第11話 第二章2

 葵依たちの生活する『緑木寮』は学校の敷地内ではなく、少し離れた住宅街にあった。

 自転車での通学は寮則で禁じられているので、葵依たち寮生は徒歩での登校を余儀なくされている。学校へ行くには寮から五分ほど歩いて、一度駅前まで出なくてはならない。

 更にそこから駅を抜けて十分近く歩いた場所に、葵依たちの通う『私立武蔵東学園』はあった。

 寮生たちのほぼ全員が最初に疑問を感じること。

 それはなぜ学校まで徒歩で十五分という微妙な場所に寮を造ったのかということだ。

 過去、様々な憶測が飛び交ってきたらしいが、その真相を知る者はいないという。

 葵依は寮での朝食を済ませた後、いつものように隣室の美菜、葉月と一緒に登校する。

 若干の顔色の悪さは残っていたが、美菜は概ね普段通りに見えた。熱もすでに下がっているらしい。放課後に病院へ行くことも了承しているようで、葵依はひとまず安心する。

 美菜本人は「猫アレルギーではない」と否定していたが、葵依と葉月は念のため曲がり角ごとに猫の存在がないかを探りながら、いつもの通学路を歩いていく。

 武蔵東学園の校舎は白を基調としており、それをレンガ積みの外壁が囲んでいる。

 校門の左脇には学校名の書かれた黒地で横長の表札があり、抜けた右手側には来賓者用の受付玄関があった。

 四階建ての校舎を支えている柱は焦げ茶色という独特のカラーリングで、壁面の大半を占めている白色とどうにもミスマッチに思える。

 更に言うと来賓玄関の脇に非常階段があるのだが、そこは壁面が鮮やかな橙色に塗られていた。

 加えて外壁に時計が設置されている中央階段部は、くすんだ黄土色という奇抜さだ。

 どうして校舎にこんな色を選択したのだろう。

 初見の者は大抵そんな感想を抱く。

 葵依も慣れるまでは校庭から中央階段の時計を見上げるたびに、なんとも言えない気分になったものだった。

 校門を抜けて校舎とテニスコートに挟まれたコンクリートの道を直進する。

 突き当たりには植え込みに囲まれた平屋の『第二部室棟』があり、その左手側には駐輪場、右手側には昇降口があった。

 生徒用の下駄箱は、昇降口を登った二階にある。

 昇降口を上がって上履きに履き替え、正面の生徒会室を右手に廊下を歩く。

 突き当たりは三年生の教室で、葵依たち二年生は一つ上の三階に教室があった。

 観葉植物とゴミ箱の置かれた踊り場から三階へ上がると、白タイルの手洗い場とトイレがある。

 一組の葵依と美菜は、いつもここで葉月と別れる。

 葉月だけが三組でクラスが違うのだ。

 手を振り合って葉月を見送ってから、葵依と美菜は一組の教室へと向かった。

 ドアが開いたままの教室からは、普段よりも少しだけ華やかな声が漏れ聴こえている。

 理由は確かめるまでもなく明らかだ。

 窓側から二列目の一番後ろに座っている少女。

 西行寺姫華という名の転入生が、クラスメイト数人に取り囲まれていた。

 姫華を囲むクラスメイトたちと挨拶を交わし、葵依は自分の席につく。

 場所は窓際の一番後ろ、姫華の隣だ。

 昨日まで自分の隣に席なんてなかったのに、と考えつつも姫華が困っていないかと聞き耳を立てる。

『友達がいない』と言っていたのが本当かどうかはわからないが、彼女の様子から察するに他者とのコミュニケーションが多少不得手なのかもしれないと考えたからだ。

 しかし葵依の心配とは裏腹に、姫華は穏やかな笑顔を浮かべて次々に繰り出される質問へ如才なく答えている。

 けれどどうしてだろう。葵依は横顔に視線を感じていた。

 先程からちらちらと姫華がこちらを見ているのだ。

 室内は空調が聞いていて涼しいにも関わらず、姫華の額にはほんのりと汗が光っていた。

 人見知りが助けを求めているのだろうなぁ、とは思うも変に口を挟むのは不自然だ。

「そうだ。葵依ちゃんって、西行寺さんと同じ寮部屋なんだよね?」

 どう助け舟を出そうか考えていると、姫華を取り巻いているひとりが話題を振ってきてくれた。

「西行寺さんは部屋でどんな服を着ているの? やっぱりお嬢様みたいな格好を?」

「いえ、だからわたしはお嬢様じゃあ――」

「またまたぁ。隠さなくたっていいのに」

 姫華が困り顔で否定するも、クラスメイト達はきゃあきゃあと騒ぎ立てている。

 姫華がお嬢様?

