第43話 第五章5

 失礼しましたと頭を下げて、葵依と姫華、歩乃海の三人は校長室を後にした。

「葵依さん、姫華さん、昨日は本当にごめんなさい!」

 そう言って歩乃海は腰を折る。

 もう何度こうされたかわからない。

 昇降口で待ち合わせをして校長室へ向かう道すがら、歩乃海はずっと二人へ謝り続けていた。

 歩乃海は昨日に別れたときと違って、ほぼ普段通りに戻っているように見える。

 ただ目の下には、くっきりとしたクマが出来ていた。

 校長室での弁明は、主に歩乃海がひとりでしていた。

 立ち会ったのは校長とトーコ先生、それと三組の担任だ。

 もともと歩乃海は教師たちからの信頼が厚く、担任も終始歩乃海を擁護していたため、特に処罰を言い渡されることもなく解放された。

「もう気にしないで。歩乃海さんのおかげで、私たちにもお咎めがなかったんだから」

 葵依が言う。

 歩乃海を前にすると、昨日救えなかった罪悪感が沸き起こってきた。

「それはもともとふたりが罰せられるようなことをしていないからで、そこに感謝をする必要はないよ。本当に私、どうお詫びをすればいいのか……。助けて貰ったのに、昨日あんなに酷いことを言ってしまって」

 まるで罰を望んでいるかのように、歩乃海はいつまでも謝罪を繰り返す。

「お、お詫びとかいいから。そんなにごめんなさいされると、こっちも申し訳ない気分になっちゃうし」

「あ、そ、そう……。でも、なにか償えることがあればいつでも言って。私、出来ることならなんでもするから」

 困らせているとわかったのか、歩乃海がしゅんとする。

「とりあえずここから離れない? 校長室の前とか落ち着かないよ」

 葵依の提案に、歩乃海が即座に賛成した。

「そうしましょう。ふたりはこの後に用事ある? 無いなら一緒に教室へ――」

 歩乃海の言葉を、姫華が遮る。

「ごめんなさい歩乃海さん。わたしと葵依はちょっとふたりで話すことがあるの」

 彼女は緊張する様子もなく、かといって歩乃海を拒絶するでもなく、とても穏やかに誘いを断った。

 その様に、葵依はどうしたのかと訊ねそうになる。

「そうなんだ……。じゃあ私、先に戻るね。本当にごめんなさ、あ、いまのは無しで。――その、よかったらまた、話しかけてね」

「ええ。こんど一緒にお弁当を食べましょう。おかずをわけてあげる。寮母さんの作ってくれるお弁当は、とても美味しいの」

「そうなんだ。楽しみにしてるね。じゃあ、行くね。いつでも声をかけて。待ってるから」

 何度も何度も振り返って、歩乃海は笑顔で「待ってるからね」と手を振りながら去っていく。

 その姿に葵依の胸がざわついた。

 校長室から離れ、なんとなく部室棟へ向かいながら葵依が疑問を口にする。

「……歩乃海さん、変だったね。何度も『また話しかけて』だなんて」

「歩乃海さんはわかっているのよ。人との繋がりが、もしものときに自分を止めてくれるって。珠希さんのためだもの。必死にもなるわ」

「そっか。それであんなに……。目の下にクマもあったし、早く元気にしてあげないと」

「……寝不足は歩乃海さんが昨夜に見た夢のせいでしょうね。彼女は昨日のことを夢で見たはずよ。毎夜見ていた悪夢と違って、トラックをやり過ごし、一度は珠希さんの死を回避した夢を。歩乃海さんの心は歓喜に満たされたでしょうね。その直後に、結局妹が死ぬとも知らず。昨夜に歩乃海さんが見た夢は、これまで見てきたどの夢よりも残酷だったはずよ」

