新世界
官房長官との面会からしばらくは、ずっと出立の準備……事前ブリーフィングと、マニュアルを読み込む日々が続いた。
その中で、
基本的に、この『IDOLA』という機体は、単独行動であってもメンテナンスフリーで行動できることを目的として開発された機体であるという。
そして……向こうの世界にも、少数ではあるが、発掘品として同様の構造を備えた機体が存在しているのだと、注意書きが添えてあった。
その機体の主動力であるオーラジェネレーターには、核である『オリジンコア』と呼ばれるものが存在するのだそうだ。そして、それこそが、この『IDOLA』と呼ばれる機動兵器の、最大の特徴となる文字通りの『核』であった。
このオリジンコア……それはつまるところ、この時代の日本人の持っている補助情報脳、S.I.Bの上位機である、高密度光量子コンピューターである。
その演算能力は物質と表裏一体となっている『情報体』に作用し、その情報を改変することで、そこにリンクしている現実の物質や事象すら改変し、改竄し……まるで魔法のような超常現象を引き起こす。
そしてその力を利用することで、情報体の側から強化された特殊なパッケージ内の極小空間に、過剰な負荷をかけ破砕することによってその『空間』そのものを相転移し、エネルギーを取り出すのが、イドラの動力であるオーラジェネレーターなのだそうだ。
故に、このオーラジェネレーターは、オリジンコアさえ稼働できる状態にあれば、燃料なしで稼働し続ける……いわゆる半永久機関であると、そう締めくくられていた。
あまりにも現実離れしたその技術に眩暈を感じたが、実際に珠羽の下へと定期的にあがってくるヴィエルジュの建造状況を見ていると、どうやら伊達や酔狂ではないらしいことが、日に日に実感を帯びてきていた――……
――そして、とうとう訪れた約束の日……珠羽が指定された場所へ向かうと、そこに待ち構えていた彼、官房長官である四条の案内で誘導され、防衛省地下深くへと案内された。
そこに設置されたカプセルに言われるままに乗り込み、不意に襲ってきた睡魔に耐えきれずに身をゆだねると――……
「――ん、ぁ……?」
まるで眠りから目覚めるように、ぼんやりと珠羽の意識が浮上した。
まずその目に入ってきたのは、スタンバイ状態の全天周モニターと正面コンソール、それとシートのサイドから突き出した操縦桿……見慣れたゲーム内のヴィエルジュのものと寸分たがわぬ、真新しいコックピットだった。
「……おー、凄い……本当にヴィエルジュの中だ」
まだ寝ぼけ眼のまま、座っているパイロットシートの周囲を、ぺたぺたと触れてみる。
「しかも、ゲームの時と全く座り心地も一緒……は?」
おかしい、あまりにも一緒過ぎる。
元々ゲームと現実で過ごす時間が逆転している珠羽はすぐには気が付けなかったが、そういえば、さっきから聞こえて来る、自分の口から出て来る声もゲームそのままだった。
そう疑問を感じた瞬間、珠羽の、寝起きで緩んでいた思考が、一気に鮮明になる。
渡されたマニュアルの中に、操作を補助してくれるAIの存在があったはずだったと記憶を手繰り、その名前を口にしてみる。
「……えぇと、『ユニオス』……だったっけ? コックピット内の映像を、出してくれ。大至急」
『
名を呼ぶと、柔らかな女性風の合成音声の返答が聞こえ、即座に正面モニターにウィンドウが一つ開き、コックピット内の映像が……今の珠羽の正面からの映像が現れた。そこに映っていたのは……
――さらさらと流れる、腰あたりまである白い髪。
――幼げな、しかし整った顔。
――まだ成長途上の、しかし若干体の凹凸が出来始めた身体。
白く透き通るような形の良い小顔は見るからに柔らかそうで、触り心地の良さそうなその肌はローティーン特有の肌理細かさを主張していた。
そんな顔を縁取る白い髪(アルビノのように色素が無いわけでなく、僅かに青味掛かった白色をしている)は、前髪はぱつんと目のすぐ上あたりで切り揃えられ、僅かに内巻き気味なストレートヘアはサイドとバックともに腰の上あたりで綺麗に整えられている。
細く頼りない首からさらに視線を下に移すと、その身体を覆っているのは、露出を極力抑えたパイロットスーツ。
ぴったりと肌にフィットし、体のライン……胸の慎ましやかな膨らみや細い腰、丸みを帯びたお尻……滑らかなラインを描く女性の体をくっきりと
これは……この姿は。
「…………スフィアの体じゃないですかぁああああ!?」
