だったのか。てっきり男だと思ってたよ」

「良寛先生は私が相手をするから、お前は娘の荷物を運べ」


 ぶっきらぼうに命じられた俺は素直に従う。もとより荷物運び要員として連れてこられた俺に、文句を言う理由はなかった。

「どーもどーも」と明るく挨拶してくるかりゆし美女を、仏頂面の父さんが出迎える。

 心の中で「もっと愛想良くしろよ」と肉親にダメ出ししながら、俺は黙々と文庫本を読みふける黒髪少女に近づいた。

 文庫本の表紙には、黒々とした下地に白抜きの文字で「悪霊島」とタイトルが書かれている。この若さで横溝正史とは渋いチョイスだ。

 絶海の孤島で一心不乱に「悪霊島」を読みふける少女に、俺はどう接すべきか迷う。

 熱心に読書しているのを邪魔したくはないが、このまま読み終わるまで待つわけにもいかない……。

 そうして声をかけられずにいると、少女はおもむろに顔を上げた。


 間近で見る彼女は思った通りの……いや、思っていた以上の美少女だった。


 陶器のように滑らかな純白の肌と、対を成すような艶のある闇色の黒髪。

 幼さの残る目鼻立ちはあどけなくもあり、それでいて瞳からは凜とした意思の強さも感じられる。

 整いすぎた容姿は、まるで良くできた人形のようだ。

 舞い降りた美少女に見とれていると、彼女は桜色の唇をわずかに開き、つぶやいた。


「可憐で美しい私に見とれるのはわかるけれど、少し無遠慮すぎではないかしら」


 見目麗しい美少女は、思いのほか自意識過剰で上から目線だった。


「あ、ごめん。俺は」

「待って」


 彼女は文庫本を閉じると、舐め回すような目つきで僕の全身を観察した。

 さらに父さんと良寛先生をチラ見すると「ふむ」と納得した様子でうなずく。


「私は希望ヶ丘綺晶きぼうがおか・きららよ。よろしく」

「お、俺は鬼村康智きむら・やすとも


 条件反射で名乗りながら、俺は差し出された少女の手を握る。

 握手を交わした彼女は、真面目な顔でにぎにぎと俺の手の感触を確かめていた。

 初対面の少女の手はすべすべなのに綿菓子のように柔らかく、俺はドギマギしてしまう。


「あなたは村長の息子ね」


 手を離した彼女がぽつりとつぶやいた。

 ……え? どうして俺が村長の息子だとわかったんだ?

 俺が戸惑っていると、彼女は矢継ぎ早に言葉を続けた。


「年齢は14歳前後。兄弟のいない一人っ子で、母親とは幼い頃に死別している。今は村長である父親と二人暮らし。気配りのできる優しい性格で……趣味は読書かしら?」


 ズバズバと言い当てられ、俺は驚きを隠しきれない。


「全部正解だ。どうしてわかったんだ?」

「簡単な推理よ。あそこで私の母を出迎えているのは村長でしょう?」


 彼女が視線を向けた先では、父さんと良寛先生が親しげにおしゃべりをしていた。と言っても主にしゃべっているのは良寛先生で、父さんは仏頂面で相づちを打つだけだが。


「この島の住人で母と顔見知りなのは村長だけよ。だから、母が親しげに話す相手が村長であることは容易に想像がつく。その村長が年端もいかない子供を連れて来たとなれば、真っ先に思いつく関係は親子。つまり、あなたは村長の息子だと推理できる」

「でも、どうして俺の年齢までわかったんだ?」

「単なる荷物運びなら大人でも良かったはずよ。それなのに村長は、あえて子供であるあなたに私の相手をさせている。それはなぜか?『年の離れた大人よりも、年齢が近い子供同士の方が打ち解けられる』と考えたからよ。つまり、あなたと私は同年代ということ。私は十四歳なので、あなたも同じくらいでしょう?」

「なぜ俺の趣味が読書だとわかったんだ?」

「あなたは読書中の私を見て声をかけるのをためらった。それはあなた自身が『読書中は声をかけられたくない』と思っているからよ。優しい人ほど『自分がされて嫌なことを他人にはしないように』と心がけるものだわ。つまり、読書中の人を見てとっさに『邪魔しては悪いから』と遠慮した貴方は、読書好きな優しい人間ということよ」


 すらすらと語る彼女の名推理に、俺はぐうの音も出ない。


「さらに言うと、握手をしたあなたの手は肌荒れしていたわ。これは日常的に水仕事を行っている手よ。おそらく、家での炊事洗濯は貴方一人で行っているのね。それは、本来家事をするべき母親が家にいないことを意味しているわ」

「だから俺が一人っ子で、母さんが死んでいると思ったのか? でも、どうして離婚じゃなく死別だと思ったんだ?」

「閉鎖された田舎社会では人一倍世間体を気にするから、離婚はしづらいものよ。それに」


 彼女はちらりと、俺の父さんを見る。


「私の母は、あなたの父親に口説き落とされてここへ来た。詳しくは知らないけれど、かなり強引な説得をされたようね。なぜそうまでして島に医者を招きたかったのかしら? たとえば過去に、『もしもあのとき島に医者がいれば』と強く思う出来事があったとか……」


 父さんが誰よりも熱心に医者を招致したことが、推理の根拠だと彼女は語る。


「これは私の推測だけれど、あなたの父親は島で大切な人を失ったのではないかしら。だからこそ彼は、どんな手を使ってでも島に医者を招きたかった。二度とつらい思いをしないように……。自分と同じつらさを島民に味わわせないために……」

「初対面でそこまで見抜くなんて、君はすごいな」

「とんでもない。こんなものは推理の初歩よ」


 さも当然のように胸を張る彼女に、俺は感動すら覚えてしまう。


「私の推理にそこまで感心してくれるところを見ると、あなたが好きな本のジャンルはミステリ小説かしら?」


 儚げな容姿とは裏腹の鋭い洞察力に、俺はただただ感服する。


「君はいったい何者なんだ?」

「私は希望ヶ丘綺晶。将来いくつもの難事件を解決する予定の美少女探偵よ」


 自分で「美少女」と名乗るなんて、見た目によらず厚かましい性格だ。

 だが目の前で名推理を見せつけられた俺は、彼女の不遜な態度を馬鹿にできなかった。

 それどころか、いずれ彼女は名探偵として名を馳せると確信せずにはいられなかった。

 ……もしも彼女が長生きできれば、の話だが。



※ ※ ※



 未来の名探偵を前にして、俺は気持ちを引き締める。

 果たして俺は完全犯罪を達成できるのか。

 いや、俺の夢を叶えるためにも、何としても名探偵の目を欺かなければいけない。

 ――俺は殺人鬼。

 必ずや名探偵を出し抜き、連続殺人を成し遂げてみせる。

 そしてすべての殺人を完遂した後、ささいなミスから名探偵に真相を暴かれ、崖の上に追い詰められて悲しい動機を自白してみせる。

 それが殺人鬼の美学だ!

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