第42話 第五章4

 わたしたちの『敵』について。

 まずはそれを話さねばならない。

 そう前置きしてから、姫華は口を開く。

「――いまから約六十年前。世界に突然『悪い魔法使い』が現れたの。

 彼らがしたのはふたつの宣言。

 ひとつは『いくつかの呪詛を世界に撒いた』というもの。

 もうひとつは『我々は増殖する』というもの。

 その意味のわからないふたつの宣言だけを残して、彼らは何処かへ消えてしまった。

 二度と現れることもなかった。

 当時はちょっとした騒ぎになったらしいわ。

 でも実害みたいなものは、なにもなかったそうよ」

 けれど、と姫華が続ける。

「しばらくして世界のあちこちから、魔法省へおかしな報告が上がるようになってきた。

『夢に喰われる』という現象もそのひとつよ。

 それは、彼らの出現に少し遅れて発生し始めたの。

 ただ彼らとの関連性は未だ証明されていないから、偶然という可能性も消えてはいないのだけれど――宣言のひとつと一致しているし、事実として智絵里のように呪いを受ける魔法使いたちが出始めた」

 姫華はしばし口を噤む。

 どう話すべきか、迷っているように見えた。

「――もうひとつの宣言。『我々は増殖する』。これは現実となってしまった。

 ある日突然、『存在するだけで、世界に影響を与える』魔法使いが生まれるようになったの。

 それは生まれつき、或いは普通の魔法使いが突然変異をすることもあった。

 数は少なくて影響も小さかったのだけれど、そのどれもが世界になんらかの損失を与えるものだったそうよ」

 姫華はひと呼吸置いてから続ける。

「そういう魔法使いたちは『呪詛使い』と呼ばれて迫害された。

 中には実際に命を奪われた呪詛使いもいるわ。

 でもね、そんなことをしてはいけなかった。

 それが悪い魔法使いたちの目的だったの。

 殺されたその人は『世界中の魔法使いの力を、ほんの少しだけ弱める』という魔法を、彼の意思とは関係なく発現し続けていた。

 周囲の魔法使いたちは、その呪詛使いがいなくなれば自分たちの力が戻ると思ったのでしょうね。――でも、結果は逆だった」

「逆?」

 葵依が問う。

「そう。その呪詛使いが落命した瞬間から、世界中の魔法使いの魔法の力が大きく減少したの。それはいまも続いている。たぶん、未来永劫続くだろうと言われているわ。だから魔法省は、呪詛使いを保護することにした。呪詛使いは殺さず、もしくは殺させないように隔離する。そう決めた。これ以上、呪いを増幅させないために」

