チャプター23:クラウン化学工場
クラウン
都心からは南端にある化学工場であり、かつては化学薬品を製造し街へと直送していた場所であった。
しかし数年前に当時の責任者が安全確認を怠って、薬品タンクに落ちて死亡したという事故が起きた。それを皮切りに相次ぐ傷害事故や経営不振が重なっていき……ついには別の場所に新たな工場を建てそこに移転することになり、現在はいわくつきとも言える廃工場となっていた。
そんな工場の敷地内に入る正門前に、ピンクシールは今しがた到着した。
―――おそらく軍はガス覆面の出処から探し出して、この工場に辿り着いたんだと思う。
ここに来る前の会話を思い返す。今ここに居るのはピンクシールのみで、エレナのドローンは付いて来てはいない。というよりはこの工場にドローンが近寄れないと言うのが正しいだろう。
それは軍用車に搭載されたジャミング装置から発せられる妨害電波のせいであった。こことは別の場所にも軍用車が止まっており、工場全体を囲めるように配置されていた。
そのためドローンは装置が起動するギリギリまでは様子を見ることができたが、妨害電波を放たれてからは操縦が不可能になってしまった為、もはや近づくことすらできなくなっていたのだ。
―――でもここまで厳重に準備しているってことは、軍はここに重要な手掛かりがあることを……あるいは怪人がここにいるのを確信しているのかもしれない。
おそらくはこの工場こそが怪人のアジトであり、廃工場を洗脳ガスと覆面の量産工場として利用しているのだと見立てていた。
軍の動きを見た単純な推測であるが、確定と見て良いだろうというのがエレナの見解だ。
信憑性高く、現実的である。流石にプロは違うなと、ポーターから調べていたピンクシールは痛感した。
しかし……到着してすぐに発見した異常が、ピンクシールの心に不安を走らせた。
敷地内に無造作に駐車されている数台の軍用装甲車。門から遠目に見えていたが、近づいてみたところで、辺りに上下の迷彩服とグレー色のガスマスクや銃を装備をした軍人が数名倒れていたのがわかったからだ。
それを見つけたピンクシールは驚くが、すぐさま駆け寄ってどのような状態かを確認した。
まさか、死んでいる? そう思ったが、気絶しているだけだ。苦しげに呼吸をしていて生存を確認できたが……あまり安心はできない。見て分かる限りの怪我で、全員が足や腕をあらぬ方向に骨折されていたからだ。
戦闘のプロである軍隊がこのような惨状になっていると誰が想像できただろう。医学的な知識や身体科学に詳しいわけもないピンクシールは病院なりエレナに連絡を取ろうとするが、ジャミング装置のせいでそれができない。
「おい、そこの……そこのあんた……」
緊急事態だ。車ごと壊してしまおうかというところで、声が聞こえた。それは装甲車の方で、車を背にし寄りかかって座っている軍人の男であった。
「名前はたしか……そう、たしかピンクガールだったか……?」
「なんでもいいよ! 何があったの!?」
思ってもみなかったあんまりな惨状にピンクシールはつい声を大きくしてしまう。今も苦しいのか軍人の男は苦悶の声を漏らしながらも「怪人だ。奴にやられたんだ」と答えた。
「聞いてないぞ、あんなに強いなんて……」
「……本当なの? 怪人の部下とか、洗脳された人達にとかじゃなくて?」
違う。怪人が独りいきなり現れ襲い掛かってきたのだと、その時の状況を詳しく語った。怪人は力強く隊員達の腕や足を狙い、一撃で骨を折っていった。銃で反撃したが怪人は素早く照準を定めさせぬよう動いて避けてみせたのだと話した。
あっという間の出来事だった。動きだけ見るならピンクガールみたいだと、最後に軍人の男は付け加えた。
「……」
まさか……怪人は
黙したまま思案していると、軍人が声を掛けてきた。
「ピンクガール……頼みがある……」
軍人は起き上がろうとするがうまく立てず、諦めたように背にしている車に指を差した。
「応援が必要だが、装置のせいで連絡が取れないんだ……操作を教えるから、解除してくれないか……? ……車は壊さないでくれ」
〇◎
操作を学んだピンクシールはジャミング装置がある車の居場所を聞き、工場に入る前に解除して回った。やはりどこも軍人達が倒れ怪我をしている惨状で、すべて解除した後に工場内へ入りつつエレナに連絡を取って工場で起きた出来事を話した。
『違うと思う。もし貴方と同じ物を使ってたとしても、聞いた話と効果的にいくらなんでも早すぎるもの』
PS-1に辿り着いたというピンクシールの考察を、エレナは否定した。しかし怪人が一人で軍隊を圧倒したという話はどうなるのだろうか? それに対してエレナは本音を隠さず『……わからないわ。どんな仕掛けや方法を使ったのやら……』と答え、どこか不安なものを感じ取れるものだった。
嫌な予感がする。ピンクシールは自然と足を速め工場内を駆け巡っていく。探索の途中で倒れている隊員を気にしながら、意識がある場合の者には可能なら怪人の行方を聞いて回った。そして皆同じことを口にしていた。
―――ピンクシールが来たら伝えろ。薬品タンク室で待っていると。
工場見学用にある案内地図で部屋の確認をして、ピンクシールはまっすぐに目的の場所へと向かう。やがて『薬品タンク室』と書かれた札の扉を見つけ、駆け込むように扉を勢いよく開いた。
中は思っていたよりも広く、エレナの研究所を想起させるほどの広さであった。名前的に薬品タンクがいくつも並んでいるものを想像していたが、並んでいるというものではなくまばらにありその近くに個室が設けられている。
しかし何より目についたのは中央にある他のタンクよりも一際巨大なタンクだ。巨大タンクの下にある調整室がわかりやすく部屋内の心臓部を担っているのが察せられた。
そして何より……怪人が、そこにはいた。
「うぅ……」
調整室の前。今までの隊員達と同様に足を折られている軍人の首根っこを掴み、ずるずると引きずっている。
青いペイントの星の、青いスーツを着こなす怪人の姿を。
―――ようやく、見つけた―――!