 だから姫華は、魔法を使ってでも珠希を救おうとした。

 そうしなければ歩乃海の心に傷が増えると知っていたから。

 昨日までの姫華であれば、それをわざわざ葵依へ伝えなかっただろう。

 彼女が落ち込むとわかっているからだ。

 だがいまは違う。

 ふたりで同じものを見て、感じて、共有することが絆を深めると知った。

 葵依も思いは同じだ。彼女は真っ直ぐ前を向いて言う。

「それならさ、次で絶対に歩乃海さんを助けよう。珠希ちゃんが歩乃海さんを恨んでいるわけないって、ちゃんと教えてあげないとさ」

「ええ。わたしも同じ気持ちよ。そのことで話があるの。もうひとりの魔法使いについて、さっき魔法省から回答があったわ」

「もう? 早いね。お役所仕事って時間掛かるイメージがあるけど」

「魔法省を他のお役所と一緒にしないで。ひとりの人生がかかっているのよ。当然でしょ」

 ただ、と姫華が口篭る。

「わたし以外の魔法使いの存在が確認できないらしいの。でも間違いなくわたしは魔法を使って乗用車を止めようとしたし、その魔法は第三者に打ち消されている。それは魔法省でも記録として残っているわ。けれど歩乃海さんと珠希さんを中心に測った魔法の有効範囲内にいた魔法使いは、わたしだけなのよ」

 姫華の話について、葵依はしばし逡巡する。

 そして閃いたとばかりに両手を打ち合わせた。

「つまり……犯人は姫華ってことだね」

「そんなわけないでしょ。可能性としてあるのは、通常有効範囲の遥か外から魔法を使ったということ。或いは魔法による探知を無効化する魔法が存在しているかもしれないということ。さしあたって考えられるのはそのふたつ。それともうひとつわかったことがあるわ」

「なに?」

「わたしが思い違いをしていたということ。葵依を珠希さんの件から遠ざけようとしたのは、それが呪詛使いだったわたしに復讐しようとしている『誰か』の仕業だと思い込んでいたから。その誰かは復讐のために手段を選ばず、きっと葵依も巻き込むだろうって。

 でも違った。

 一度でも呪詛使いに危害を加えようとした人間は、すべて魔法省で動向を把握しているの。その全員が、昨日は過去へ行っていない。そこから導き出されるのが答えよ」

「……うん。わからないから教えて」

 真剣な表情で言う葵依に、姫華はため息をついた。

「狙いがわたしでないのなら、珠希さんを殺すのが目的に決まっているじゃない。正確には、珠希さんを殺して、歩乃海さんを救わないことが目的よ。理由はまだわからないけど」

 葵依が首を傾げる。

「……昨日姫華の話を聞くまで、私は最初からそれが目的だと思っていたけど?」

「でしょうね。わたしは余計なことを考え過ぎて、空回りしていたわ。でもそのおかげで、こうしていま葵依と一緒にいられるのだけれど。――魔法省は引き続き今回の件を調査してくれている。でも結果が出るまではかなりの時間がかかりそうなの。場合によっては間に合わないかもしれない」

「間に合わない? もしかして、もうあまり時間がないの?」

 葵依の問いに、姫華が苦い顔をする。

「魔法省の見解では一週間前後。もちろん歩乃海さんの精神状態によって、大幅に変わる可能性はあるわ」

「い、一週間? あまりに急過ぎない?」

「話したでしょう? 四年半に渡って夢に喰われ続けるなんて、前例がないの。場合によっては、歩乃海さんは昨日終わっていてもおかしくはなかった。むしろここまでもっているのが奇跡みたいなものなのよ」

「でも……でもじゃあ、じゃあどうすれば?」

 提示されたリミットが短過ぎる。

 急変する事態に、葵依の心臓が早鐘を打つ。

 どうすべきか、なにも思いつかない。

 もうひとりいるという、魔法使いへの対策も。

 頭の中に空白が広がっていく。

 気ばかりが急く。

 葵依は自身の腹の前で、両手を強く握った。

 その手に、姫華がそっと触れる。

「焦らないで葵依。わたしたちは魔法省を待たず、このまま独自に動きましょう。ふたりで珠希さんを救う方法を考えるの。ただし昨日とは根本的に違う手段でなければダメよ。そうでないと、きっとまた魔法による妨害を受けるはずだから」

『ふたりで』

 その言葉は禍乱する葵依の胸中を、急速に落ち着けてくれた。

 葵依は二度、頷く。

「――わかった。放課後までに考える。今日の夕方に、もう一度別世界へ行こう。チャンスはあと三回残っているけど、絶対に今回で終わらせよう」

「ええ。わたしたちになら、きっと出来るわ」

 葵依だけではなく、自分自身にも言い聞かせるように姫華はそう言った。

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