炭酸水
井上 未憂
炭酸水
‘
なんて言ったら、湊はどんな
「スカート濡れるぞ」
終業式が終わってから近々に迫った水泳大会の練習のため学校の敷地内にあるプールで自主練習をしていた。プールに入っていても暑い七月の昼間。高く上がった太陽は容赦なく地上を照らす。本当はクーラーのガンガンに効いた家に帰りたいだろうに、俺の練習に付き合ってくれる湊。
「もう少し濡れちゃった」
日陰に入ればいいのにプールサイドに腰掛け脚を水のなかに浸けてパシャパシャ遊んでる。今年初めて同じクラスになって話すようになった湊は水泳なんて興味ない筈なのに自主練をするときは何故か手伝いに来てくれる。
今日は、スカートをギリギリまで捲って太股まで水につけて涼んでいる。 俺のことを意識してないからそんな事ができるのか、無防備な湊の行動にはいつも参る。
スカートから伸びた脚は、透けてしまいそうなくらい白い。水面はゆらゆらと小さく波を作って水中の湊の脚を歪めて映していた。
プールサイドまで軽く泳いで近付くと湊はお気に入りの炭酸水を飲んでいた。
「ちょうだい」
「やだ」
「脱水症状になるぞ」
「水なら沢山あるわよ~」
「うわ」
顔にかかったプールの水。味をしめたのか何度も水をかけてくる。宙を飛んだ水滴がきらりと輝いて水面に落ちていく。その奥に湊の楽しそうな笑顔。綺麗だった。一瞬、フィルターがかかったように俺の目に映った全てが輝いて見えた。
隙をついて炭酸水を奪いキャップを開ける。プシュ と爽やかな空気の抜ける音。冷たくて強い炭酸の刺激が乾いた喉を潤していった。
「蓮のばか!」
あまり悔しくなさそうに口を歪ませてみせる湊。俺もプールサイドに上がってペットボトルを隣に置いて座る。日差しは手加減無しに肌を突き刺し、じわじわと身体の水滴を蒸発させていく。堪らず空を見上げると、真っ白な入道雲は乱反射して直視できないくらい眩しかった。
貸切状態のプールには俺と湊以外に誰もいない。目の前の青はどこか神秘的に揺らめいていた。
告白するのには絶好のシチュエーションを神様が用意してくれたようだった。
湊に好きな人がいるのか、そんなことも俺は知らなければ聞く勇気も持ち合わせていない。
そのときタイミングを見計らったように思いがけない言葉。
「蓮はさ、好きな人いるの?」
驚いた。そんなことを聞かれるなんて。
湊は髪を耳にかけながらただ水面を見ていた。分かってるんだ。その言葉に深い意味がないことも、俺を好きじゃないことも。
「水泳にしか興味ないの?」
湊は素直で真っ直ぐだった。
まるで透明な炭酸水のように純粋で清楚。
艶やかな黒髪 ぱっちりとした瞳 透き通るような声
華奢な身体は、可憐でとても魅力的だった。
「なんだよいきなり」
「いても言わねーよ」
「ってことはいるんだー」
恋愛話を楽しそうにする湊は
やっぱり高校生の女の子。
「湊は? 湊はいるかよそういう人」
「どうかなあ~」
「自分だけ卑怯だぞ」
さっきから無邪気に脚をバタバタさせるから水飛沫がかかる。慣れない恋の話は胸を疼かせた。そのむず痒さから逃げるように俺はもう一度プールに入った。
湊は、なにか企んだように首から下げたストップウォッチをカチカチといじるとある提案を持ち掛ける。
「平泳ぎ百メートル、一分五秒以内で泳いだら教えてあげる」
「泳げなかったら蓮の好きな人教えてね?」
「なかなかきついこと言うな」
「いいじゃない。練習にもなるんだしさ」
湊のつかみ所のない性格に結局振り回されてるのは俺の方。知りたいような知りたくないような、好きな人の好きな人。
まあ、やるだけやってみるか。
プールからあがって台の上に立つ。
ぐるりと肩を一周回して、大きく息を吸った。ゴーグルをつけると気が締まる。
少し経って聞こえた湊の合図と小さなストップウォッチの音。
俺は勢いよくプールに飛び込んだ_
*
「速いね、フォームもぶれてなかったし完璧だ」
まるで自分のことのように嬉しそうにピースサインを向ける。
ストップウォッチには‘一分四秒二八’の数字。 ついでに自己ベストの数字を叩き出せたようだ。湊には感謝したい。
一方の湊は不服そうに口を尖らせてた。
「まあでも約束だしね」
腑に落ちない顔から一転、自己完結したのか覚悟を決めたように頷く。湊の大きな瞳が俺を捉えた。スローモーション再生をしたかのように、薄いピンクのリップが塗られた唇が動いた。
湊が言葉を発したかどうか、というところで俺は勢いよく頭のてっぺんまで水中に潜った。
心地よい水の流れる音と水圧が耳を塞ぐ。
湊は今、どんな顔をしているだろう。
浮力に身体を任せた数秒後
水面から顔を出すと、湊は驚いたように目を丸めて笑っていた。
「やっぱいいや、聞かなくて」
「ふふっ 変なの~」
今はまだこの関係でいたいと思った。
うるさく鳴く蝉も、真っ青な空も
プールサイドを打ち付ける水音も。
同じ空間でそれを感じていられることが今は満足だったりする。
「大会観に来いよ」
「湊がいると頑張れる」
湊の考えていることはいつまでたっても分からない。
「うん。絶対観に行く」
まあ、それでもいいか。
焦燥感に駆られて先を急ぐくらいなら、自分のペースでいい。確実に湊のところまで泳げるように。
ペットボトルの炭酸水は水滴を纏ってきらきらと反射する。相変わらず太陽は目を眩ませるほど強く光を放っていた。
その光景に、夏は眩しいものばかりだと思った。
炭酸水 井上 未憂 @fusummer
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