依頼

 落ち着いた風情ながらも高価そうな家具と、体重を支える柔らかなソファの感触に、バクバクと緊張に心臓が激しく鼓動する。

 健康状態をモニターしているS.I.Bが極度の緊張状態と警告を発しており、回線を切断することを提案している。

 珠羽しゅうとしても、今すぐにそうしたい衝動に駆られそうになるも、それは駄目だろうと堪えていた。


 そうして珠羽がそわそわとしながら、自分を呼び出した者を待っていると、やがて、一人の男性がこの部屋に転送されてきた。


 ……若い。映像で見ていた時も思ったけれど、こうしてみると、その役職からするとありえない程に若い部類のはずだ。


 モデルのようなすらっと長い手足に、柔らかい雰囲気の端正な顔立ち。

 その優男然とした顔には、S.I.Bの視界補正機能がある現在においては非常に珍しい物品である眼鏡を掛けており、穏やかな笑みを常に湛えている。

 その容姿ゆえに、女性人気が非常に高い人物であるが……珠羽は、その微笑みを見てこう思った。


 胡散臭い、と。


「ようこそいらっしゃいました、私、こういう者になります」

「あ……これはどうも、ご丁寧に……」


 渡された名刺を恐る恐る受け取り、さっと確認する。そこには、『内閣官房長官 四条しじょう 清志郎せいしろう』という名前と、その連絡先のアドレスが記されていた。

 当然、珠羽も、その顔と名前くらいはニュースで知っている。確かに本人だなと思いながら、その名刺をライブラリ内のアドレス帳へと転送する。

 名刺自体は細かい光の粒子を残して手元から消えたが、これでいつでもメッセージのやり取りは可能だ。


「招待に応じてくれた事、心より感謝します、えぇと……スフィアさん」

「あの、この姿でゲームの名前はちょっと……真星で良いですよ。それで、仕事の話との事でしたが……何故、このような場所に呼ばれたのでしょう……?」


 窓の外を覗くと、眼下にはまばらに人の歩いている靖国通りが見える……もっともこれは、ライブカメラからの映像を投影しているだけなのだが。


 ――ここは、首都東京、新宿にある防衛省……の、プライベートサーバー内の一室であった。












 ――『Project IDOLA』から現実へと帰還したあの後。

 中継の映像を眺めているうちに疲労で眠ってしまった珠羽が目覚めると、視界の端にメッセージの着信を伝えるアイコンが点滅していた。

 ゲーム内のメッセージはこちらでは通知しないようにしているし、こちらでメッセージを送ってくるような友人には心当たりも無い。

 一体誰が……そう思いながらも珠羽はメールボックスを開いてみる。


「……日本政府、官房長官……?」


 国家運営すらほぼAI任せのようなこの時代……ほとんど名誉職でしかないはずの政治家ではあるが、それでも官房長官などとなると、一ゲーマーにとっては遥かに雲の上の存在だ。なぜそのような所からと、疑問符が躍る。

 開いては駄目なメッセージかとも思いスキャンしてみるも問題はなく、試しに開いてみると、そこにあったのは、『仕事の依頼をしたい』というもの。


 同じく記載されていた防衛省のプライベートスペースへの招待のアドレスも併記されていたため、興味本位でクリックしてみて……今に至る。











「はい。あなたに依頼したいことというのは……我々が、極秘裏に探索中の異世界へ行ってもらう事なのです」

「……異世界の探索?」


 珠羽は、思わずそうオウム返しに聞き返した。

 何を世迷言を……そうは思い椅子を蹴って帰ろうとしたけれど、目の前の官房長官だという男はこちらを真っ直ぐに見つめており、冗談を言っているようには見えなかった。いたって真剣な顔であり、伊達や酔狂でこのような事を言っている訳ではなさそうだ。

