人生の天気

白川 夏樹

藤岡尚人の場合


ふと、ここからは今の自分と言えて、それ以前は昔の自分と言える境目はどこだろう。と考えてみた。



そう考えるきっかけとなったのは、昨夜ばったり会った友人に言われた言葉だった。

「藤岡は成功者だよなぁ。起業したらあっという間に荒稼ぎしちゃってさ。」



その時の友人はかなり酔っていて、今は僕にそんなことを言ったことさえも忘れているだろう。

だけどその何気ない言葉が、今の僕にあれこれと考えさせる。



やはり、僕の人生の転機となったのはあの時ではないだろうか。

それは僕が起業する前。

今から10年前の出来事。



当時の僕はそこそこ良い大学に入り、就活に苦労しつつも自分らしいそこそこ有名な企業に就いた。

しかし待っていたのはそこそことは程遠い忙しさだった。

人手は足りず、新人への教育も行き届いていない。

いわゆるブラック企業だったのではないか。と今にして思う。

当然そのような激務に長時間体が耐えられるはずもなく、すぐに体を壊した。

それを聞いた親父に半ば無理やり辞表を書かせられた。



仕事を辞めた僕に残ったのは大きな喪失感だった。

自分が今どこにいて、どこに向かっているのか分からない。

人生を天気に例えると、その時は大雨だったに違いない。



だがこのときの僕はまだ若く、若さゆえに無職という肩書きをひどく嫌悪していた。

無職から早く脱却したくて、急いで新しい職場を探した。

しかし1度会社を辞めたという事実は常につきまとい、再就職はとても厳しいと痛感させられた。



何度受けたかもわからない面接の帰り道、途方に暮れて歩いていると、どこからか声をかけられた。

「……藤岡!お前、藤岡だよな?」

僕の名前を呼んだ声の主の方へ顔を向けると、そいつは高校時代のクラスメイトの片桐だった。



「まぁ、何があったかは聞かない。とりあえず入れよ。」

そう言って片桐は僕を近くの飲食店の中へ招いた。

「ここは?」

「聞いて驚くなよ?……ここは俺が経営しているカレー専門店だ!」

そう言われてみれば、カウンターの奥からほんのりとスパイスの香りが漂ってくる。



しかし、僕は片桐の言葉に違和感を覚えた。

片桐は高校時代、校内で学力1位は当たり前。

外部模試では毎回順位が2桁番号だったはずだ。

風の噂では国内1偏差値の高い大学へ進んだと聞いたが……。



「俺、大学途中で辞めちゃってさ。」

僕の疑問に答えるように片桐はそう呟いた。

「親にも友達にも猛反対されてさ、それでも俺はめげずに周りを説得したよ。今の環境を捨ててもやりたいことがあるんだー!ってな。」

「……それがカレー屋か?」

「おうよ!これがまた奥が深いんだ。スパイスの組み合わせからコメの種類まで、研究に随分時間かかっちゃってさ。」

「はははっ」

思わず吹き出してしまった。

片桐は昔から変わってない。

いつも教室のムードメーカーだった。

そのあと僕達は思い出話に花を咲かせて、長々と語り合った。

話も出尽くしたところで、僕はなぜだか片桐に相談に乗ってもらいたくなった。



「俺、実は会社辞めちゃってさ。」

僕はそう片桐に打ち明けた。

「必死に職探してるんだけどさ。上手くいかなくて……。」

こんなこと言ったって片桐は困るだけだろうと分かってはいるけど、口が止まらなかった。

片桐はしばらくの間、僕の話を黙って聞いてくれた。

そのあと少し間を置いて、彼は口を開いた。



「無職で何が悪いんだ?」

「へ?」

あまりに予想外の返しに、一瞬言っている意味がわからなかった。

片桐は構わず続ける。

「いや、無職ってことはいくつも可能性が広がってるってことだろ?今お前はなんでも始められるんだよ。」

その言葉にハッとした。

良い職業、キャリア、そんな肩書きを愚直に追い求める方がよほど滑稽だったのだ。



それに気づいた僕は、いてもたってもいられなくて勢いよく立ち上がった。

ガタッと椅子が倒れるのも気にせずに、店の出入口に手をかける。

「すまん!やりたいことが見つかった。相談に乗ってくれてありがとう!」

驚いて口を開けてる片桐にお礼と謝罪をし、店をあとにする。

「何かわからないけど、頑張れ!」

僕へ向けられた激励の言葉に背中で返事をし、どこへともなく走って向かう。

その時のことは今でも忘れらない。



そのあと僕は、文房具メーカーの会社を立ち上げ大成功をおさめる。

今は大忙しでまるで嵐のような激務に追われている。

だけど僕はその嵐が後々虹がかかる晴れ間を見せることを知っている。

耳にしたところによると、片桐の店は有名なチェーン店に成り上がりテレビの取材が来ていたそうだ。

画面の向こうの彼は太陽のように笑っていた。









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