第21話 第三章1
葵依が部活を終えて寮に戻ると、部屋の前にダンボール箱が置かれていた。
葵依宛の荷物だが、どうしてか送り主が空欄になっている。
こんな状態で受けつけるなんて、配送業者もいい加減だなと思いながら室内へと運び入れた。
荷は軽く、振ると衣擦れの音がした。
実家から秋物の服が送られてきたのかもしれない。
ダンボール箱を自分のベッドへ置こうとするが、そこには大量の漫画本が散乱している。
おそらく、ではなく、間違いなく姫華が美菜から借りたものだろう。
彼女はなぜか葵依のベッドを本棚代わりに使うのだ。
やれやれとダンボール箱を床に置いて封を開けると、数着の見慣れないAラインワンピースが入っていた。
「わあ! もしかしておニュー? お母さんが送ってくれたんだ」
葵依はわくわくと胸を弾ませながら、草色のワンピースを手にとって広げた。
そして「あれ?」と首を捻る。
なんだか随分とサイズが小さいようだ。
立ち上がって身体に当ててみると、スカート丈がかなりきわどいことになっている。
「――こんなの着て出歩いたら、痴女ですよマイマザー……」
今度は水色のワンピースを取って身体に当ててみる。こちらもやはり同様に、スカート丈がどうにかしているレベルで短かった。
「お母さんってば、サイズ間違えてるよ……」
手紙でも入っていないかとダンボールを漁ると、底のほうに下着が入っていた。
これも見慣れないものだ。
そしてどう見ても使用感がある。
葵依はブラジャーをひとつ引っ張り出して眺めてみた。
カップの極めて浅いハーフカップブラだった。
葵依は普段フルカップブラを愛用している。
いま手に持っているそれでは、どんなに頑張ってもホックが止まりそうにない。
「……小学生の頃に使っていたやつかなぁ?」
「悪かったわね。小学生みたいな体型で」
声に振り向くと、姫華が扉の前で仁王立ちしていた。
「あ、おかえり。どうやってドア開けたん? 魔法?」
「あなたが開けっ放しにしていたのでしょ? わたしのブラ、いい加減に離して」
姫華はつかつかと歩み寄ると、葵依からひったくるようにブラジャーを奪った。
「それ姫華の? 私宛の荷物に入っていたんだけど」
「なによ。葵依宛にわたしの荷物を送ってはいけないの?」
「ああ、自分で送ったのね。いけなくはないけど、そんなことすると私は普通に漁るよ?」
そう言いながら、葵依は姫華の身体の一点を見詰める。
姫華はその視線に、ジト目を返した。
「……わたしの胸部について、なにか否定的で屈辱的な意見がありそうね?」
「いえ、特に感想はないっス。でもなんでわざわざ宅配便なんて使うの? 魔法で運べばお金はかからないでしょ?」
「それだと魔法使いと一般人の間で、金銭的な不公平が生まれてしまうわ。だから魔法省は『荷物の運搬には民間企業』を『移動には公共の交通機関』の利用を推奨しているの」
「へー。ちゃんと考えてるんだね。ところでその漫画、また美菜ちゃんに借りたの?」
葵依はベッドに乗せられた大量の漫画本を指差す。
「今回は美菜さんのおすすめなの。前回は葉月さんのおすすめを読んで恐ろしい目にあったから。……内容は、とても面白かったのだけれど」
姫華はぶるっと震えて腕を擦った。
葉月が姫華に薦めたのは所謂ダークファンタジーもので、随所で鮮血の雨が降るような内容だった。
だがせっかく薦めてくれたのだからと姫華は投げ出さず、一冊ずつ葵依と一緒に読んで、最終的には文庫版全二十四巻の読破を果たしていた。
「ちゃんと中身を確認した? 血がドバドバ出るやつじゃないでしょうね? また『怖くて一人じゃ読めない。一緒に読んで』なんて言わないでよ」
「べ、別にいいじゃない。それくらいしてくれても」
「いいけど、部活終わりに迎えに来るのはやめてよ。急かされて帰るの、恥ずかしいんだから。後輩に理由を聞かれても説明し辛いし」
