4ー7 絆を辿る旅路を夢見て

 季節は巡り、二度目の乾季を越して、再び春がやってきた。

 サクは生後半年になっていた。どこもかしこもミカにそっくりだが、耳の形は間違いなく俺によく似ていた。

 じっとこちらを見つめてくる、黒目がちのつぶらな瞳。柔らかな頬の曲線や、作り物かと疑うほどの小さな手。泣き顔すらも信じ難いほど愛らしい。

 俺たちは間違って天使を授かってしまったのかもしれない。将来はさぞかし美人になるだろう。



 ある晴天の日。昨年よりも早く開花し始めたルリヨモギギク畑の中で、ミカが不意に呟いた。


「あれ、地震」


 俺の背中でサクが「あーい」と同意するような声を上げる。俺だけが首を捻った。


「え? 揺れたか?」

「うん、少しだけね。地鳴りみたいなのも聞こえた。最近ちょくちょく揺れてるよ」

「そうなのか」

「うん、大地の声によーく耳を傾けるんだよ。何となく、空気も震えてる気がするし」


 残念ながら、俺には何も感じられなかった。


「地震の初期微動は、地面だけでなく水や空気にも伝わるらしい。それを感知できる生物が存在すると学んだことがあるが……ミカはもしかすると、そういう特異体質の持ち主なのかもな。あるいは、他の人が気付かないごくわずかな振動でも感じ取ることができるのか……」

「何それ? 薬草師の血筋のものだよ。あたしの父親もそうだった。サクにも分かったよね?」

「あいー」

「父親は地脈を辿ってこの土地に来たって言ってたよ。こういうきた山の土は、いろんな植物を育むんだって」


 ミカは湖の向こうにそびえる南の巨大な山を指さした。


「あの山、大昔は噴火してたらしいんだよね」

「大昔って?」

「六百年とか七百年とか前の話だよ。あたしもよく知らないけど」


 ゆったりした末広がりの美しい稜線。悠然としたその姿からは、噴火の様子など想像もできない。


「もしかして、地震は噴火の予兆なんだろうか」

「どうだろうね。でも、もし噴火したとしても手前に湖があるから、こっちまでマグマが流れてくることはないと思うけどね」

「なるほど」


 ミカの言う通りだ。そこまで深刻に考える必要はないのかもしれない。

 そのまま花の刈り取り作業を進めていると、またミカが口を開いた。


「ねぇ、ずっと考えてたんだけどさ。サクがある程度大きくなったら、三人で『砂漠の国』まで行こうよ。ジンさんの子供たちに会うの。直接ルリヨモギギクを渡そうよ」

「何だよ、急に。一応あの時、種は『砂漠の国』の人に渡してきたんだよ」

「でも、会ってみたいでしょ? どうせ行くならみんなで行こうよ。あたしたちも連れてってよ」

「あーう!」


 二人から言われ、俺は苦笑した。


「そうだな、いつか行こうか」


 風が吹き、ルリヨモギギクが青いさざなみとなって揺れる。

 空の高いところを、鳥の群れが西へ向かって飛んでいく。

 いつになるのか分からないが、家族一緒ならどこへでも行ける気がした。



 だが、この時の俺は知らなかった。

 その何気ない約束が、ついぞ叶うことのない幻となることを。




 それから十日ほど経った頃のことだ。

 その日は今にも雨の降り出しそうな空の色で、強い風が絶え間なく吹いていた。

 俺はシャクヤクの摘蕾てきらいのため、朝から一人で西の山にいた。さすがに乳飲み子をこんなところまで連れては来られないので、ミカとサクは留守番だ。


 一通りの作業を終え、そろそろ戻ろうと思ったその時、腹の底に伝わってくるような微かな振動を感じた。

 もしやこれがミカの言っていた地震かと、そう思った矢先。

 それは突然、大地全体を激しく揺るがすものへと膨れ上がった。

 足元がぐらつき、一瞬にして平衡感覚を失う。俺は体勢を崩し、その場で転倒してしまった。


 次の瞬間、凄まじい爆発音が鼓膜をつんざいた。

 思わず両手で耳を塞ぎ、目を瞑ってうずくまる。

 全身に叩き付けるような熱風が、勢いよく駆け抜けていく。その間も、地面は唸りながら震え続けていた。

 音が少し収まったのを機に顔を上げる。

 視界に入った光景に、俺は言葉を失った。


 山が、炎を吐いていた。

 山頂付近から、真っ赤に燃え立つマグマが、まるで血潮のごとく脈打ちながら噴き出しているのだ。


 同じ場所からおびただしい量のどす黒い煙が上がっていた。

 噴煙はまたたく間に天まで昇り詰め、空を覆い尽くさんとばかりに鈍色の雲と混じり合い拡がっていく。風が強いせいか、その足は速い。

 再びの爆発音。そして、ひときわ強い揺れ。

 襲い来る熱波に煽られながら、俺は身を固めて耐えた。

 先ほどよりも一層激しくマグマが噴き上がり、炎を纏った火山礫が勢いよく風で飛ばされてくる。


 風下にあるのは——俺たちの家だ。


 一気に血の気が引いた。未だ振動を続ける足元にも厭わず、立ち上がって大地を蹴る。

 急な斜面を必死に駆け下りた。何度も何度も足を取られそうになりながら、ただひたすらに家を目指して突き進む。


 噴火口から溢れ出した火砕流が、湖に流れ込んでいくのが見えた。

 ミカの言った通り、あれがこちらまで来ることはなさそうだ。

 もう一度、家の方向へと視線を向ける。今度こそ俺は、自分の目を疑った。


 あの丘の上に、火の手が上がっていたのだ。


 まずい。この強風ではあっという間に火が回り、丘ごと丸焼けになるだろう。麓にある俺たちの家も危険だ。

 俺はもう二度と、大切なものを失うわけにはいかないのに。


 どのルートを辿ってきたかも覚えていなかった。

 ただ、普段なら考えられないほどの早さで家に到着した。


「ミカ! サク!」


 叫びながら、玄関に駆け込んだ。手前の部屋には誰もいない。

 寝室の扉を開く。そこももぬけの殻だ。家の中に、ミカとサクの姿はなかった。


 心臓が張り裂けそうなほどに暴れている。二人はいったいどこにいるのか。トイレか、湯浴み場か。

 表に出て家の周囲をぐるりと回ってみたが、やはりどこにもいない。

 まさか——

 すぅっと体温が下がった気がした。嫌な予感が思考を支配していく。

 呼吸が整う暇もなく俺はまた地を蹴り、急勾配を駆け上がっていった。


 向かう先は——今なお燃え盛る、この丘の頂上だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る