第13話 第二章4
「どうもご心配をおかけしまして」
美菜にしては珍しく、おどけた調子でそう報告をした。
放課後。葉月に連れられて病院へ行った美菜の診察結果は、疲労による発熱だった。
「夜更かしして、漫画を読んでいるのがよくないのかも」
照れ臭そうに自己分析する美菜に、葵依はほっこりとした気分になる。
「だからあたしがいつも言ってるっしょ? 寝ないのとご飯食べないのはダメってさ」
葉月は心配したぶん腹の虫がおさまらないのか、頬を膨らませて抗議する。
「ご飯はちゃんと食べてるもん」
「じゃあなんでそんなにちっこいんさ? 白米減らしてるの知ってんだかんね」
「もともと小食なの。あとちっこいって言わないで」
むくれる美菜に不機嫌そうな葉月。それをハラハラした様子で見ている姫華。彼女はふたりの仲裁を求めるように、ちらちらと葵依へ視線を送る。
「いつものことだから」
葵依は姫華に耳打ちした。
病院から戻った美菜と葉月は、そのまま真っ直ぐに葵依と姫華の寮部屋へ結果を伝えに来ていた。美菜と葉月は姫華のベッドへ並んで座り、葵依と姫華はそれに向き合って座っている。
葉月が美菜の鼻先へと人差し指を突きつけた。
「今日からは十時――ううん。九時過ぎたら部屋の電気消すかんね」
「いいよーだ。どうせ葉月ちゃんはその時間にはイビキかいて寝ちゃってるんだから、私が起きて電気点けても気づかないもの」
「あんたねぇ。ちびっとは反省しなさいよ。葵ちゃんと姫ちゃんにも心配かけて」
「してるもーん」
「あ、葵依ぃ……」
涙目になった姫華が、葵依の制服の袖を引っ張る。どうやら彼女には、美菜と葉月が本気で喧嘩をしているように見えているみたいだった。
この魔法使いが気の毒にも困っているさまを、もうしばらく眺めていたい。そんなことを考えるも、葵依は葉月に問いかける。
「そうそう葉月ちゃん。吉田さんって、今日学校に来た?」
昨夜、別世界の過去で救った吉田茜は、高見葉月と同じクラスだ。
「来たけど……急にどしたん?」
不機嫌そうな様子は鳴りを潜め、葉月は普段と変わらぬ様子で訊ね返す。切り替えが早いのも彼女の特徴のひとつだった。
「しばらく学校へ来てないって話だったから、ちょっと心配で」
「葵ちゃんってば、茜ちんと仲良かったん? ならご安心。めっちゃ元気に登校してきたよ。ちこっと体調悪かったんだって」
「そっか。良かった」
葵依が姫華へ視線を向けると、彼女はちいさく頷いた。
これが別世界で過去を変えた結果なのかと、葵依は実感する。
とはいえ、相変わらず手応えのようなものは皆無だ。
でも、と葉月が残念そうな声を出す。
「茜ちん、今週末に引っ越しちゃうんだってさ。予定が早まったとかで。お別れの挨拶するなら、急いだほうがいいよ」
「ありがとう。そうする」
実際のところ、葵依は吉田と言葉を交わしたことはほとんどなかった。しかしそれをこの場で言うとややこしくなるので黙っておく。
送別会は? と美菜が葉月に訊ねる。
「なにか用意するなら、一緒にお買い物へ行く?」
彼女も葉月同様に、普段通りの顔に戻っていた。
「やりたかったんだけど、もう準備してる時間がなくてさ。明後日の放課後にクラスみんなでファミレス行ってお別れするんよ」
「そう。残念ねぇ……」
美菜は我がことのように残念がっている。姫華はそれを不思議そうに見ていた。
そういえば、と葉月が口を開く。
「寮で姫ちゃんの歓迎会やるって寮母さんが言ってた。好きな食べ物をリクエストしてって」
「歓迎会? わたし歓迎してもらえるの?」
姫華の頬が上気する。
「よかったねぇ」
葵依が言うと、姫華が嬉しそうに頷く。
「好きな食べ物。好きな食べ物。どうしよう葵依? わたしなにが好きなのかしら?」
「知らないっス。ま、ゆっくり考えなさいな」
「ええ。そうする。葵依は――」
言いかけて、姫華は葉月と美菜の顔を見る。
「えと、み、みんなはなにが好きなの?」
「ラーメン」
「らーめん」
葵依と葉月が声を重ねる。
「ら、らーめん? らーめん……食べたことないかも……」
「え? 姫ちゃんそれマジ?」
葉月が愕然とする。
「た、たぶんだけど」
「それは人生損してるっしょ! こんどあたしと葵ちゃんおススメの店に連れてってあげんよ」
「あ、ありがとう。みな、美菜さんはなにが好きなの?」
額に汗を浮かべながら、姫華が美菜に問う。がんばってお話しているなぁと、葵依は姫華の努力を微笑ましく思う。
「好きな食べ物……なんだろう……? 改めて訊かれると……」
美菜の頬を伝って、顎の先から汗が流れ落ちる。