「続きを早く読みたかったんだもの。そういえば葵依って、なんの部活に入っているの? いつも二、三人でランニングや筋トレばかりしているけど。あ、もしかして陸上部?」
「……姫華は本当に私への興味がないよね」
がっかり顔で葵依が続ける。
「バレーボール部。確か前に話したはずだけど」
「そうだったかしら? でもボールを使って練習しているのを見たことないわ」
「夏の大会で、四人いた三年生がみんな引退ちゃったんだよ。残った部員は私を含めた二年生がふたりに、一年生がひとり。それと元マネージャーがひとり。もともと強いチームじゃなかったし、私以外の部員はみんな兼部しているから、体育館を使わせて貰うのが申し訳なくて」
「みんなが兼部? ひとりだけ毎日一緒に走っている子がいたはずだけれど。あの子は他の部活には出ていないの?」
「あの子が元マネージャー。いまは冬季大会の出場を目指して、選手に転向してくれたんだ」
「それでも人数足らないでしょう? バレーボールってコートに六人必要だったはずよ」
「そう。だから絶賛部員集め中。姫華もやらない?」
「イヤよ。絶対に。わたしは頭脳労働タイプなの。運動部なんて入ったら身体が壊れてしまうわ」
「そんなに嫌がることなくない? あんたもここへ来てもう二週間なんだから、なにか部活を始めてみれば?」
葵依の誘いに、姫華は呆れた顔をする。
「あのね葵依。わたしはここへ普通の高校生をやりに来たわけではないの。あなたは知っているでしょ。わたしがなにをしに、ここへ来たか」
姫華がここへ来た理由。
人の心を喰う夢から、クライエントたちを救うためだ。
「知ってるけど……だからって高校生活を楽しんじゃダメってことはないでしょ? そもそも姫華って、放課後は部屋でゴロゴロしながら漫画を読んでいるだけじゃない」
うぐぅ、と姫華が口篭る。
「そ、そんなことはないわ。努力はしているのよ。イメージトレーニングとか色々と」
「イメージトレーニング? 魔法にもそういうのって必要なんだ」
「なにを言っているの? 初めての友達作りのために決まっているじゃない。一之瀬歩乃海さんにどうやって声をかけようかとか、どんな話をすれば興味を持ってくれるのかとか」
「そっち!? クライエントを救うとかじゃなくて?」
「それは積極的に動いたからといって、どうにかなるものではないのよ。わたしがクライエントを特定できないのは『まだ猶予がある』か、『まだ救える状況じゃない』かのどちらかが主な理由になるわ。だから慌ててもしょうがないの」
と、言うわけでと姫華が続ける。
「明日は一之瀬歩乃海さんにアタックよ。なんだか初めての友達ができる予感がするわ」
はいはい、と葵依があやすように言う。
「そうだと良いね。前に拾っておいたコンパクトの破片も、ちゃんと返そう」
「もちろんそのつもりよ。葵依はわたしをしっかりサポートして。お願いね」
「なんで私が同行するのさ? ひとりで行きなよ」
「無理言わないで。わたしにそんな度胸も根性もないわ。ひとりで他所のクラスへなんて、怖くて行けるわけないでしょう。パートナーなのにそんなこともわからないの?」
恥ずかしげもなく、姫華は胸を張る。
「……あんたさ。一回『パートナー』って言葉の意味、辞書で調べたら?」
うんざり顔の葵依を横目に、姫華は思考を巡らせる。
葵依には慌てるなと言ったが、気がかりがないわけではない
姫華をこの場所へ呼んだクライエントは、美菜ではない他の誰かだ。
その誰かを姫華は見出せずにいた。
姫華の到着が仮に今日であったならば、おそらく美菜は夢に喰われ終わった後であっただろう。
しかし姫華を呼んだ誰かは、未だ夢に抗い続けている。
故に考えられるのは、そのクライエントが『まだ救える状態ではない』ということだ。
『まだ猶予がある』のであれば、姫華を呼んだのは間違いなく美菜だったろう。
姫華はそこに違和感を覚えている。
