猜疑心

たまてばこ無し男

第1話

私は人を信じることができない。なぜかというと、裏切られたくないからだ。信じるから裏切られ、心に傷を負う。ならば、最初から人と関わらなければ心の平穏を保てるではないか、と気づいた。そういうわけで私は、街から大きく離れた森の中で一人、暮らしている。もう数十年もここで生活を営んでいるが、迷い込んできたものは誰もいない。穏やかに生きることができていた。しかし、ある日、いつものように山菜を採りに歩いていたら、茂みの陰に得体の知れないものがあるではないか。それは青く色づいた水たまりであった。昨夜は雨も降ってない。それになぜ色がついているのか。近づいてみようかとも思ったが、面倒はごめんだ。私はその場を去った。翌日も奇妙なことがあった。夜に丘へ星を見に行くと、遠くがオレンジ色に輝いているではないか。おそらく(というより勿論)方角からして街だろう。時期にして、夏。祭りであろうか。祭りなど、飲みたくもない酒を飲み、話したくもない人たちと話さなくてはならない全くもって不快な催しだ。非常に不愉快な気分になり、星など見ずに小屋へと帰った。するとだ、小屋にだ。私の小屋に灯りがともってるではないか。そんなことはありえない。早く中へ入り原因を究明した気持ちを抑え、おそるおそる入り口の扉へと向かった。中をこっそりと覗くと、そこにはぼろぼろではあるがまるで官僚や公務員、サラリーマンのようにスーツを着た男が何食わぬ顔で居座ってるではないか。なんだこいつは。今まで保ってきた平穏、安寧、心の安らぎをこっぱみじんに破壊されたではないか。すると、覗き込んでいる私に気づいたのか、声をかけてきた。

「夜分遅くにすいません、今晩だけ泊まらせていただけないしょうか」

何を言う。誰がどこの馬の骨だかわからない者を唯一の聖域に入れさせるものか。

「ならぬ。でていけ。」

しかし、男はまったく断られたというのに動揺すらせず、譲らない。

「そうですね。なにも見返りなく泊まらせていただくわけにもいきません。どうでしょう。街の豪邸をあなたに差し上げましょう。こんな山の奥底では不便でしょうし。こんな場所ではご家族やご友人とも会えないでしょうし。きっとお寂しいことだ。私が街へと帰ればきっと…」

男が言い終える前に私は隠し持っていた銃で男のこめかみを撃った。なんだこいつは。人のことも知らないで。私の平穏を侵したからバチがあたったのだぞ。最悪の気分だ。無性に腹が立ち、吐き気すらしてくる。こんな時は寝るに限る。

しばらくして、私は自分の失態を悔いた。殺したあの男は機械(のような)医者であったのだ。銃で撃った後、流れ出た血。それがなんと青かったからである。医者であると判断したのは、持ってきていた鞄の中身だ。多量の注射と黄色い液体が入った小瓶。そして、なぜ私が殺したことを失態と言っているのかについてだが、あの夜見た、街。あれは、軍の研究所が爆破され燃えていた姿だったようだ。この医者のメモに書いてあった。ここからが重要である。その研究所なのだが、逆らう民衆を恐怖で縛るために殺人ウィルスを研究していたそうだ。そのウィルスが今、風に乗り、街を、そしてこの森に漂っているのだ。その抗体を持ってきて人々を救助するために病気などならないこの医者が派遣されたのだが。もう時すでに遅しである。人を信じることができない。そんな私のせいで多くの人を殺めることになってしまった。なぜだろうか。このさみしさは。なんなのだろうか。この心に大きくあいた穴は。自分さえよければと、生きてきたにも関わらず、結局私は見下していたほかの人たちと同じだったのか。そんなことを考えながら、倦怠感で重くなる体を横にさせ、まぶたを閉じた。

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猜疑心 たまてばこ無し男 @DSjSAKANA

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