 そのため、笑い飛ばして帰ろうと席を立とうと腰を浮かしかけた珠羽は、しかしその機会を失い……一つ嘆息すると、再び席に着いた。


「……それは……真剣な話、なんですか?」

「勿論です」

「……話だけでも、聞かせてください」


 あくまでもビジネス向けの微笑を崩さずに返答をする四条に、渋々と、続きを促す。


「……近年騒がれている、、それに伴う人口減少……それが年々深刻化しているという話は知っていますよね?」

「そりゃ、まぁ……あと何年で滅亡だ、そんな報道はしょっちゅうやってますからね」


 資源枯渇と深刻な少子化が叫ばれてから、もはや数世紀。

 人類の最盛期の頃に比べ、その人口は減少の一途を辿っており、この国……日本も当然そのあおりを受けている。既に地方は無人の廃墟。あらゆる娯楽を家からネットワーク経由で使用し放題な今、都市部ですら出歩く者はそれほど多くは無く、街はただひたすら閑散としている。


 『Project IDOLA』のプレイヤー人口はおよそ二百五十万人と言われている。これが、全日本国民のおよそ五割……半数なのだ。

 最盛期のこの国は一億人を超える人口を抱えていたというが、今となっては何の冗談だとしか思えない。


 そのような中、今も人々が生活が出来ているのは、高度に発達したAIによる無人機械群によって生産から流通まで全てコントロールされているからに他ならない。社会活動は全てAI達が代行しており、人が行う仕事というのはもはや一種の娯楽でしかない。


 世界の情勢がどうかは、海の外が音信不通な現在では分からないが……少なくともこの国は、日本は、滅亡へと向かう衰退の一途を辿っていた。


「出生率の低下、その原因の一つに、閉鎖されたこの日本という狭い国土の中でだけ完結したまま数世紀が経過した……してしまった結果、そうと知らずに近親での交配が進んでしまった事があります。それに……」

「北海道と、九州以南にある『黒点』……ですか」

「はい。私達は『断片化』と呼称しています」


 黒点。ある時、最初に北海道に、そしてしばらくして沖縄に……国土の端に出現した、謎の領域。

 そこに踏み込んだが最後……まるで何も無かったかのように入り込んだものが全て完全に消え去り、その中には何があるのか……あるいは何も無いのか……それを知る者は誰もいない。


 そして、その二つの黒点は徐々にその範囲を拡大し、今ではもう、北は北海道全て、南は九州の全てが地図から消え去ってしまっている。


「それらの理由から、我々は、早い段階から移住できる新天地を確保しなければなりません。でなければ……今のまま行けば、現在生きている者達は天寿を全うできるでしょう。その子らも、ギリギリだがおそらくは。しかし……そこで、この国は亡ぶでしょう」

「あと百年くらい、ですか。もうそんなに……」


 まだずっと先のことと思っていたけれど、こうして具体的な数字を聞くと、予想以上に近いことに驚愕を覚えていた……尤も、自分の代でどうこう、という訳ではないことに安堵を抱いていたりもするが。


「ですが、この日本はその百年間、日々の生活を維持するだけであれば、問題は無いのですが……大規模移住しようとするには、資源が足りていません」

「……だから、異世界ですか」

「はい。すでにそこへの道は確立していて……十五年ほど前にでしょうか。何人か、防衛省が自衛隊を派遣し調査に赴いたのですが……その成果は、あまり芳しくはないとしか言えませんでしたね。出立してから五年後に、出ていった者たちのうちの数名だけが、何の成果も得られぬまま帰還しています。その後も何度か行ってはいるみたいですが……」


 その深刻な表情を見るに、どうやらうまくは行っていないみたいだと察した。それにしてもと、は思う……


「その、犠牲になった方が居るのにこう言うのも何ですが……防衛省って、仕事していたんですねぇ」

「はは……そう言わないでください、確かにもう何世紀も渡航制限はかかったままで、他国からの接触も無いですけれど」


 四条が苦笑して肩を竦める。現在ほぼ有名無実化している省庁の中でも、特に無駄と国民に思われていたのが防衛省だ。外敵が現れた際に自衛のため……その名目で形ばかりがずっと存続しているだけだと珠羽も思っていた。

 だがそれでも……彼らは、正規の訓練を受けた隊員に違いないのだ。対して珠羽は、ほぼ電脳空間へ入り浸りの引きこもりである。

 故に、珠羽は思わざるを得ない。なぜ自分なのか、と。


「で、そんな場所に僕が行ったとして、何ができるんでしょうか。第一、そんな別世界で生き残る自信なんて無いですよ? 僕はサバイバル経験なんてないし、もし戦闘にでもなっても、武器の扱い方なんて……」

