第14話 第二章5

「わたしの仕事について、もうすこしだけ詳しく話したいのだけれど……」

 自室へ戻ると、姫華は遠慮がちに葵依へと訊ねた。いまの葵依に話を訊くだけの余裕があるのか。姫華はそれを量りかねていた。

「大丈夫。理解が追いつくかは別だけど」

 葵依はベッドに腰掛け、気丈にもそう答えた。彼女の瞳は真っ赤に充血している。それだけではない。手も、足も、肩も、小刻みに震えていた。

 葵依が目の当たりにしたのは、親しい友人の身に起こった突然の変質。こうして受け答えが出来ているだけでも賞賛に値すると姫華は思う。

 話を訊くことが、美菜の救いに繋がる。葵依はそれがわかっているからこそ、取り乱さずにいられるのだろう。

 心の強い人だと、姫華は葵依を評価する。尊敬する。

 だからこそ僅かであっても、その心の重圧を軽くしてあげたい。

「まず先に言っておくわ。美菜さんは救える。絶対に」

 姫華の言葉に葵依は頷く。そして滲む涙を、指先で乱暴に拭った。

 ひとつ呼吸をしてから、姫華は口を開いた。

「以前にも話したけれど、わたしの仕事は対象となる人間の『心を救う』こと。わたしたち魔法使いは、魔法を使って助けを必要としている人間を救うの。もっとも魔法使い全員が同じ仕事をしているわけではないけれど、それについていまは質問をしないで。話がややこしくなってしまうから」

「わかった」

「対象となる人間――わたしたちは『クライエント』と呼んでいるわ。心理療法のclientから取った呼び名なのだけれど、内容は心理療法とはまるで違う。まずはクライエントを探し出して観察・接触をして問題を洗い出す。その後に適切な対処――つまり『魔法』を使うの」

 姫華はゆっくりと、区切りながら話をする。

 葵依に考える時間をあげるためだ。

 もしかして、と葵依が言った。

「姫華は美菜ちゃんがクライエントだと知っていたの? 美菜ちゃんを救うためにここへ?」

「違うわ。わたしは美菜さんがクライエントだと知らなかった。知ったのは本当についさっき。彼女がクライエントかどうか調べる魔法を使った結果、わたしの救うべきひとりが美菜さんだったとわかった。強いて言えば――」

 言いかけて、姫華はどうすべきかと悩む。この話は、まだ葵依には早い。

 続けて、と葵依が言った。

「わからなくてもいい。続けて。質問はするけど」

 迷いのない葵依の瞳に、姫華の言葉が引き出される。

「……強いて言えば『わたしがここへ来ることを決定づけた』のは『美菜さんではない別の誰か』よ。その『誰か』が誰なのかまでは、まだわからないけれど」

「それって誰かが姫華を呼んだみたいな話じゃないの? もしそうなら、それが誰かわからないっておかしくない?」

「あなたの言いたいことはわかるわ。でもそれについては『わからない』としか答えようがないの。わたしは魔法使いで、わたしの力を必要としている人がどこにいるのかが『わかる』。だからここへ来た。でもそれが誰なのかまでは、その魔法ではわからない。誰なのかを知るためには、専用の魔法を直接本人に使うしかない。うまく説明できないけれど、魔法というのは『気づく』ということなの。自分は魔法が使えると『気づく』。例えば、別世界の過去へいける魔法が使えると『気づく』。物を浮かせる魔法が使えると『気づく』。『気づく』ことの積み重ねが魔法なのよ」

「……ぜんぜんわかんない」

「でしょうね。わたしも魔法使いでなかったら、こんな話はまったく理解できないと思う」

 それと、と姫華が続ける。

「聞いておきたいのだけれど、美菜さんが熱を出すようになったのは三ヶ月ほど前からなのよね?」

「うん」

「他になにか変わったことは? 急に内向的になったとか、他人を遠ざけるようになったとか」

「ううん。そういうのは――あ、そうだ。葉月ちゃんが言ってたっけ。最近、美菜ちゃんの漫画を読む時間が前より増えたって」

 葵依の話で姫華も思い出す。さきほど葉月が美菜を叱っていた。夜更かしをして漫画を読んではいけないと。

 漫画を読む時間が増える。それは『ひとりの時間が増える』ということ。

『独りにならなきゃいけないの!』

 美菜が叫んでいた言葉だ。そこにあるのは、決して弱くはない関連性。

「……でも三ヶ月も前からだなんて、そんなことありえるの?」

 姫華の疑念が、呟きとなって漏れる。

「ねぇ姫華。敵って本当になんなの? さっき『夢』に食べられるとか言っていたけど」

「『夢』というのは呼称のひとつよ。敵には様々な呼称があるの。わたしとあなたの敵は『夢』と呼ばれているわ。覚えておいて。それと敵の正体なのだけれど、これも前に言った通りわからないのよ。魔法使いの多くは敵を『災害や現象』だと認識している。地震や台風、洪水みたいな自然現象の類だと。理由なく人間を襲うところも似ていると思う」

 ただ、と姫華は続ける。

「自然現象と違うのは『魔法使いであれば対抗できる』ということ。勝てないまでも、回避はできる。退けることはできる。内閣府が魔法省をつくって、わたしたちを所属させているのは、それが理由」

