第23話 第三章3

「あちゃー。カナちんのこと、もう耳に入っちったんだぁ」

 高見葉月はバツが悪そうに、自身の側頭部をこつこつと小突いた。

 放課後、部活が終わってから葵依と姫華は葉月たちの部屋を訪れていた。

 手前のベッドでは姫華と葵依が。奥のベッドには葉月と美菜が並んで腰掛けている。

「噂程度だけど……」

 そう葵依は言葉を濁す。歩乃海から聞いたと話すのは、なんだか告げ口をしているような気がして憚られたからだ。

 ごめんね、と美菜が葉月を庇うように言った。

「奏さんのことは、私も葉月ちゃんから訊いてはいたのだけれど……。葵依ちゃんのバレー部から預かっているのだから、心配かけたくなくって」

「なんとなく相談できなかったんよ。ごめん葵ちゃん」

「いいよいいよ。気持ちはわかるし。それじゃあ、本当に奏ちゃんは部活をサボっているんだね?」

「週に一度、バレー部が休みの日は必ず練習に来るんだけどさ。それ以外はさっぱり来なくなっちゃった。理由を聞いても答えてくんないし。来てもやる気がないっていうか……気分が乗らない日はあたしもあるけど、ずっとそんな状態だと周りにも影響でちゃうし、怪我にも繋がるしでよろしくないじゃん? だからどうにかしたくて励ましてはいるんだけど、さっぱり効果がなくて」

「川丘さんは、バレー部が休みの日はバスケ部の練習に参加するのね? その理由はわかるかしら?」

 姫華の問いに、葉月が頷く。

「バレー部の子たちに、帰り道で会ったら気まずいとかなんとか……。カナちんってば、いまバレー部よりバスケ部を優先することになってるっしょ? なんか、そんなようなことを後輩の子が聞いたって」