その誰かの症状は、疑いようもなく美菜よりも重いはずだ。
それなのに、美菜よりも長期間に渡って夢に喰わながらも正気を保っている。
或いは、正気を保っていると周囲に認識されている。
それがどういうことであるか。
推測できる状況はいくつかある。
だがそれはやはり推測に過ぎないし、それをもとに動くのは経験上予期せぬ失敗を招く。
だから姫華は動かない。
夢が牙を剥くまで辛抱強く待つ。
それが彼女のやり方だった。
――コンコン、と部屋の扉がノックされる。
どうぞと声を掛けると、高見葉月が少し照れ臭そうに入ってきた。
「えっと、本日はちこっと、ご報告がありまして」
葵依と姫華は並んでベッドに腰掛け、葉月がふたりと向かい合って座る。
「ご報告? 葉月ちゃん結婚するの? 私以外の女の子と?」
ショックを受けたように葵依が訊ねた。
「なんであたしが女の子と結婚しなきゃいけないんよ? 葵ちゃんとも結婚しないけどね。そうじゃなくて美菜のこと。あの子、バスケ部へ入部することになったんだ」
「ええっ? 美菜ちゃんが?」
「入部って言ってもマネージャーでだけど。でも、美菜が自分から言い出したんだ。たぶん、本当にもう大丈夫だって私達へ伝えたいんだと思うんよ」
「そっか……。良かったね、葉月ちゃん。良かったね、姫華」
葵依が姫華の肩にポンと触れた。
「ええ。本当に」
姫華が笑み、それ以上の笑顔を葉月が見せた。
「なんだか事後報告みたいになっちってごめん。あまり周りからプレッシャーみたいなのかけたくなくてさ。美菜のペースで好きなようにやらせたくて」
姫華が頷く。
「それで良かったのだと思う。――ところで美菜さんはまだ戻っていないのかしら? 帰ったら、借りていた漫画の感想を聞かせて欲しいと言われていたのだけれど」
「美菜ならクラスの子たちとカラオケ行ってるよん。そんなに遅くはならないっしょ。美菜ってば、本当に最近よく遊びに行くようになって――」
ぽろり、と葉月の瞳から涙が零れる。
姫華はぎょっとするが、葵依は手馴れたようにハンカチを差し出した。
「は、葉月さんどうしたの?」
慌てる姫華に、葵依は大丈夫だよと言う。
「普段の姿からは想像できないかもだけど、葉月ちゃんって、すっごい涙脆いんだ。姫華が来る前はふたりで美菜ちゃんの話をしているとき、いっつも泣いていたんだから」
葉月は受け取ったハンカチで、ごしごしと目元を拭う。
「……葵ちゃんサンキュー。いやー、美菜が元気になってくれたのが嬉しくて。なんかさ、気を抜いてるときにそのこと考えると、勝手に涙が出ちゃうんよ」
「ずっと、ずっと心配してたもんね。良かったよね。美菜ちゃんが明るくなって。元気になって」
本来の、彼女へ戻れて。
「うん。――美菜さ、高校卒業したら猫と暮らすって言ってた。そしたら遊びに来てって。葵ちゃんと姫ちゃんも、一緒に行こう」
「行く。絶対に行く。楽しみだねぇ」
葵依は葉月の隣へ腰を下ろすと、その肩を抱いた。
彼女が泣き止むまで、いつもずっとそうしていたのだろう。
そんなふたりを、姫華は居心地の悪い思いで見ていた。
自分みたいなものが、ここにいていいのだろうか。
湧き上がる疑問の答えを、姫華は見つけられない。
うへへ、と葉月は気恥ずかしそうに笑った。
「めっちゃ泣いちった。ごめんねー姫ちゃん。みっともないとこ見せちゃって」
「ううん。もう平気なの?」
「あたしはすぐ泣くけど、わりかしすぐ泣き止むんだよ。でもたぶんいま酷い顔してるから、夕食前にシャワー浴びてくるね」
葉月はぴょんとベッドから降りると、ひらひらと手を振って部屋を後にした。
嬉し泣きって、本当にあるのだなと姫華は少し感心していた。
いつか自分にも、そういう涙を流す時がくるのだろうか?
そんな日々を、姫華はいまだ想像すらできないでいる。
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