 うーん、と葵依は唸る。

「……すこしはわかったような、まるでわからないような……。私はどうすればいい? できるなら、いますぐ美菜ちゃんを助けたいんだけど」

「もう一日、わたしに時間をちょうだい。美菜さんを観察したいの。そうすればなにが彼女を苦しめているのか。なにに苦しんでいるのかがわかるから」

「観察するのが魔法? なんか変な感じ。もっと手っ取り早くならない?」

「焦る気持ちはわかるけれど、いまは美菜さんを起こしたくないの。明日の朝に目を覚ましたときには、落ち着いているはずだから。眠っている状態では効果の無い魔法なのよ」

「じゃあ放課後に美菜ちゃんを助けに行くってことでいい?」

「ええ。そうしましょう」

「時間が必要なら、明日の部活は休ませて貰おうか?」

「それはダメ。学校での生活を犠牲にするのは認められないわ。そんなことさせてしまったら、わたしが魔法省から怒られるもの」

「いいじゃん怒られれば」

「イヤよ。もしそれが原因でわたしと葵依のパートナー関係が『規定要求事項を満たしていない』と判断されたら、魔法省から一方的に関係を解消させられる可能性だってあるの。それがどういう意味か、わかるわよね?」

 葵依の記憶が消される、ということだ。

 神妙な顔で葵依が頷く。

「部活をがんばってから、なるべく早く帰ります」

「走って帰って、途中で転んで怪我をする、なんていうのもナシよ? それだってばれたらどうなるか」

「私は子供か……」

「約束して」

「はいはい。約束します。――だから姫華も約束して。絶対に美菜ちゃんを助けてくれるって」

 そう言った葵依の目は、まるですがりつくかのようだった。

 姫華は葵依の腕に、そっと触れる。

「情けない顔をしないで。美菜さんを救うのはわたしとあなたのふたりよ。わたしたちは、パートナーなのだから」

 コンコン、と部屋の扉がノックされる。

 訪ねてきたのは、目を真っ赤に腫らした葉月だった。

「週末にでも、美菜の実家へ行ってみようと思うんよ」

 葉月はベッドへ腰を下ろすと、明るい声でそう言った。

「美菜ちゃんの実家って、確か岐阜だったよね。でもどうして?」

 葵依が問う。

「美菜が熱出したり、さっきみたいに――変になっちゃったのって、やっぱり『猫』が関係あるんじゃないかってさ。思うんよ」

 葉月がずっと鼻を啜る。

「だから美菜のお父さんとお母さんにそのへんの話が聞ければ、あたしにもできることあるかもじゃん?」

「電話ではダメなの?」

 姫華が訊ねる。

 葉月が首を横に振った。

「実家の番号は知らないんよ。葵ちゃんも知らないっしょ?」

「うん」

「美菜の家から届いた荷物のラベルで、住所はゲットしたんよ。でも電話番号は書かれていなくて。だからって携帯を勝手に見るわけにもいかないし。前に美菜に猫のこと聞いたけど、頑なに教えてくれなかったから。こうなったらもう、最終手段しかないっしょ?」

 そうだ、と姫華が閃く。

「学校で先生に訊くのは? 岐阜まで行くの大変でしょう? お金もかかるわ」

「そんなんしたら美菜になんかあったんじゃないかって、センセーたちに勘繰られるかもじゃん? それで呼び出しとかされたら、美菜が可哀想っしょ? おおごとにしたくないんよ」

 姫華は胸の前で指を組むと、戸惑ったように訊ねた。

「……友達って、みんなそんなことまでしてくれるの?」

 うーん、と葉月が唸る。

「どうかなぁ。あたしや葵ちゃんにとっての美菜は、友達っていうより家族みたいな感じだからねぇ。ほら、こうして一緒に生活しているわけじゃん? それなのにあんな状態の美菜をほったらかしなんて無理だし。こっちのテンションも下がっちゃうっしょ?」

 ってことで、と葉月が顔の前で両手を合わせた。

「葵ちゃん姫ちゃんお願い! 鈍行に乗っても、ちこっと電車賃足らないんよ。パパとママに頼んで週明けには振り込んでもらうから、それまでお金貸して!」

 いいけど、と葵依が心配そうに訊ねる。

「それって電車賃だけ計算してるんじゃないよね? バス乗ったりご飯食べたり、迷ったり行き先を間違えたりしたときの分も考えてるんだよね?」

「えう? えーっと……」

 葉月が目を逸らす。

 やっぱり、と葵依が苦笑いをする。

「葉月ちゃん、ひとには気遣いできるけど、自分には無頓着だから。お金がどれくらい必要になるか、明日一緒に考えよ? いまは美菜ちゃんのそばにいてあげて」

「う、うん。そうする」

 葉月はベッドから跳ねて降りると、手を振って部屋を出て行った。

「……葉月さん。優しいのね。とても」

「優しいよ。面倒見もいいし。私が魔法使いだったら、絶対に葉月ちゃんをパートナーにするかな。でもやっぱり美菜ちゃんもいいんだよなぁ。私に癒しを与えてくれるから」

「――葵依」

 なに? と葵依が姫華を睨む。

「私がパートナーで文句でもあるの?」

「そ、そんなこと言ってないでしょ? 葉月さんのためにも、明日はがんばりましょうって言いたかったの」

「……うん。そうだね。がんばろう」

 そうだ。がんばるしかない。自分になにができるか、わからないけれど。

「私にできること、なんだってする」

 葵依は誓う。想いを言葉に乗せて。

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