それに気づいた葵依が驚いた声を出す。
「ありゃ? 美菜ちゃん。部屋暑い?」
葵依は葉月の顔を見るも、特に暑がっている様子はない。葵依自身も同じだ。姫華は額に汗をかいているが、それは緊張からくるものだろう。
葉月が美菜の背中に手をそえる。
「美菜。あんた具合悪いんじゃない?」
「……ううん。そんなことない」
じょじょに顔色が悪くなっていく美菜の額に、葵依が手のひらを当てる。ぐっしょりと汗で濡れていた。
「熱は――ちょっとあるみたい。寮母さんに氷もらってくる」
「葵ちゃんタンマ」
葉月が葵依を制止する。
あまり大ごとにしないであげて。美菜が気にするから。
葉月の目がそう言っていると葵依にはわかった。
葵依が頷いて返す。
「後はあたしに任せて。悪いんだけど、葵ちゃんと姫ちゃんは部屋の扉開けてくれる?」
葉月は美菜に肩を貸して立ちあがらせた。膝に力が入らないのか、よろけた美菜を葵依と葉月が支える。
「姫華。ドア開けて」
どうしたらいいのかと、わたわた手を上下させている姫華に葵依が頼んだ。
「え、ええ。すぐに開けるわ」
姫華は扉に駆け寄ると、部屋の外へ出てそれを押さえる。
「せんきゅー姫ちゃん」
意識がないのか、美菜は葵依と葉月に引き摺られていた。
葵依たちが扉を通るすれ違いざまに、姫華はそっと美菜の背中に触れる。そしてすぐに三人を追い越して美菜たちの部屋の扉を開けた。
「ありがとね」
葉月が再び礼を言う。
葵依たちは美菜の制服を脱がせると、下着のままベッドへと寝かせた。
「……これ、本当にただの発熱なの?」
葵依はそう呟くと、はっとしたように自分の口を塞ぐ。余計なことを言って、葉月の不安を煽ってしまったかもしれないと後悔する。
「明日また、病院へ連れて行くよ。……ううん。熱が上がるようなら、寮母さんに言って救急車を呼んでもらう」
葉月は、苦しそうに呼吸する美菜の頭を撫でながら言った。
「そうだね。――ごめん。変なこと言って」
「別に葵ちゃんは悪くないっしょ。さ、ふたりは部屋に戻って」
葉月は努めて明るく振舞う。
葵依、と姫華が腕を引く。
「戻りましょう。わたしたちがいても迷惑になるだけよ」
「そうかもしれないけど――」
姫華がもう一度、葵依の腕を引く。
「……わかった。葉月ちゃん。なにかあったらすぐに声かけて」
「うん。遠慮なくそうする。夜中でも叩き起こすから覚悟するといいぞ」
葉月はそう冗談めかして言うと、力なく笑った。
後ろ髪を引かれながら、葵依は姫華と一緒に自室へ戻る。
「葵依。そんなに心配しなくても平気よ」
葵依がベッドへ腰を掛けたところに、姫華が言った。
「……慰めてるつもりかもしれないけど、無責任なこと言わないで」
葵依はつい棘のある言葉を使ってしまう。こんなものは姫華への、ただの八つ当たりだ。
しかし姫華は動じない。
「美菜さんに魔法を使ったの。熱はすぐに下がるはずよ」
「……は?」
葵依は間の抜けた声を出す。
「前に言ったはずよ。魔法で病気の症状を和らげることはできるって」
「お、おお……」
葵依は姫華の顔をまじまじと見る。あの短時間で彼女が魔法を使っていたなどと、葵依はまるで気づきもしなかった。
その視線に姫華が身体を引く。
「な、なに? 変な目で見ないでちょうだい」
「いや、私、あんたのこと、もしかしたら有能なんじゃないかって、勘違いしかけてるかも」
「勘違いじゃないわ。わたしは有能なのよ」
「ありがとう姫華。これでひと安心――」
バタン! と乱暴に部屋の扉が開かれる。
転がるように入ってきたのは、葉月だった。
「こ、これ! これが部屋に!」
青い顔で慌てふためく葉月が差し出したのは、桃色の可愛らしい便箋だった。
そこに書かれていた文字は『ありがとう』の一言だけ。
「……なに、これ? 美菜ちゃんの書いた字、だよね?」
葵依は一年生の頃、よく美菜と一緒に勉強をしていた。
故に見慣れたその字が、美菜のものだとすぐにわかる。
「氷を貰いに寮母さんのところへ行って、部屋に戻ったら美菜がいなくて。代わりにこれが……」
「ふたりともこっちへ来て。美菜さんが裏庭にいるわ」
姫華の声に振り返ると、彼女は部屋の窓から外を指差していた。
葵依と葉月は窓際へ駆け寄り、姫華を押しのけるように身を乗り出す。
そこにあったのは、下着姿でひとり佇む美菜の姿だった。
「美菜! そんな格好でなにしてるんよ! 美菜ってば!」
「美菜ちゃんどうしたの! 美菜ちゃーん!」
葵依と葉月の呼びかけにも、美菜は微動だにしない。
この距離で、この声量で、聴こえないはずなどないのに。