狭いコックピット内に、高く澄んだ可愛らしい絶叫が迸った。
「ユニオス! 緊急通信! 四条さんに! 繋がるんですよね!?」
『肯定。しかし、あと256秒でゲートが閉鎖し、それ以降は通信不可』
「今可能なら構わない! 繋いで!」
『
すぐに、もう何回も見た四条の、飄々とした優男顔がアップで映ったウィンドウが正面に開く。
『やぁ、無事にそちらに行けたようだね。どうだい、気に入って貰え……』
「それより! なんで、なんでスフィアの……女の子の恰好なんですか!?」
『おや、言ってなかっただろうか。可能であれば、
その言葉に、珠羽の体がびしりと硬直した。あの時は、てっきり向こうの女の子をひっかけて連れて来いという意味だと思っていたのだが。
「……あの、まさか」
珠羽の脳内に、最大級の警鐘が鳴り響く。今の体は女の子。つまり、それは。
『ああ、安心してください……そのボディには、古今あらゆる性病の抗体のデータがインプット済です。種族の違いも……まぁ多少なら無視して受精し着床できる、そういうようにできていますので』
「やっぱりヤって作って来いって事か、この野郎ぉぉおおおお!?」
今までの仕事用の胡散臭い笑みとは違う、初めて見た気がする満面の爽やかな笑顔で、最高にゲスい命令を下してきた四条に、珠羽が思わず絶叫した。
『過去の調査隊の報告から、この世界の人間の嗜好は我々とほぼ合致しています。そのボディならより取り見取り、任務達成の成功率は非常に高いですよ。では健闘を祈ります』
「あ、ちょい、待……っ!?」
ぶつん、と、無常も通信が切断された。伸ばした手は何も映さなくなったモニターを前に、行き場を失って固まった後、力無く落ちた。
「……嘘でしょ?」
『否定。当機にも、指令内容はそう記されています。各種性交補助用具や、排卵誘導剤などもすぐに用意できますので、必要であれば申し付けください』
「……………………うん、いらない。捨てて?」
『その命令は実行できません』
がっくりと、珠羽が項垂れた。
無情にも、冗談という線はばっさりと斬り捨てられてしまった。
いつまでも嘆いていても仕方がない。女の子の体に入れられてしまった以上、スペックを確認しておかなければ。
……それに、万が一に備え、妊娠機能を拒否設定にしておかないと。
男に抱かれる事自体まっぴらゴメンだが、最悪でも妊娠だけは絶対に嫌だ。
そう珠羽は思いなおし、行動に移ることにした。
開き直った、とも言える。
「ステータス、オープン」
いつものように、各種身体能力のデータを呼び出そうとコマンドワードを口にする。
……しかし何も起こらない。
「あれ、おかしいな……ステータス、オープン!」
もう一度、はっきりと一語一語を区切り、珠羽がそう口にしても、シン……と、相変わらず静まり返ったまま何も起こらず、時間だけが流れていく。
「……バグってるじゃないですか!?」
しかも、
「はぁ、もう……なんだこのクソゲー……絶対に言いなりになんかならないぞ、このままバックレてこっちでの生活を満喫してやる……!」
誰が素直に孕んで帰ってやるものかと、珠羽は決心する。
流石に資源探索まで放棄するのは良心が咎めるのできちんとするが、もう一つの指令は絶対に拒否だ。
それに、こちらではこの愛機も居る。夢にまで見た、現実で思うがまま動かせる機体だ。
珠羽としては、向こうに未練があるわけでもない以上、この時点でこちらに残るのも吝かではない。
それに……珠羽はもう一度、モニタに映っている自分の姿を確認する。
「……これが、こっちでの体か……すごい、本物だ。完全にスフィアになってる……ヤバい、可愛い……」
元々が、自分で最高に可愛いと思って作ったアバターだ、愛着は当然ある。
自分がこの姿になる事に抵抗が無いわけでは無いが、それでも、このスフィアという少女になるのなら、まぁ良いか、と思えるほどの抵抗でしかなかった。
ぺたぺたと顔や体を触ってその感触を確かめる。さすがにスーツ越しでは体に触れた感触はほとんど無いが……
興味本位で恐る恐る手を伸ばした、この身体にささやかながら存在する二つの丘。ふにっ、と柔らかく指が沈む感触は……うん、悪くない。
自分の身体ではあるが、それでも感じる僅かな罪悪感に悶えつつも、珠羽はそう思った。
この体を、自分の理想の姿に設定したこの少女を、誰が見知らぬ野郎になんてくれてやるものかと決心を固める。
俺の作った理想の少女である『スフィア・ユースティア』は、そこらの雄に股を開いて孕みたがるビッ〇などでは決して無い、清楚な少女なのだからと。
