第25話 第三章5

「奏ちゃんも一年生の子も、軽い打撲で済んだってさ。良かった良かった」

 自室に戻った葵依は、ベッドで腰掛けている姫華に笑顔でそう報告をした。

「ええ。ふたりには魔法をかけておいたわ。明日の朝には痛みも引いているはずよ」

 漫画を読みながら、事も無げに姫華が言う。

「え? 魔法? いつの間に?」

「川丘たちが倒れているのを見たときに。ふたりが接触する原因を作ったのは、わたしたちかもしれないから」

 奏と一年生の部員が怪我をした原因。

 それはコートに戻った奏がぼーっとしているところへ、パス回しに集中していた一年生が気づかずに突っ込んでしまった故に起こったことだった。

 ほう、と葵依が感心する。

「やるじゃん。姫華って、普段と魔法を使っているときの落差が酷いね」

「どういう意味かしら? わたしは普段からできる女のはずなのだけれど」

「できる女は、人見知りなんてしないんじゃね?」

 葵依は姫華の隣に座った。

 ベッドの脇には広げられた古新聞と、その上に並んで置かれた葵依と姫華の革靴がある。

「人間は誰しも欠点があるの。それでは、川丘さんの過去を話すわね」

 姫華は手にしていた漫画をベッドへ置いた。

「――川丘さんは中学生のときからすでに背が高くて、そこにすこしだけコンプレックスを感じていたわ。けれどバスケットボール選手として優秀だった彼女は、それを前向きに捉え、自分に向いている職業はなにかと真剣に考えた。自分の高身長が生かせる職業をね。結果として川丘さんが出した答えの一つに、『ファッション雑誌のモデル』というものがあった。そこで彼女は手始めに、読者モデルへ応募しようと考えたのよ」

「モデルかぁ。確かに奏ちゃんの天職かも」

「けれど幼馴染の言葉で、川丘さんはそれを断念してしまう。中学二年生の秋に起こったその出来事を、彼女はいまになって後悔しているの。あのとき応募しておけば、違う未来があったはずだってね」

「あー。私もそういう経験あるや」

「そうなの? わたしには心当たりがないわ」

「本当? あのとき冷蔵庫のプリンを食べておけば、お兄ちゃんに取られることもなかったのに――とか、そういうやつでしょ」

「……そうね。程度の差こそあれど」

「それで、奏ちゃんはその後どうなるの?」

「どうって、葵依はもう知っているでしょ?」

 姫華の言葉に、葵依はパチパチと瞬きをした。

 話の続きを待つが、姫華は逆に葵依が口を開くのを待っているようだ。

 ふたりは互いに視線を交わしたままでいる。

「……えっと、姫華。奏ちゃんが夢に喰われる原因は、それで終わりなの?」

「そうよ。もしかして葵依は『そんなことで?』とでも思ったのかしら?」

「ま、まさか。なにが理由で心が傷つくかなんて、人それぞれだし」

「その考えは正しいわ。わたしのパートナーでいる間は、常にそれを念頭に置いていて。けれどね、葵依。例外はあるの。本来であれば、その程度の心の傷で夢に喰われるなんてありえないのよ」

「ありえないって、じゃあ奏ちゃんは夢に喰われているのではないってこと?」

「いいえ。体育館で話した通り、川丘さんは間違いなく夢に喰われているわ。そうね。例えるなら『塞がっていた傷を無理矢理に抉られた』というところかしら。

 中学二年生の川丘さんは、確かに深く傷ついた。でも彼女はそれを自力で一度は乗り越えたのよ。雑誌への応募を諦め、バスケットボール選手としての自分に区切りをつけ、高校を新天地と定めて自身をリスタートさせた。

 彼女はそれに成功していたのよ。夢が川丘さんにつけ入る隙なんてなかった」

「じゃあ、どうしていまになって……?」

「考えられる理由はふたつ。ひとつはバレー部存続の危機が、川丘さんの心に迷いを生んだのではないかということ。バレーボールに打ち込むと決めたのに、結局はやめたはずのバスケットボールをやることになってしまった。自分で決めた道を外れていることに対する迷い。そこに夢がつけこんできたと考えられるわ」

 姫華が一呼吸置く。

「けれどね、さっきも言った通り、それは本来ありえないことなの。

 だって一切の迷いや悩みがない高校生なんて、きっとこの世界に存在しないわ。ただ迷ってしまっただけで夢に喰われるなら、とっくに世界中の人間が夢に食い尽くされているはずだもの。

 そこで考えられるもう一つの理由。これは状況からの憶測なのだけれど『わたしをここへ呼んだクライエント』が関係しているのだと思う」

「その人がなにか悪さをしているってこと?」

「それは違うわ。クライエントではなく『クライエントを喰っている夢』が、周囲に悪影響を及ぼしているの。過去に同じような事例もあるわ。育ち過ぎた夢が、とりついているクライエントだけでなく、周りの人間たちも喰い始める。

 おそらく、今回もそれが起こっているのだと思う。夢に喰われるはずのなかった川丘さんの過去の後悔が、いまになって生じた迷いを媒介に、彼女をクライエントにしてしまった」

 葵依がごくりと唾を飲む。

「……つまり、このままだと奏ちゃんみたいな子たちが、どんどん増えるかもしれないってこと?」

「わたしの考えが正しければ、という前提はあるけれど」

「姫華が言っていた、奏ちゃんの症状が重いとか進行が早いとか、そういうのもそれが原因?」

「いえ。それはまた別の理由。今回はすこしタイミングが悪かったの。

 葵依と葉月さんが美菜さんを支えることで進行を遅らせていたように、川丘さんを支える人がいれば、彼女の症状はもっとゆるやかに進行していたはずよ。それはおそらく、葵依たちバレーボール部の部員たちの役目だったのだけれど、川丘さんは意図せずあなたたちから離れてしまった。

 そして川丘さんのルームメイトは彼女を支えるのではなく、ただ心配をして我侭を聞くだけに終始してしまった」

「じゃ、じゃあ、奏ちゃんが夢に喰われたのは私のせい……私が支えてあげなかったから?」

 葵依の顔から血の気が引いた。

 その頬に、姫華が触れる。

「違う。葵依のせいじゃない。クライエントが夢に喰われるのは、誰かのせいではないの。

 思い出して。誰がクライエントを支えても、いずれは夢に喰われてしまう。

 その時期が早いか遅いか。

 それによってわたしたち魔法使いが間に合うかどうか。

 それだけが重要なのよ。

 事実としてわたしはいまここにいる。だから川丘さんは夢に喰われない」

「姫華……」

 葵依は頬に触れる姫華の手を握った。

「――姫華って、本当にときどきだけど、すごくかっこいいときがあるよね」

「わたしはいつでも格好いいはずよ。だって正義の魔法使いだもの」

 姫華は葵依の手を引いてベッドから立たせると、そのまま部屋に敷いた古新聞の上に乗って靴を履く。

「葵依も早く靴を履いて」

「うん。私たちは今回、過去でなにをすればいい?」

「川丘さんが読者モデルの募集に応募するよう仕向けましょう。それだけで彼女は救われるはずよ」

「……美菜ちゃんのときもそうだったけど、なんだかやることは単純だし地味だよね」

「手に負えないくらい複雑なのよりは良いでしょ? さあ目を瞑って」

「うん」

 葵依は新聞紙の上で靴を履くと、姫華の両肩に触れて目を閉じた。

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