 姫華が寂しそうに笑う。

「もう、見当はついているでしょう? わたしも『呪詛使い』だったのよ。生まれた時から十四歳になるまで、ずっと魔法省の施設で保護されていたわ。

 わたしが世界に撒いていた呪詛は『魔法使い誕生の破棄』。

 私が呪詛使いだった十四年間、魔法使いはひとりとして誕生しなかった。それはつまり敵に対抗できる存在が生まれなくなったということ」

 葵依、と姫華は名を呼ぶ。

「わたしが存在しなければ、おそらくあなたは魔法使いになっていたわ。その根拠があるの。わたしはあなたから、未来の可能性を一つ奪い去ったの」

「私が魔法使いだった根拠?」

 葵依はそのことについて想像してみる。

 自分が姫華と同じ力を持っていたら、と。

「わたしが八歳の時に、施設へ侵入した人がいたの。

 彼女は魔法省の職員達の制止を振り切って、強引に私の部屋へ来たみたいだった。

 身体中が血だらけで、憎しみの篭った目で、わたしに掴みかかってきた。

 そして『娘が魔法使いになれないのはおまえのせいだ』って言ったわ。

 そこで初めてわたしは、自分がたくさんの人から恨まれているって知ったの。

 その人は、わたしがどれだけおぞましい存在かを教えてくれた。

『人類の敵』と呼ばれていると教えてくれた。

 ……正直、あの当時では理解のできなかった言葉もたくさん聞かされたけれど」

 その女は姫華へ、無限とも思える呪いの言葉を浴びせかけた。

 その中のいくつかは、いまも姫華の胸を締め付けている。

 心を蝕もうとしている。

「――姫華はさ、施設でどんな生活をしていたの? よかったら教えてくれない?」

 葵依が姫華の手を握る。

 姫華はそれを、しっかりと握り返した。

「ずっと勉強していたわ。

 呪詛使いは、年月の経過でその力から解放されることがあると、後に判明したの。

 だからわたしは呪詛使いでなくなった後、施設を出て外の世界で生活が出来るように教育を受けてきた。実際にわたしは十四年で解放されたわ。

 施設を出た後は、いまの仕事を最低一年続けるという条件で、当面の生活も保障してくれた」

「それって、危ない仕事を無理矢理させられていたってこと?」

「わたしも最初はそう思っていた。でもいまは違う。葵依もそうでしょ?」

「……確かにそうだね。美菜ちゃんみたいな子を救えるのなら、私も続けると思う」

「始めた頃に回されたのは、対処が簡単な案件ばかりだった。魔法省はちゃんとわたしのことを考えて仕事をくれたのだと思う」

「そっか。魔法省って悪い場所じゃないんだね。施設には他にも姫華みたいな子っていたの?」

「ううん。わたしだけ。部屋を与えられて、そこから出ることは許されなかった。なんの前触れも無く、急に呪詛使いの力を失った十四歳の誕生日までは」

 姫華はふふっ、と思い出し笑いをした。

「施設の部屋、すごかったのよ。壁紙もカーペットもベッドも机も、みんなピンクで。少女漫画の主人公の部屋みたいに。

 部屋にはたくさんの少女漫画があったわ。でもわたし、同じ漫画ばかり読んでた。

 その漫画の主人公にはね、朱里って名前の親友がいたの。わたしその子が大好きで、施設を出たら朱里みたいな友達を作るんだって想像していたわ……」

 そう言って俯く姫華の頬を、葵依は不機嫌そうに指で突いた。

「私は? 私はまだあんたの友達に相応しくないの? 言っとくけどね、漫画の女の子と比べられても、現実世界の私には勝ち目なんてなんだからね。そこんとこわかっている?」

 姫華が首を横に振る。

「違うの。わたしにはその資格がないのよ。葵依が友達になろうって言ってくれたのに、わたしは返事もしないで、あなたに卑劣なことをしてしまった」

「卑劣なこと? ……なんの話?」

「――呪詛使いでなくなった日。施設から追い出された日。

 わたしは自分が裏切られたのだと思った。親切にしてくれて、わたしの面倒を見てくれていた魔法省の人達に裏切られたって。わたしに向けられていた笑顔は、みんな嘘だったんだって。