「……なら、それにふさわしい立ち振る舞いをしないとね。ユニオス、このスフィアの戦闘データと人格データは呼び出しは可能?」
『肯定、問題なくそちらに転送できます』
「よし、やってくれ」
『
ゲーム時代に使用していた、「スフィア・ユースティア」として振る舞うための人格データを呼び出す。
正面にデータ読み込み中を示すバーが現れて、待つこと数秒……「Compleat」の表示と共に――それは起きた。
「――んぅ!? あ……あぁっ!?」
珠羽の体内に流れてきたデータが存在を書き換えていく感触に、全身を駆け巡る快楽にも似た刺激が走り、ガクンと体が跳ねる。思考が、心が、スフィアという存在に書き換えられていく。
そうして……ちぐはぐだった珠羽の心とスフィアの体が、『スフィア・ユースティア』として一致したことで、この真新しい体の、使われていなかった神経が、次々に目覚めていく。
その刺激にぴくん、ぴくんと体が跳ね、下腹部の奥が……今まで自分に存在していなかったため、脳に認識されていなかった臓器が初めて脳に接続され、活動を始めたことで発生した熱に、たまらず体がくの字に折れる。「はっ……んんっ……!」と、スフィアの口から、幼気な体躯からは不釣り合いな艶めかしい吐息が漏れた。
思考が新しい感覚に翻弄され、頭が真っ白になるのを繰り返したのち……やがて、ようやく落ち着いて来る。そっと、口の端から零れていた涎を拭う。
「――ふー……ふー…………ふぁ……っ、無事、転送できたみたいですね……んっ」
じゅん、とお腹の奥底から何かが湧いてくるような感触に、太腿を思わず擦り合わせる。
男から女へと性別変更する際はとても気持ち良いと、その手のマニアには聞いてはいたけれど……ここまでだとは思わなかった。
それに……空気が肌に触れる感触が、やけにこそばゆく感じられた。日本に居た時に比べると、まるで体を包んでいた薄布が一枚剥ぎ取られたかのような、鮮明な感覚。
こちらに居る時の方が、やけに鋭敏な気がして……今まで現実だと思っていた日本も、ゲームのように感覚が制限されていた世界のような気がして……いやいやまさかそんな、おそらくは少女の身体なせいだろうと、湧いてきた疑問を追い出した。
そんなことを考えながら、自分の身体を抱き締めてしばらくの間じっと堪えていると、熱に浮かされたような呼吸もやがて沈静化する。
「落ち着いてきました……かね?」
スフィアは、ようやく脳と身体が馴染み、火照りが消えてきた下腹部の様子を確かめ、軽くお腹を撫でてみる……うん、大丈夫そう。
「それにしても、変な感じですね……」
軽く手を握って開いたりする、たったそれだけの動作でも、体が、自然と女性らしい、自らが理想とするスフィアらしい動きを取る。口調も、意識しなくてもそれらしいものになっていた。
帰るつもりがない以上、これから自分は『スフィア・ユースティア』という存在だ。そう決心すると、落ち着くまでの間ずっと沈黙していたユニオスへと声をかける。
「ユニオス、これから、私のことはスフィア・ユースティアとして登録お願いします」
『
「うん、よし。それじゃ行きましょうか。ユニオス、システム起動、巡航モードでお願い」
『
「許可します、何ですか?」
パチパチと機体各所の電気系統の電源スイッチをオンに入れ、そのたびに体に伝わってくる機体が目覚めていく振動にうっとりしながら、ユニオスの発言を許可し耳を傾ける。
『現状、この機体はロールアウト直後、初期出荷状態にあります。当機、ヴィエルジュは過去に類を見ない高性能機なため、しばらくはシェイクダウンに努めるべきと思います』
「……一理ありますね。それで、何パーセントまで抑えるべきですか?」
『主機オーラジェネレーターは20%、補器オーラジェネレーターは25%、背部オーラ・フィンは使用を控えるか、最大でも10%までとするのが妥当かと思います』
「じゅ……!?」
その出力では、空中での高機動戦はほぼ不可能だ。ホバリングで使用するか、あるいは地上戦時のクイックブーストでの使用に専念するか。
メインジェネレーターも、機体を動かす分には問題ないけれど、オーラ・フィールドに頼るのは最低限にしなければいけない。ICS(Inertial Canceller storage:慣性中和ストレージ)も、相当に絞る必要がある……無茶な機動はできない。
幸いなのは、ブレードへのエネルギー供給は問題なさそうな所か。25%もあれば、あまり長時間の使用さえしなければその性能は十分に発揮できる。