「……そう。周囲に気を配ることはできているのね」

 姫華がぽつりと呟く。

 美菜が葵依に頭を下げる。

「甘えるみたいで悪いのだけれど、葵依ちゃんからも奏さんを説得してみて欲しいの。私たちよりも、葵依ちゃんのほうが信頼されていると思うから」

 どうにか頼めないかな? と葉月が美菜に続く。

「ちょうど明日はバレー部休みっしょ? カナちんたぶん練習に来るからさ。放課後に体育館へ来てくんない?」

「いまから奏ちゃんの部屋へ行って話してこようか? この時間なら帰ってんじゃない?」

 葵依の提案に、葉月が渋い顔をした。

「いやー。それはやめといたほうがいいかな。カナちん居留守使うんよ。あと寝たふり。無理矢理部屋に押し入って、同室の子に迷惑かけるのもイヤじゃん?」

「それは……そうだね」

 葵依は姫華をちらりと見る。

 それで構わないと姫華は頷いた。

「葵依が話せば、すぐに解決するかもしれないわ。川丘さんのことは、わたしたちに任せてもらってもいい?」

「おお。なぜか姫ちゃんが言うと説得力あるね。美菜ちゃんのときもそうだったけど、なんか大丈夫って気がしてくるよ。でもあたしに出来ることがあればなんでも言ってね」

 私も、と美菜が言う。

「協力出来ることがあればなんでもするから」

「うん。ふたりともありがとう。明日の放課後、体育館へ行くよ。それじゃ、私たちはそろそろ部屋へ戻るね」

 葵依が立ち上がり、姫華がそれに続く。

 葉月と美菜はふたりを見送るために、部屋の扉までついてきてくれた。

 そこで葵依は、はたと足を止めた。

 しばらくなにかを考えてから、姫華の背中を押す。

「――姫華。悪いんだけど先に部屋へ戻っていてくれない? 葉月ちゃんと美菜ちゃんに、ちょっと聞きたいことがあって」

「ええ。わかったわ。鍵は開けておくわね」

 姫華は了承すると、一人で先に部屋を出た。

 葵依は、姫華が自室へと戻るのを見届ける。

「聞きたいことってなに? カナちん関係?」

「遠慮せず、なんでも聞いてね。座って話す?」

 部屋へ招き入れようとするふたりに、葵依は慌てて首を横に振った。

「ううん。たいした話じゃないんだ。……うんとね。えっとね。えーっと……ふたりは『学園の四天王』って聞いたことある? なんか、そういうのがあるらしくて」

 葵依の問いに葉月が答える。

「学園の四天王? なにそれ? 漫画の話? 美菜は知ってる?」

「私も聞いたこと無い。良かったら調べておこうか? いま連載している漫画?」

「え? あーっと、いやいや。うん。気にしないで。自分で調べるから」

 美菜がちいさく首を傾げる。

「遠慮しなくていいのよ? 明日までに調べておきましょうか?」

「そんなそんな。全然気にしないで。じゃ、私はこれで」

 気まずさから、葵依はそそくさと部屋を出た。

 葉月たちの部屋の扉を後ろ手に閉めてから、ほーっと長く息を吐く。

 ――なにごともなかった。

 葵依は自分にそう言い聞かせて、自室へと足を向ける。

「うわっ!」

 葵依が声を上げた。

 僅かに開かれた自室のドア。

 その隙間から、姫華がこちらをじっと覗いている。

 葵依の額に、ドッと汗が浮かぶ。

「あ、あの、姫華さん。もしかして全部聞こえてた?」

 こくり、と姫華が無言で頷いた。

「うんと、うんとね。違うの。気分転換って言うか、魔が差したというか……」

 もじもじとしている葵依へ、姫華が気の毒そうな視線を向ける。

「いいのよ。葵依にだって、承認欲求くらいあるわよね。なんて言って欲しい? あなたが自由に考えていいのよ? それをそのまま、わたしが言ってあげるから。それであなたは気持ちよくなれるのよね?」

「そ、そんな意地悪な言い方をしなくてもいいでしょ? 私だって思春期真っ盛りの女の子なんだよ? ちょっとくらい自意識過剰になっても仕方ないじゃない」

「そうね。ところで、部屋には入らないの?」

「入るっての!」

 葵依は顔を真っ赤にして、姫華を押しのけるように部屋へと入る。

「――そうそう姫華。ちょっと話があるんだけど」

 ベッドに腰掛けながら、葵依が言った。

「話題を変えたいのね。乗ってあげるから話して」

 並んで座った姫華の肩に、葵依がこつんと額を当てる。

「――ありがとう。姫華。美菜ちゃんが友達と遊びに行けるのも、葉月ちゃんが美菜ちゃんのことで嬉し泣きできるのも、いまこうして私がふたりにおバカな質問をできるのも、みんな姫華が助けてくれたおかげ。それなのに私、まだちゃんとお礼を言ってなかった」

「な……」

 姫華の顔が、耳まで赤くなる。

「な、なに? 葵依ったら、急に改まって。どうしてしまったの?」

「感謝してるって、きちんと伝えておきたくて」

「そんな必要ないわ。美菜さんを助けたのはわたしひとりじゃないもの。あなたもでしょ?」

「それは姫華の魔法があったからだよ。姫華の魔法はすごく優しい魔法だって思う」

「しご、仕事でやったことよ。そんな――」

 そんなことを言われたのは初めてだ。

 自分はこれまでずっとひとりきりだった。

 だから、どんな反応をすればいいのかわからない。

 顔がどんどん熱くなっていく。

 視界がぐるぐる回っているようだ。

「が――――――っ!!」

「うわぁ!?」

 姫華は奇声を上げて葵依を両手で押しのけると、制服姿のまま自分のベッドへと飛び込んだ。

 そして頭からシーツを被る。

 葵依はそれをしばらく唖然と見ていたが、すぐにニヤニヤしながらシーツに包まった姫華をつつく。

「……娘さんや? なにをしとるのかね? 照れとるのかね?」

「うるさいわね! 寝るのっ!」

「夕食はどうするのかね? 食べないと寮母さんに怒られるよ? 怖いよ?」

「なんなのもうほっといてー」

 姫華の情けない声と共に、シーツがもごもごとのた打ち回る。

「あはは。ごめんね。そのまま寝ていてもいいよ。夕食の時間になったら起こしてあげる」

 床を擦る音が聞こえた。

 葵依が机について勉強を始めたのだろう。

 彼女は少しだけ勉強が不得手のようで、毎日の予習復習を欠かさない。

 この寮で暮らし始めて、まだたったの二週間しかたっていない。

 それでも姫華にはわかったことがある。

 川澄葵依はとても魅力的で、尊敬に値する人間だった。

 彼女だけではない。

 高見葉月と神前美菜も、互いを深く思いやれる優しい人間に相違ない。

 葵依は美菜と友達で。

 美菜は葉月と友達で。

 葉月は葵依と友達で。

 自分だけ、その輪から外れている。

 無論、新参者である自分が、時間をかけて築いてきた彼女たちの信頼関係と同じものを、短時間で容易く手に入れるなど不可能だとわかっている。

 けれど姫華には想像すら出来ない。

 いずれ自分が、彼女たちと友人関係になる姿が。

 彼女たちと友人になるための、『そういう話』をいつ切り出せばいいのか。

 それとも、切り出してくれるまで待たなくてはいけないのか。

 いくら考えても、姫華にはわからない。

 わかるはずがない。

 少女は誤った知識を植えつけられていて、それを固く信じているのだから。

 姫華は考える。

 一之瀬歩乃海。

 もしも彼女と友達になれれば、そういうこともわかるようになるかもしれない。

 なんとなく、ただなんとなく、姫華はそんな予感を覚えていた。

 そうすれば、いつか葵依とも――。

 瞳を閉じて考え事をしているうちに、姫華はいつの間にか浅い眠りに誘われていた。

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