1ー7 山羊飼いの少女

 おばあさんの家を後にしてから、僕とコウは砂嵐を避けつついろいろな場所を巡っていった。『希望の塔』をずっと前方に捉えながらも、ぐるりと迂回するようなルートだ。


 瓦礫の街を出発して七日目、僕たちはとある牧場に到着した。

 広々とした囲いの中には十五頭ほどの山羊ヤギ。乾燥させた牧草の束が納屋の壁に沿って積まれており、隣には小さな家がある。

 その家から出てきたのは、僕と同じ年頃の女の子だった。


「コウさん、こんにちは」

「やぁ、ヤコちゃん」


 ヤコと呼ばれた女の子が、コウの後ろにいる僕を興味津々の様子で覗き込んでくる。


「その子、誰?」

「昔ここに来てたジンさんを覚えてるかな。あの人の息子なんだ」

「へぇ、そうなんだ。こんにちは、初めまして」


 にこりと微笑んだヤコは、結構可愛い顔をしていた。そして僕より少し背が高い。


「……こ、こんにちは」


 もごもごと挨拶を返す。

 コウがそっと口元を隠すような仕草をした。含み笑いをしているのだと気付いて、面白くない気分になった。


 持ってきた荷物をさっそくヤコの家に運び入れ、代わりに山羊のチーズをワゴンに積んだ。

 そのチーズは僕も食べたことがあった。瓦礫の街でも人気の品だ。


「これ、妹が好きなんだ」

「えっ、そうなの? 嬉しい!」


 ヤコがきらきらした笑顔でそう言ったので、僕は何だかどぎまぎしてしまった。

 考えてみたら、年の近い相手とこんな風に気軽に話をするのは初めてだった。


 ヤコは僕より一つ年上の十六歳らしい。家族をみんなヒルコ症で喪くし、四年前に一人きりになってしまったそうだ。

 だけど、比較的近所に住んでいる親戚に手伝いに来てもらって、今も山羊飼いの仕事を続けているのだという。


 今日もヤコの母の従姉だというおばさんが来ていて、四人で昼食を囲んだ。


「ジンさんは本当に子煩悩だったからねぇ。うちに来るたびに『早く家に帰りたい』って言ってたんだよ……」


 おばさんがしみじみとそう言った。

 また、この感じだ。行く先々でコウが僕を『ジンの息子』と紹介するたびに、人々の口から同じような話が出てくる。

 反応に困った僕は、例によって黙々と食事を続けていた。平静を装うのは上達した気がする。山羊の乳の入ったシチューが美味い。


 不意に、向かいに座ったヤコと目が合った。


「ね、ナギくんは山羊のお乳って搾ったことある?」

「えっ……ないけど……」

「じゃあ後でやってみる? せっかく来てくれたし」

「あ、うん」


『ナギくん』という呼び方と『乳』という単語にびっくりして、ついそんな返事をしてしまった。



 昼食が終わると、ヤコに連れられて牧場の囲いの中に入った。

 ヤコはある一頭の山羊をさっと捕まえて柵に繋いだ。


「ほら見てて。こうやるんだよ」


 さすがに慣れた手付きだった。搾られた乳が勢いよくバケツに入っていく。

 ずいぶん簡単そうに見えたけど、僕と交替したらなぜか乳はほとんど出なかった。山羊のものとはいえ乳房に触れるという行為に、ちょっとした気まずさもあったかもしれない。


「難しい……」

「あはは、コツさえ掴めば簡単だよ」


 再びヤコが搾ると、魔法みたいにジャージャーと乳が飛び出してきた。職人技だ。

 コツを聞いて何度か試すうち、僕でもどうにかちょろちょろと乳が出るようになった。最後はヤコが搾りきり、バケツに溜まった乳を専用の容器に移し替えた。


「このまま飲むと結構臭いんだよ。料理やチーズに加工したものはまだいいけどね。この頃はいい牧草が減ってきてるから、お乳の質も少し落ちてるんだ」


 ヤコの言う通り、ほぐして与えた干し草は茶色く変色していて、お世辞にも美味しそうには見えない。

 僕たちは柵の外から山羊たちの食事風景を眺めながら、ぽつぽつと言葉を交わした。