「あん……?」
怪人がこちらに気付き、振り向いたのと同時だった。ピンクシールは足を踏み出して前へと跳んでいた。ほとんど姿勢を変えない脚力のみの動きだが、ピンクシールのそれは音速を超える。
ただ一直線に怪人へと接近するピンクシールはDBCの時の再現のようで、しかし怪人の言葉の脅威を身に染みて知っている彼女は同じ過ちを繰り返すつもりはない。
もう警告などはせず捕らえ、屋上のポーターと同様に彼を無力にさせる場所へと連れ出すのだ。
もはや一秒にも満たない結末になるだろう。ピンクシールが手を伸ばし、もう捕まえるだけなのだから。
しかし……そうはならなかった。
迫りくるピンクシールが伸ばした手を、怪人は掴んだのだ。
「えっ……?」
驚く暇すらない。突っ込んできた勢いを殺さないまま怪人は掴んだ手首をそのままに、ピンクシールを自らの後方へと投げ飛ばした。
「……!」
投げ飛ばされている。想像すらしていなかった状況を空中で理解する時には、ピンクシールはまばらにある中の薬品タンクに背中から激突していた。
どごん、という大きな音が響く。
激突されたタンクはピンクシールを抑えきれずに衝撃で根本が外れる形で大破され、衝突で勢いがなくなったピンクシールは横に転がりこむように床に着地する。その背後の方には飛んで行ったタンクが数度弾みながら床に叩きつけられ、壁にぶつかり外れた根本からは青い液体が漏れ出ていた。。
背中を強打こそしたが、大したダメージにはなっていない。それよりもピンクシールの心中は今、驚きに勝る感情を持ち合わせていなかったのである。
「は……はははははは!」
上半身を起き上がらせ怪人を見ているピンクシールに、怪人は高らかに笑い始めた。
「すげえな……本当に、本当に! あいつの言う通りだ!」
唐突に独り言を発する怪人の声に、ピンクシールは違和感を抱き、そしてそれとは別にすぐに気づいた。DBCで戦った怪人の声とは、あまりにも違い過ぎたからだ。
演劇がかったわざとらしい口調であるにも、謳うように澄んだ声で語らいでいく怪人と、野太く荒々しい強い声色を放つ目の前の怪人は比べるまでもない。
DBCでは10分にも満たない時間の対峙であったが、どんなに察しの悪い人間でもわからない筈はなかった。
「……怪人じゃない。貴方は、誰なの……?」
「わからないか? いや、正しくねえな。憶えているわけがない、だな?」
問いかけに答えながら、怪人は自ら片方の手で自分の覆面を剥ぎ取り捨てた。
露わとなる素顔にまず目が行ったのは、髪の色だ。染色剤で染めたシルバーの髪は他者から見てもあまり良い趣味とは言えない不釣り合いで、目立ちやすく特徴的な印象を与えるものであった。
色に目を奪われがちだが、わかりやすかった。ピンクシールはふてぶてしさを感じさせる強面な男の顔は記憶にはない。しかしそのペンキを頭から被ったような銀髪は、見覚えがあった。それも最近の出来事で……ヒーロー活動を始めた初仕事の夜の記憶。
「少し前の夜にお前のボーイフレンドを追い詰めていた時だ、ピンクシール! お前がシールを貼った最初の悪党だよ!」
あの時の夜――――フェイクを追い詰めていた三人組のリーダー各の男が、その正体を高らかに明かしていた。
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