 そう思ったとき、わたしは新しい魔法を使えるようになったと知ったの。

 それは『嘘を見抜く魔法』。

 わたしはその魔法を、葵依に使ってしまった」

 握った姫華の手が震えている。

 姫華はいま、自分に重大な告白をしているのだろうと葵依は考える。

 だが葵依には、姫華の話に心当たりがなかった。

「姫華。それっていつ頃の話?」

「葵依と初めて会った翌日よ」

 初めて会った翌日。なにかされただろうかと葵依は思い返す。

「あ! もしかして、魔法で私のおでこに触ったあれ? なに? あれって嘘を見抜く魔法だったの? 私ただの嫌がらせだと思ってた」

「ごめんなさい。本来はそういう感覚はないはずなのだけれど、あなたには魔法使いの素質があったみたいで。わたしが魔法を使ったとわかってしまった」

「ああ、いいよいいよ。なるほどね。それがさっき言ってた根拠ってやつだね。それで姫華は私がどんな嘘をついたと思ったわけ?」

「……友達になろうって言葉が、嘘だろうと思って。これまでみんなそうだったから、葵依の言葉も嘘だって疑ってしまった」

「で? 私の言葉は嘘だった?」

「効果が発現する前に、驚いて魔法を解いてしまったから……。わたし、返事が出来なくて、葵依もあれ以来、友達になろうって言ってくれないから」

 姫華が鼻を啜る。

「葵依が言ってくれないのは、一回だけしかチャンスがないからなのでしょう? だから、とてもわたしからは言えなかったの」

「……なに? チャンスが一回って? 急になにか別の話に変わったみたいだけど」

「――やっぱり、わたしが酷いことをしたから怒っているのね。当然だと思うわ。でもお願いだから、そうやってからかったりしないで。あなたにそんなことをされたら、わたし悲しくて……」

 姫華が唇を噛んで涙ぐむ。

 葵依は驚いて姫華の肩を抱いた。

「ど、どうしたの? 私からかってなんかいないよ? なんでそう思ったのか教えて」

「だって、お友達になるにはどちらかが『友達になろう』って言って、それに『いいよ』って返さなくてはいけないのでしょう? そのあとに月明かりの下で、もう一度約束して、それで儀式が完成するって聞いたわ。そうしないと、お友達にはなれないのでしょう? わたし、そのチャンスが一度しかないと知らなかったのよ」

「な、なにその謎ルール。そんなもの――」

 言いかけて、葵依は思い出す。

 姫華と初めて行った別世界の過去。

 吉田茜の過去。

 そこから帰る直前に、姫華はなんと言っていたか?

『月が出ていないといけないからでしょ?』

『儀式の話よ』

 それは姫華のいまの言葉と重なる。

 もしかして、と葵依は姫華に問う。

「吉田さんたちが仲間はずれにしようとしていた『ハナコちゃん』って、姫華のこと?」

 姫華の身体がびくりと震えた。そしてしばしの後、僅かに頷く。

「なんてこと……」

 姫『華』=『華』子といったところか。

「そんなの気づかないって……。私ってば、心の機微とかに鈍いんだから……。ねぇ姫華。その儀式って誰から聞いたのさ?」

「吉田さんよ。そういう『儀式』が必要だって詳しく教えてくれたわ」

 葵依の額に青筋が浮かぶ。あのガキ一発殴っておけば良かった。

 そう思うも口にはせず堪える。

 俯いている姫華に、葵依が続けて問う。

「嘘を見抜く魔法で、その変な儀式が嘘だってわからなかったわけ?」

 姫華が首を横に振る。

「儀式のこと、疑わなかったから。魔法を使ったのは別のこと。本当に吉田さんたちが、わたしと友達になりたいと思ってくれているのか、知りたくて。でもわたしに親切にして、男の子たちの気を引こうとしていただけだった。嘘を見抜く魔法でそれを知ってしまったの。友達になろうって誘ってくれた他の子たちも、みんな同じだった」

 姫華の様子から、冗談を言っているのではないとわかる。

 姫華が友達を作ることに執着していたこと。

 クラスメイトたちを――キョーコたちを友達ではないと言ったこと。

 葵依に理解できなかったそれらは、姫華に植えつけられた誤った知識のせいだった。

 生まれてから十四年もの間、施設にいた故に見ることのできなかった現実や常識。

 それが姫華を追い詰め、思い詰めさせたのだろう。

 姫華のいた施設の大人たちは、彼女が外の世界で生活できるように教育したはずではなかったのかと葵依は憤る。

「あのね、姫華。私は葉月ちゃんや美菜ちゃんと友達だけど、ふたりと『友達になろう』なんて話をしたことがないよ」

 姫華は驚いたように目を見開く。

「では、どうやって友達になったの?」

「自然にかなぁ。みんな大抵はそんな風に仲良くなっていくものだよ。むしろ『友達になろう』なんて言ってくる人、私は疑っちゃうけど。姫華はそっちのほうに魔法を使うべきだったんだと思う。そうしていたら、そんな謎ルールが嘘だってわかったのに」