「すごいな、一人で何でもできちゃうんだ」

「そんなことないよ。あたしなんてまだまだ。乳搾りだって、おじいちゃんや両親の方がずっと上手だったんだよ」

「あ……そうなんだ」


 急に亡くなった家族の話題が出て、僕は内心どきりとした。

 だけどヤコは何気ない口調で続ける。


「うちはひいおじいちゃんの代から山羊を飼ってるの。人がどんどん月のコロニーに移住して、この辺りもどんどん砂漠化して……でも雨季になればこの子たちの餌になる草が育つから、生きられるうちは人間の都合で見捨てるわけにはいかないって、いつもおじいちゃんが言ってたんだ」

「へぇ……」

「わざわざ手伝いに来てくれるおばさんたちには迷惑かけてるなぁって思ってたんだけど。前にそれを言ったら、怒られちゃった。『もっと頼んなさい』って」

「うん」

「これだけ人が減っちゃったから、誰かと繋がってることって本当に大事だよ。キャラバンも、すごく助かってる。あたしの作ったチーズが誰かに届いて喜んでもらえるなら、また頑張ろうって思えるもん」


 ヤコが僕を覗き込んでくる。


「ね、お父さんと同じ仕事をするの?」


 そう訊かれて、ぎくりとした。何となく、目も合わせずに答える。


「……別に、そういうわけじゃない。今回はたまたまついてきただけだよ」

「仕事を継ぐのって素敵だと思うよ。お父さんも喜ぶんじゃないかなぁ」


 驚いて、思わず隣を見た。上背のあるヤコから見下ろされている。僕はむっとして顔を背けた。


「関係ないだろ。僕は僕だ」


 口を突いて出たのは、不機嫌極まりない声だった。

 一瞬の間の後、ヤコが呟くように言う。


「……ごめん、変なこと言ったかな、あたし」


 ……しまった。


「あ、いや……ごめん」


 メェェェ、と山羊が鳴いた。短慮な僕をたしなめるみたいに。

 胸の奥がもやもやする。

 しばらく、二人とも黙っていた。それを破ったのは、やっぱりヤコだった。


「あのね、これを渡そうと思ったの」


 差し出されたのは、手のひらに乗るくらいの小さなポリ袋だ。中にはごま粒大の何かがたくさん入っている。


「これ、何?」

「花の種だって。前に、東の方から旅してきた人にもらったの」

「東? 『火山の国』の方?」

「うん。まだそう呼ばれる前——大地溝だいちこうができる前のことだよ」


 四年ほど前、東の山が大噴火を起こして以来、山間やまあいの国は『火山の国』と呼ばれるようになった。

 その噴火の影響で地面が大規模に崩れ落ち、大地が東西に分断されてしまったため、今では簡単に行き来できないようになっている。

 その旅人は、噴火より前にやってきたということだ。


「これ、ここの土じゃうまく育たないの。だから、あたしもしばらくこの種のことは忘れてたんだけどね」

「それを、どうして僕に?」

「うーん、何から話せばいいかなぁ……」


 その時、玄関からコウが出てきた。


「そろそろ出発しよう。陽が暮れる前に次の場所へ行きたいんだ」

「あ……」


 ヤコを見ると、小さな笑みが返ってくる。


「じゃあ、また来てよ。そしたらその時に教えたげるから」

「えっ……あの……」


 たじろいでいる隙に、いつの間にか種を持たされていた。


「それじゃあまたね、ナギくん」

「あ……うん」


 ひらひらと手を振るヤコにつられて、思わず返事をしてしまった。『ナギくん』という呼び名がむず痒い。

 コウがどことなく口元をにやりとさせている。


「悪い、邪魔したかな」

「べっ……別に、そんなんじゃないよ」


 僕は赤くなっているに違いない顔を誰にも見られないように、そそくさとワゴン車へ戻った。

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