「装備には、君の『Project IDOLA』における愛機である『ヴィエルジュ』を用意しよう」

「……は?」

「君の『Project IDOLA』での愛機、『ヴィエルジュ』をこちらで用意し、現地での活動用の装備として進呈しよう……そう言ったのですが、どうでしょう?」

「……待ってください、何の話ですか!?」


 いきなりゲームの機体をくれてやると言われ、全く話が掴めずに珠羽は混乱した。これは真面目な話ではなく、ゲームのイベントか何かの話で、僕が勘違いしていただけ……そんな疑念が湧き上がって来る。


「何も驚く必要はありませんよ。そもそもあのゲーム自体、今回の件のために、情報改変駆動・論理改変兵装『IDOLAイドラ』の運用データや機体テスト、操縦者の訓練シミュレータとして内閣府と防衛省によって管理運営されているものなのですから。望むのであれば、すぐにでもあのゲームそのままに組み上げて、渡すことが可能です」


 そういって彼が手を振ると、そこに大量のウィンドウが展開した。


 『オリジンコア』という名の、非常に高い処理速度を有する超高性能光量子コンピューター……現実の物質や事象に表裏一体で付随する情報体にまで干渉し、それに自身の演算を押し付けることで超常現象を引き起こす演算機。


 そして、それを用いて何もない場所からエネルギーを取り出すための、半永久機関『オーラジェネレーター』の詳細な仕様書。


 その他、様々な、『IDOLAイドラ』に用いられている技術の仕様書に、取扱マニュアル。

 運用試験データなども散見され、ここまで膨大な情報量は、いくら何でも悪戯にしては手が込みすぎている。


 ……そういえば、あのゲームがリリースされたのは、彼が言っていた探索隊が異世界から帰還したあたりの時期にほぼ合致している。


 しばらくそれらのデータを読み漁り……呻くように、口を開いた。


「…………マジですか」

「マジです」


 その目は、まるで冗談を言っているようには見えない真剣なもの。つまり、愛機に実際に乗れる……その期待に、珠羽は胸が高鳴るのを感じていた。


 ――この時点で、すでに、心はこの仕事を受ける方向へと傾いていた。


 四条はそんな珠羽の表情を見て取り、満足げに頷くと、話を再開する。


「君に頼みたい事は二つ……異世界へ移住可能か、必要な資源はあるのか、そういった事前調査。それと……この世界の者と違う、交配可能な、新しい、優秀な遺伝子の採取し持ち帰る事です」

「……は?」

「ただし拉致は厳禁とします、将来的には移住を望んでいる以上、現地民との関係悪化は望む所では無いからね」

「あの、一つ目はよく分かるんですが……なんですか、二つ目のそれ。ハーレムでも作って連れて来いとでも?」

「……まぁ、似たようなものですね」


 いけしゃあしゃあと宣う四条の様子に、珠羽は頭痛を堪える様に頭を抱えた。


「はぁ……そっち方面は、自信は全く無いんですけど……こっちは、まともにリアルに女の子に触れたことも無いゲームマニアですよ?」

「……いいえ、あなたには才能が有りますよ、私が保証します」


 何の才能だと、珠羽は思う。それならば、目の前の彼がやったほうがずっといいはずだと、眼前の、正真正銘の美男子を恨めしげに睨んだ。

 珠羽は、差し向かいで女の子を前になどしたら、緊張で何も言えなくなる自信があるというのに。


「下手なお世辞は結構です……わかりました、やります。ただ毎日を無目的にゲームしてるより、ずっと楽しそうですからね」


 夢にまで見た、本物の自分の機体を自分の手で動かせる機会なのだ。珠羽には、この誘惑はとても抗う事など出来そうに無かった。


「ありがとうございます。では、特に予定がなければ出発は十日後。場所は、こちらからまたメッセージで送ります……それと、一応ですが情報漏洩の防止のため、こられの案件を他者に口に出すことが出来ないよう、プロテクトを掛けさせていただきますね」

「はい、構いません……よろしくお願いします」


 立ち上がり、四条氏の差し出した手を取り握手する。




 この時既に、珠羽の頭はまだ見ぬ異世界、そこでの相棒となる自分だけの愛機に想いを馳せていた――その先に、自らに待ち受けている事も知らずに――……

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