「葉月ちゃん降りよう。美菜ちゃん変だ」
「う、うん」
葉月は頷くとすぐに走り出す。葵依がその後に続いた。
寮の廊下を猛スピードで駆け抜けて一階へ降りる。裏口でサンダルを引っ掛けて裏庭へ出た。
だがそこに、美菜の姿はない。
「美菜ちゃん! 美菜ちゃんどこー!?」
「美菜―! 美菜ってばー!」
周囲を見渡しながら、ふたりは懸命に美菜の名を呼ぶ。
しかし美菜は呼応しない。
葉月は裏庭の一角にあるプレハブ小屋へと走り込む。
そこにあるのは十台の洗濯機と乾燥機。
次いでやって来た葵依と共に、念のためと洗濯機を覗き込むも、当然ながらに美菜はいない。
「こ、こっち。美菜さん、こっちにいるわ」
ハァハァと息を切らせながら、遅れて来た姫華が小屋の入り口で手招きをしている。
「どこ? どこにいるの?」
「ひぇっ! こ、こっち。こっちへ来て」
食ってかかる葵依と葉月に怯えながら、姫華はふたりをプレハブ小屋の裏側へと導く。
普段あまり運動をしないのだろう。少し走っただけで姫華の足元は覚束なくなっていた。
プレハブ小屋の背面と寮の外壁の間。
六十センチほどの隙間に美菜はいた。
彼女は背を向け、膝を抱えて座っている。
「美菜! なにをしているのさ! 寝てなきゃダメでしょ!」
葉月が強い口調で叱りつける。
けれど美菜は振り向きもしない。
壁との隙間は日が当たらず、地面がぬかるんでいる。
美菜の下半身は泥だらけになっていた。
「美菜ちゃん部屋に戻ろう? こんなところにいると、また熱が上がっちゃうよ」
葵依の呼びかけにも美菜は応えない。
葵依と葉月は困惑した表情で顔を見合わせる。
「美菜ちゃん、いったいどうしちゃったんだろう……」
「葵ちゃん。あたし、美菜を引っ張り出してくる。こんなに心配かけるなんて」
制服の袖をまくる葉月の瞳には、涙が浮かんでいた。
心配と、美菜が見つかった安堵からのものだろう。
「来ないで!」
絶叫に似た拒絶が、辺りの空気を震わせた。
葉月が足を、葵依が動きを止める。
声の主はわかっていた。
だがそれは、ふたりにとって信じ難いことだった。
「独りにして! 独りになりたい! 独りにならなくちゃいけないの!」
美菜は膝に顔を埋めたまま、ヒステリックに叫び続ける。
その言葉は要領を得ない。
葵依と葉月は顔を見合わせる。
お互いの顔には、同じ疑問が浮かんでいた。
目の前で叫んでいる少女は、本当に神前美菜なのか、と。
ふたりの知る美菜は、小さめの声で穏やかに喋る。
こんなにも声を荒げる姿を、これまで一度だって見たことは無い。
「――美菜! いい加減にしな!」
葉月は泥を踏み散らしながら、大股でズカズカと美菜の元へ歩み寄る。
両脇に腕を差し入れ、力任せに美菜の身体を引き起こした。
「放して! 独りにならなくちゃいけないの! 独りに! 独りに!」
「うるさい! 暴れんな!」
無茶苦茶に手足を振り回して抵抗する美菜を、葉月は羽交い絞めにしたまま引き摺っていく。
運動部の葉月に、美菜が腕力で敵うはずはなかった。
力で従わせるのが辛いのか、葉月は目を潤ませ唇を噛んでいる。
「葵依。出てきたら美菜さんの身体を支えて。魔法で眠らせるわ」
ハラハラとふたりを見守っている葵依に、姫華が耳打ちする。
「わ、わかった」
美菜が暴れるせいで、葉月まで泥だらけになっている。
壁の隙間から引っ張り出された美菜の身体を葵依が支えた。
それと同時に姫華は葵依の陰から手を伸ばし、美菜の身体へ触れる。
途端に美菜は脱力し、葵依と葉月にもたれかかった。
「え? ちょ、美菜? どうしたの? 大丈夫?」
葉月が慌てて美菜の身体を揺するも、彼女は規則正しい寝息を立てていた。
「――嘘でしょ? 美菜ってば寝てるの?」
「そ、そうみたいだね。疲れちゃったのかな? 今のうちに部屋へ運んじゃおうよ」
呆然とする葉月に、葵依は早口でそう提案した。
姫華が魔法で眠らせた、などと言えるはずもない。
葉月は困惑顔で頷くと、葵依とふたりで両側から美菜の身体を支える。
葵依は眠っている美菜の横顔へ視線を向けた。
そして思ってしまう。
この少女は、本当に、本当に、本当に、美菜なのだろうかと。
まるで自分の知らない誰かのように思えた。
「葵依、美菜さんをよく見ておいて」
姫華が葵依に囁く。葉月に聴こえないよう、静かに。
「彼女は『クライエント』よ。わたしたちの敵――『夢』に喰われかけているわ」
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