第52話 終章
「怒られた。魔法省で。それはもう、滅茶苦茶に怒られたわ」
自室のベッドで寝転んだまま、姫華は不貞腐れたようにそう言った。
「そ、そんなに怒られたんだ。大変だったね」
姫華の隣で同じように寝転んでいる葵依が、気の毒そうに言う。
「本当にすごかったんだから。わたしちょっと泣いちゃったもの」
姫華が魔法省で怒られた理由。
それはやはり、『歩乃海を利用したこと』だった。
歩乃海を救うためとはいえパートナーでもない、しかもクライエント自身を別世界の過去へ連れて行き、仕事を手伝わせ、挙句の果てにはその記憶を奪う。
そこだけ抜き取れば、どう贔屓目に考えても人道にもとる行為だ。
叱られると覚悟していたとはいえ、もともと臆病な姫華にはかなりこたえたようだった。
「もしかして、処罰されちゃったりとかする? クビになるとか?」
恐る恐る葵依が訊ねた。
「処罰というか……今後の半年間は、歩乃海さんの経過観察とその報告をするように言われたわ。彼女の件は魔法省にとっても過去に例がないものだから、念のためにって」
「そっか。良かった。魔法省って得体が知れないから不安だったのよ」
葵依がほぅと息を吐く。
「得体が知れないものではないわ。手広く仕事をしているから、それらをまとめたパンフレットだってあるし。興味があるのなら、今度取り寄せてあげましょうか?」
「パンフレットなんてあるんだ。秘密結社的なイメージがあったのに、なんか俗っぽく思えてきた」
「俗っぽいかはわからないけれど、魔法省の建物は新宿の高層ビル群にあるのよ。申請すれば、部外者でも見学できるの」
「あ、あれ? なんかイメージが崩れていくぞい。でも割と本気で見学してみたいかも……」
「いいわ。後で申請しておいてあげる」
魔法省で、姫華は確かにこっぴどく叱られた。
けれど、こうも言われた。
『他に方法はなかった。よくやってくれた』と。
とりあえず、と葵依が言う。
「歩乃海さんのことがあるから、少なくとも半年はここにいられるんだね」
「なに? 嬉しいの? わたしがいなくなると寂しいの?」
からかうように姫華が聞いた。
けれど事も無げに葵依が答える。
「うん。嬉しい。姫華がいないと寂しい。泣いちゃう」
「うぐっ。あなたはそういうことを、よくも平然と……」
姫華が悔しそうに顔を赤らめた。
葵依がへへへと笑う。
「また明日から作戦再開だね」
「作戦? なんの?」
「歩乃海さんと友達になりたいんでしょ? 言っておくけど、もっとちゃんと仲良くなりたいのなら、普段から目を見て話せるようにならなきゃダメだからね」
「う……わ、わかってるわよ」
どうしてか、姫華は未だに普段の歩乃海と顔を合わせると緊張してしまう。
歩乃海にもそれは伝わっているようで、彼女はのんびりとそれが改善されるのを待ってくれていた。
だからまだ、姫華は歩乃海と正しい意味での友人関係ではないのかもしれない。
歩乃海と友達になるという当初の目的は、未だ達成出来ていないようだ。
けれど、と姫華は隣で寝転んでいる葵依の顔を見た。
けれど、親友が出来た。
川澄葵依という名の親友が。
視線に気づいたのか、葵依も姫華の方へと顔を向ける。
束の間、ふたりの視線が交差した。
葵依は自分を、ただの友人のひとりだと思っているのかもしれない。
でもそれでもいい。
自身が葵依を、心から友人だと思っていれば充分なのだと知った。
だからであろうか。姫華はひとつの魔法を失っていた。
『嘘を見抜く魔法』
それがいまの姫華には、使えなくなっている。
もう二度と使えるようにはなるまい。
どうしてか姫華にはそう思えた。
葵依が恥ずかしそうに視線を逸らす。
「だ、だからそういう風にじっと見ないでって言ってるでしょ? あんたにそうやって見られると、なんかドキドキしちゃうのよ」
「……一応もう一度だけ聞いておくけど、葵依は女の子が好きなわけではないのよね?」
「当たり前じゃない。私はいまでも白馬に乗った王子様のお迎えと、サンタクロースのおじいさんを信じている、純粋で清らかな乙女なんだからね」
「そのふたつをセットにしているあたりに、とてつもなくよこしまな本音が見え隠れしているようだけれど……」
「ねぇ、私も姫華に聞いていい?」
「なに? 王子様やサンタさんを出す魔法なんてないわよ?」
「そりゃそうでしょ。いまさらだけどさ。魔法って――魔法使いってなに? どうして魔法を使える人と、使えない人がいるの?」
「――それについての正しい答えはないわ。魔法使いは、皆がその答えを探し続けているの」
「姫華にとっての答えは? まだ探し中?」
「ええ。そうよ。――でもまるで見当がついていないわけでもないわ。あくまで現時点でのもので、この先にきっと変わってゆくものだろうけど。それでもいい?」
「もちろん。聞かせて」
「――わたしたち魔法使いは、魔法を使えない人たちと比べて、なにかが足らないのだと思う。だから魔法で人を助けて、人と繋がって、その足りないなにかを埋めようとしているのではないかって、わたしは思うの」
「……ポエム? なんか抽象的過ぎるんだけど。足りないって胸の話?」
「ば、バカにしたわね!? あなたが言えっていったんじゃない! それに胸の話なんてしていないわ!」
「まあまあ。姫華はいまのままでも充分だよ。でも足りないなにかがあると思うのなら、納得するまで探せばいいんじゃない? 私が手伝ってあげる。――代わりに、姫華に手伝って欲しいことがあるんだけど」
「言わなくてもわかっているわ。クライエントを救うことと『それ』が、当面のわたしたちの目的なのだから」
葵依と姫華の目的。
それは居村智絵里を救うことだ。
彼女がいまどこにいて、どうやって救い出せばいいのか。
その手がかりすら、葵依も姫華も掴めてはいない。
けれど自分たちふたりになら、きっと出来る。
智絵里がそう信じて託したのだから。
「――葵依、今度わたしの家へ遊びに来こない?」
「いいの? わあ。行きたい行きたい」
「あまり期待しないでね。なにもない家なのだから」
「エッチな本も?」
「あるわけないでしょ。バカなの?」
――姫華には夢があった。
願いがあった。
施設の部屋で幾度となく繰り返し読んだ、少女漫画のワンシーン。
そこでは主人公の女の子が親友を自室へと招き、楽しいお茶会を開いていた。
いつか自分も、そうしてみたい。
親友を招いてお茶会をしてみたい。
それが姫華の夢だった。
未来を生きていくための希望だった。
「ねぇ、葵依。紅茶ってどうやれば美味しく淹れられるのかしら?」
「そうだねぇ……」
葵依はしばし考え込む。
「――自販機で買った紅茶をカップへ注げば、美味しく淹れられるんじゃないかな?」
「……なるほど」
姫華は頷く。
――きっとこれが、友人同士の会話なのだ。
これまでずっと、葵依としてきたものと同じだ。
姫華は今更ながら、それに気づく。
そういったことを教えてくれたのは、みんな葵依だった。
そのことについて、いつかきちんとお礼が言えたらいいなと思う。
でもいまは、とりあえず。
油断して寝転がっている親友の足を蹴飛ばすことにした。
【完】
(自称)魔法使いと過去への旅 @Alphahts
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