 葵依は前髪を上げて姫華に顔を近づけた。

「魔法使っていいよ。それで私がいま言ったことが、嘘かどうかわかるんでしょ?」

「……いいの? 嘘を見抜くってことは、心を読まれるようなものなのよ。気持ち悪いでしょ?」

「確かに気持ちの良いものではないけど、姫華にだったらいいよ。それとその魔法を使っちゃうこと、あまり気にしないほうがいいかも。私だって同じ魔法が使えたら、たぶん使ってしまうもの」

 それに、と葵依は続ける。

「呪詛使いだっけ? それも私に対しては気に病む必要ないからね。私みたいな子は、魔法なんて使えないほうがいいに決まっているんだから。もし魔法が使えたら、葉月ちゃんを男の子にしちゃうかもしれないし。絶対にろくな事しないよ」

「……念のために聞いておくけど、葵依は葉月さんに恋愛感情を抱いているの?」

「まさか。女の子にそんな気持ちは持たないよ。でも葉月ちゃんが男の子だったら、絶対に結婚してもらうけど」

「微妙に不安な答えだわ……」

 姫華は長い息を吐いた。

「――魔法は使わない。葵依の言葉なら信じられる」

「そ? ならいいけど。ところで結局、姫華はどうして私を、歩乃海さんの件から遠ざけようとしたのさ?」

 葵依は前髪を下す。ある程度の推測はついていたが、まだ姫華の口から真相を聞いてはいない。

「……まだ確信はないけれど、別世界の過去で珠希さんの救出を妨害した魔法使い。それはたぶん、呪詛使いだったわたしに恨みを持っている人なのだと思う。もしかしたら、葵依にまで直接危害を加えるかもしれないわ」

『どうしていまになって。これまで放っておいてくれたのに』

 姫華が呟いていた言葉の意味が、ようやくわかった。

 やはり身を案じてくれてのことだったのだなと、葵依は得心する。

「……そういうのはね、ちゃんと口に出してくれないとわからないのよ。自分で言うのもなんだけど、私は直情的だから言葉の裏とか読むのはちょっと苦手なの」

「ご、ごめんなさい。次からはそうする」

「他に隠していることは? あるならぜーんぶ話しちゃいなよ」

「もうない、と思う。――ねぇ葵依。わたしはこの後どうすればいい? この話をしたらわたしはもう、ここへはいられなくなると思っていたのよ。あなたは絶対に、わたしを許さないだろうと思っていたから」

「そうなんだ。良かったね。勘違いで。これからは変に思いつめる前に、私に相談すればいいと思うよ。私が頼りなければ、美菜ちゃんでも葉月ちゃんでもいいんだから。もうわかっていると思うけど、あのふたりも姫華の友達だからね。もちろん、キョーコちゃんたちも」

「――ありがとう。そうするわ」

 信じられないと、姫華は思う。

 自分はすべてを失くして、これまでのようにまた独りになるのだろうと覚悟していた。

 それは姫華にとって、とても怖いことだった。

 いつの間にかに、独りがとても怖くなっていた。

 だから葵依に話せなかった。

 それが葵依に対して、どれだけ不誠実かわかっていながら。

 確認なんだけどさ、と葵依が言った。

「私は今後もあんたのパートナーってことでいいんだよね?」

「ええ。葵依のことは、わたしが絶対に守るわ」

「ありがと。じゃあ姫華のことは私が守ってあげる。ねぇ顔洗いに行かない? 無様に泣きじゃくったせいで、顔中がバリバリで気持ち悪いのよ。あんたも顔がテカテカしてるよ」

「これはテカテカしているのではないわ。わざとテカテカさせているのよ。でも仕方ないから付き合ってあげる」

「訳のわからないことを……。さっさと肩を貸して。早く寝ないと、明日の朝辛くなるよ。校長室へ行かなかったら、きっと生活指導室へ送られるんだから」

「――それは困るわ。早く顔を洗って眠りましょう」

 姫華は葵依を支えて立たせた。

 大きく温かな葵依の身体は、姫華の心に安らぎを与えてくれる。

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