第47話 第六章3
四度目の別世界。
その過去への転移。
五度目の転移は姫華に消滅の呪いをもたらす。
正真正銘、これが最後のチャンスだ。
葵依と姫華は、魔法で姿を消して一之瀬家の庭に潜んでいた。
そこで幼い歩乃海がひとりになるタイミングを見計らっている。
葵依と姫華は互いの手を固く握っていた。
葵依が姫華とはぐれないように。
姫華が独りにならないように。
はっきり言って、状況は最悪だった。
姉妹が連携してコンパクトを奪いに来れば、察知の魔法を使っても姫華ひとりでは捌き切れないだろう。
仮にそれが出来たとしても、歩乃海と珠希のどちらかがコンパクトを諦めてしまえば、それは無意味に終わることとなる。
『魔法を封じる魔法』でもない限り、ふたりの魔法使いを引きつけつつ逃げ切ることは事実上、不可能だった。
残念ながら、姫華にはそんな魔法は使えない。
歩乃海だけではなく珠希も魔法使いになることで、状況は完全に手詰まりとなっていた。
けれど、葵依と姫華は諦めなかった。
落ち込まなかった。
互いに慰め合いもしなかった。
現世界へ戻ってすぐに、失敗した原因を洗い直した。
対策を講じた。
葵依だけではなく、姫華だけではなく、ふたりだからこそ辿り着いた答え。
これが最後の作戦だ。
「葵依。歩乃海さんが来たわ」
幼い歩乃海がリビングダイニングへひとりで入ってきた。
食器棚からコップをふたつ取り出してテーブルへ並べると、冷蔵庫のほうへと向かっていく。
「姫華。コンパクトは持った?」
「ええ」
姫華は葵依の顔の前へコンパクトを差し出す。
現世界の歩乃海から借りた、鏡面のひび割れたコンパクトだ。
わざわざこれを歩乃海から借りたのには理由がある。
コンパクトが奪われたことと、歩乃海がそれを追ったこと。
そのふたつを珠希に知られないためだ。
理由は明確。
歩乃海は家にいるのだと、外に出ていないのだと珠希に思い込ませるためだ。
姫華は深く呼吸をして、葵依の手を強く握った。
葵依はそれを固く握り返す。
「――いきましょう。葵依」
「いこう。姫華」
姫華は透明化の魔法を解除して、自分と葵依の姿を晒した。
次いでガラス戸をノックし、室内の歩乃海に自分たちの存在を知らせる。
ふたりに気づいた歩乃海が、驚いて後ずさる。
そしてそれは、すぐさま眉間に皺を寄せた険しい表情へと変貌した。
葵依と姫華は煽るような、意地悪な笑みを浮かべる。
姫華はコンパクト持った右手を振り、葵依は繋いでいない左手でそれを指差していた。
姫華は歩乃海に察知の魔法をかけるのを忘れない。
「跳ぶわ」
言うや否や、姫華が僅か二メートル後方へ転移する。
ガラス戸の外側へ、スリッパを履いたままで歩乃海が転移してきた。
「返して!」
はっきりとした怒りを込めて、幼い歩乃海が叫ぶ。
葵依と姫華が頷き合う。
歩乃海は姫華が持つコンパクトを、珠希の物だと認識したのだ。
あーっはっはっと、葵依がわざとらしく笑い声を上げた。
「返して欲しければ、捕まえてごらんなさーい」
葵依が言い終えるよりも早く、姫華は一之瀬家の敷地外へと転移した。
続けてもう一度、十メートルの距離を転移する。
直後に転移してきた歩乃海の手が空を切った。
「……昨日よりも、歩乃海さんの反応が早くなっているみたい」
緊張した声音で姫華が言った。
「もしかして、私って足手纏い? 重い?」
心配そうに訊ねる葵依に、姫華は首を横に振る。
「逆よ。わたしは逃げるのに専念しなくてはいけないから、葵依は歩乃海さんを挑発し続けて。今回は『取られそうになるふり』をしている余裕がないかもしれないわ」
「わかった。任せて。――ほーら、お嬢ちゃんこっちだよー!」
「それは珠希のだ! 返せ! 返せっ! 返せぇっ!」
幼子とは思えないほどの憎悪を孕んだ声で、歩乃海が喚き散らす。
可哀想なことをしていると、葵依の胸が痛んだ。
けれどもう、他の方法なんてない。
「だったら取り返せばー? べろべろべー」
葵依が腰をくねらせながら舌を出す。
姫華が転移を繰り返しているため、葵依の視界の景色は次々に変わっていった。
姫華と歩乃海は、人目も気にせず街中を転移していく。
「――ねぇ姫華。さっきから町の人たちに、私たちの姿を見られているけど大丈夫なの?」
もう幾度と無く、道行く人々と目が合っている。
彼らは一様に表情を強張らせ、葵依たちの姿を目で追っていた。
「構いやしないわ。どうせ夢でも見ていたと、後で勝手に勘違いしてくれるでしょう。それよりも葵依、あなたの挑発はいい感じにうざいわ。その調子よ」
「……あまり褒められている気はしないけど、とりあえず頑張るっス」
「ええ。頑張って」
「うん。姫華も頑張れ!」
葵依も姫華も、相手の顔を見ずに話す。
歩乃海の動向を注視するために。
それでも、どうしてだかわかった。
互いに笑んでいるのだと。
成功を確信しているのだと。
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