1ー5 裏切り者の背中
集会の日から三日。
コウが運んできた物資により、人々は多少の笑顔を取り戻していた。水と補修資材の他に、干し肉やウチワサボテンなどの食糧もあり、雨季が来るまでの生活をどうにか繋いでいける目処が立ったのだ。
当然ながら、僕の提案した古井戸の発掘作業は中止となった。
それならば地下水路の補修作業を手伝うと申し出たのだけど、そちらも力仕事で危険だからと断られてしまった。
重い鉄骨を運ぶような作業では、確かに僕は足手まといになってしまう。男のつもりで生きてはいても、彼らと同じような筋肉はなかなか身に付かなかった。
女たちに混じって布織りの作業をするナミを横目に、瓦礫の街を当て所なくぶらつく。
家々の脇に並べられたタチジャコウソウのプランターを何の気なしに眺めた。蚊よけの香の原料になる植物だ。乾燥には強いはずだけど、この
どことなく侘しい気持ちになって、僕はプランターの側にしゃがみ込んだ。
どうして僕はこんなにも役立たずなのだろうか。
その時、背後から突然、しゃん、という音がした。
瞬間的に心臓がぎくりと跳ね、僕は弾かれたように立ち上がって振り返る。
案の定、そこにはコウがいた。
最悪だ。
よりによって一番会いたくない相手に、こんなところでやさぐれている姿を見られてしまうなんて。
ばくばくいう心音に焦りながらも、僕は精いっぱい平静を装った。
「なっ……何だよ。何か用?」
「ごめん、驚かせるつもりはなかったんだ」
コウは苦笑いしながら頭を掻いた。手にした荷物は、街の女たちが作った織物のようだ。
「……もう出てくの?」
「あぁ、砂嵐が止んでいるうちに、次の場所へ行きたいんだよ」
「……アヤは? もうすぐ子どもが生まれるっていうのに、ついててやらなくていいわけ?」
「そうしたいのは山々だけど、キャラバンを待ってる人たちがいるからね」
「ふーん……」
またにわかに苛立ちが蘇ってくる。だけどそれはすぐに、コウの声によって遮られる。
「ところで、キャラバンについてくる気はないかい?」
「え?」
「今回だけでもいい。それほど難しい仕事があるわけでもない」
「……なんで?」
「雨季に入る前の最後の巡行で荷物が増えるから、お供が欲しいんだよ」
コウは軽く微笑む。熱気をはらんだ風が鼻先を掠めていく。
僕は
「……ナミに訊いてくる」
どうして承諾したのか、自分でもよく分からない。
ただ唯一はっきりしているのは、この街にいたところで僕にできることは何もないということだ。
キャラバンの巡行についていくことを告げた時、ナミはほんの少しだけ表情を固めた。
「いつ帰ってくるの?」
「さぁ、順調に行けばひと月くらいだって話だけど。ちょうど雨季が始まる頃かな」
「そう」
ナミは視線を落とし、二、三度瞬きをした。そして自分の右手首に嵌めた赤い
「じゃあこれを、お守り代わりに持っていって」
それは母さんの形見の一つで、ナミがいつも肌身離さず身に付けているものだった。僕たちのピアスは、このブレスレットから取った石で作ったのだと聞いたことがある。
まだ温もりの残るそれを軽く握りながら、僕は軽く苦笑する。ナミはこういう気休めが好きなのだ。
「月のご加護を」
真面目な顔でそう言われて、僕はただ頷いてその場でブレスレットを右手首に通した。
街の外に出るのは、考えてみたらこれが初めてだった。
太陽光発電で動くワゴン車は、荒れた大地をゆっくり進んでいく。
砂嵐は引き続き鳴りを潜めていた。晴れ渡った青空と乾いた白っぽい地面がどこまでも続く。その二つの色を、地平線が上下にきっぱりと分けている。
ただ一つ、あの『希望の塔』だけが景色の調和を乱していた。
キャラバンはその名の通り、昔は大勢で隊商を組み、何台もの車を連ねて各地を廻っていたらしい。
ここからずっと東にある
だけど時代の変遷と共に、この星を離れて月のコロニーに移住する者、病気や巡行中の事故などによって命を落とす者が次々出て、今ではコウ一人になってしまった。
荷物に付けた鈴は、これまで隊商にいた者たちから代々受け継いでいるらしい。キャラバンの到着を人々に知らせる他に、砂漠ではぐれた時に自分の居場所を仲間に教える意味があるのだと、いつか誰かに聞いた覚えがある。
「一人になってずいぶん経つから、誰かと一緒というのは少し不思議な気分だな」
運転席のコウがまるで独り言のようにそう呟いた。
僕は黙っていた。特に返事をする必要もないと思ったし、また何と返事をして良いのかも分からなかったのだ。
積まれた荷物の振動する音が車内に響いている。時おりそれに合わせて例の鈴がしゃんしゃんと鳴り、僕は何となくその回数を数えていた。
コウが不意に、もう一度口を開いた。
「十年前にジンさんと一緒だったのが、最後だ」
それはさっきの発言の続きにしては長く、別の話題に移るには短いような間の後のことだった。
僕は思わず、コウの顔を見た。
コウは何ごともなかったかのように正面を向き、淡々と運転を続けている。
でも、もちろん空耳などではない。独りでに鼓動が速くなってくる。
『ジン』は、父親の名だ。
母さんと僕たちを見捨てた父親の。
今から十年前、母さんがヒルコ症に罹った。
キャラバンだった父親は、そもそもたまにしか顔を見せない存在だった。そして母さんが治療の手立てのない病に冒されるや、ぱたりと姿を消した。
折しも、月コロニー行きの最後のシャトルが『希望の塔』から打ち上げられるタイミングだった。約七十年にも渡った月への人類移住計画はその便にて完了し、地球にはわずかな人が残るのみとなった。
後になって、父親はあのシャトルに乗っていったのだと誰かから聞いた。いつ帰ってくるのかと尋ねても、みんな困ったように微笑みを浮かべるだけだった。
捨てられた、と思った。
死の影の迫る母さんを見離し、僕たちのことも放っぽり出して、あいつは自分一人だけで新天地へと逃げたのだ。
しゃん、しゃん、という鈴の音と共に遠ざかる最後の背中を思い出す。
僕がどれだけ泣き叫んでも、決して振り返ることのなかったその背中を。
——父さん、母さんを助けて!
裏切り者に向かって僕は、そうとは知らずに助けを乞うていたのだ。
僕もコウも、沈黙を破ろうとはしなかった。
あいつの名前が出たことで僕は酷く動揺していた。だけど、それをコウに知られまいと何でもないふりをした。
コウは相変わらず、一定の速度で車を駆っている。
何を考えているのかさっぱり分からない。どこへ向かっているのか、それくらいは訊けばいいのかもしれない。
でも、また何かのきっかけであいつの話を持ち出されたら堪ったものじゃない。
僕は口を閉ざしたまま窓の外を眺めていた。
どれだけ進めども、似たような景色ばかりが続く。視界の端に映り込む『希望の塔』も、一向に近づく気配はない。
塔を見ていると思われても何だか癪なので、僕は瞼を閉じ、考えることをやめた。
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