そう、ざっと考えたスフィアは、その提案を受け入れるべきだと判断した。無理をして機体トラブルを起こしてしまえば、危険なのはこの少女の体なのだから。
……楽しみにしていた全力飛行をお預けにされた不満はあるが、ぐっと堪える。
「まぁ、仕方ないでしょうね、リミッターの設定は任せます……ただし、私が必要と思った場合は、すぐに制限解除できるようにお願いします」
『
本体のメインジェネレーターが稼働音を上げ、コックピット内に火が灯る。
各種電子機器が明滅し、周囲360°を全て覆う全天周モニターに周囲の光景が映し出された。
格納庫の中みたいな、金属で覆われた四角い殺風景な部屋。
……まるで、シートごと宙に浮いているみたいだった。カメラとモニター越しだというのに、外部の光景に違和感が感じられない。
そのクリアな映像に、スフィアの胸は興奮でドクンと高鳴った。
ドキドキと暴れる心臓を宥めながら、軽くペダルを踏む。すると、体が前へと飛んだ……否、ヴィエルジュが一歩、歩を進めた。ゆっくりとした動きで周囲の光景が流れ始めた。
「……あはっ、はははっ!」
堪え切れなくなった、胸からせり上がってきた想いが、笑いとなって漏れた。
『如何なさいましたか、マスター』
「どうした? 嬉しいの! 私、本物のヴィエルジュを動かしてる!」
ずっと夢見た光景が、ここにある。
画面端、マップには、外までの道が記されている。
ただひたすら真っ直ぐ続く、イドラの通行には十二分に余裕のある、地表へ向けての上り坂。
これは……カタパルトが無いのは残念だけど、『アレ』をしなければならないよね、と、目を輝かせる。
「ユニオス、ランドスピナー展開!」
『了解、脚部ランドスピナー展開』
ハイヒールのような脚部の一部が分離・展開し、いくつもの車輪が並んだ走行補助装置ランドスピナーが展開し、地面を捕まえる。
恐る恐る、横から突き出す操縦桿に数回触れ、感触を確かめた後にぐっと握りこむ。
レバーから、その奥に確かに存在するらしい、機体の振動が手に伝わる。
――これが、現実の操縦桿……!
――これが、イドラの、ヴィエルジュのコックピット!!
「『S.I.B』、ヴィエルジュの『オリジンコア』に接続!」
『……オリジンコアへの初期接続完了。登録されたS.I.Bへの接続が確認されました。続いて、BDMS(Brain Direct-connection Manipulate System)への接続開始……
「アイ・ハブ。3カウント後、行きます……!」
脳内にあるS.I.Bが機体の操作系統に接続されたことで、ヴィエルジュの機体が体の延長となったことを確認した。たまらない全能感が全身を奔る。
「……3!」
機体の両足を広げ、姿勢を低くする。
「……2!」
上半身を前傾させ、片手を床につける。
ぐっと、膝を曲げ、さらに低く重心を落とす――まるで、獲物を前に全身に力を貯め、飛び出そうとする肉食獣のように。
「……1!!」」
オーラ・フィンに、ジェットクラスターに、淡い虹色の灯が付いた。早く、早くとせがむように、振動が大きくなる。
「……スフィア・ユースティア、イドラ『ヴィエルジュ』……いっ……きっ…………まぁぁああああすっ!!」
ドッ、と、景色が後方へ吹き飛んだ。
制限内でのフルスロットルに、瞬時に時速四〇〇キロメートルを突破し、それでもまだ徐々に加速し続けていくヴィエルジュの機体が通路を滑走し、スフィアの小さな身体がGでシートに押し付けられる。
『五キロメートル先、正面メインゲート、解放します』
「はい! このまま……いっ……けぇぇええええ!!」
ヴィエルジュの白い機体が、滑走の勢いのままゲートから飛び出した。
加速がついた機体は宙に放り出され、一瞬だけ重力を振り切って空を舞う。
眼下、全周囲に広がるその光景。そこは――まるで隕石の落下跡のような、見渡す限り広がっている巨大なクレータの中だった。
底に溜まった水が反射する陽光が、きらきらと眩しく輝いている。クレーターに丸く切り取られた空は、真っ青に晴れ渡った快晴が広がっていた。
しかし、すぐに再度重力に捕まって、
そんな感覚ですら……今のスフィアにとっては、興奮を助長する
「……これが……ここが、新しい世界……!」
その新天地を……誰も聞くものがいない中、少女の歓声が響き渡った――……
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