 葵依はどういうことかと訊ねる。

「だって『西行寺姫華』って名前だよ。これがお嬢様じゃないわけなくない?」

「ああ、そういうこと」

 思えば昨日、自分も同じような感想を抱いた。

 名前で苦労するって、やっぱりあるのだなと考える。

「別に普通の格好だよ。ていうか、もし姫華が本物のお嬢様なら、わざわざこの学校へは転入してこないんじゃない?」

「あー。それもそうかー……」

 その場の一同が納得の声を重ねた。

 そしてきゃっきゃっと口々に笑いあう。

 葵依の通う学園は、決して学力レベルが低いわけではない。

 だがいわゆる富裕層の人間達が好んで通うような場所ではなかった。

 そういう人間たちは、もっとしかるべき場所を適切に選ぶ。

「それと姫華は昨日遅くまで準備をしていたから、ちょっと疲れているかも。あまり質問攻めにしないであげてね」

「あ、そうなんだ。ごめんね西行寺さん。また後でお話しにきてもいい?」

「ええ。気を遣わせてしまって、こちらこそごめんなさい」

 またね、と言って姫華を取り囲んでいたクラスメイト達は、散り散りに自分達の席へと戻っていく。

 姫華の長いため息が聞こえた。

「ありがとう、葵依。……ああいう風に囲まれると緊張するわ」

 姫華が葵依に耳打ちする。

「しばらくは続くだろうけど頑張って。ところで姫華。昨日まで一番後ろの列は、私の席しかなかったはずなのだけれど? あんた魔法で変なことしてないでしょうね?」

「するわけないでしょ。これは今朝、先生が用意してくれたのよ。転入してきたのに席がないなんて、おかしいと思わない?」

「思うけど、なんとなく聞いてみた」

「どういうことよ……。葵依こそ大丈夫? あなただけ寮でひとり暮らしだったり、教室では隣りに席がなかったり。みんなに意地悪されているの?」

「そんなことする子、うちの学園にはいないよ」

 心配そうな顔をする姫華に、葵依は鞄の中のノートや教科書を机にしまいながら答える。

「あ、そういうのテレビの記者会見で観たことあるわ。校長先生がニヤニヤしながら『うちの学校にいじめの事実はありません』と言うやつでしょ? ……え? やっぱりあなた、仲間はずれにされているの?」

「あんな不謹慎なのと一緒にしないで。この学園は本当に創立以来一度もいじめがないんだから。それは私たちの誇りでもあるの」

「それは事実なの? 先生方の作り話ではなくて?」

「先生から聞いた話じゃないよ。先輩たちに教えてもらったんだ。それとね、それを裏付ける事実がひとつあるの。生活指導の春日塔子先生の存在よ」

「う……。もしかして怖い先生がいるの?」

 あからさまに怯える姫華に、葵依は顔の前でパタパタと手を振って見せる。

「ぜんぜん怖くない。背の低い可愛らしいおばちゃんの先生。通称はトーコ先生。なんかあるとすぐに泣いちゃうから、みんなは先生を泣かさないように日々気をつけているの」

「なんだか、だらしない先生みたいに聞こえるわ。その先生がさっきの話とどう絡むの?」

「トーコ先生は生活指導を担当しているから、やんちゃな子とか、いじめをしそうな子とかを生活指導室で面談するのだけれど……その面談を受けた子は、必ず泣きながら生活指導室を出てくるらしいのよ。もちろん、その際にはトーコ先生も泣いているわ」

「『もちろん』の意味がよくわからないのだけれど……。つまり二人きりになるとトーコ先生は怖い先生になるってこと?」

「違う違う。なんかトーコ先生の昔話を聞かされるらしいんだけど、それを聞いた子たちはみんな改心して、学校が模範とする生徒になるという」

「……やっぱり怖い先生みたいに聞こえるのは気のせい? それで、昔話っていうのはどんな話?」

「それはトーコ先生とその子たちとの秘密だから、当事者以外は知らないのよ。でもほら見て」

 葵依は教卓の前に座っている少女を指差した。

 黒髪を左右で三つ編みにした、眼鏡をかけた真面目そうな生徒。

「あの子、野村夕実ちゃんって言うのだけれど、入学時は金髪で厚塗りのお化粧をしていたんだ。けど、トーコ先生との面談以降はあの姿に……」

「え? う、嘘でしょ?」

「本当。だから私たちは生活指導室に呼ばれるようなことだけはしないように、そこだけには細心の注意を払って学園生活を送っているのです」

「わ、わたし大丈夫かしら? 生活指導室に呼ばれない?」

「どうだろう? 姫華は落ちこぼれ魔法使いだからなぁ。ちなみにトーコ先生は、いま在籍しているどの先生よりも昔からこの学園にいるんだって。いつからいるのか誰も知らないうえに、どうしてか他校への異動もない。なにか学園関係者の弱みを握っているって噂も――」

「結局怖い先生じゃないの……。それとわたしは落ちこぼれではないわ」

 そう言いながら姫華は思い出す。

 今朝、教室まで一緒に机と椅子を運んだ女教師を。

「……あれ? 背の低いおばちゃんの先生って――」

 ホームルームの開始を告げるチャイムが、教室内に響き渡る。

「みなさん、おはようございます」

 チャイムと同時に黒板側のドアが開いた。

 にこにこと笑顔を浮かべながら入ってきたのは、背の低い中年の女教師。

 黒髪を首の後ろでひとつに纏め、白シャツに水色のカーディガンと黒色のタイトスカートを身につけている。

 全体的に野暮ったい雰囲気を醸しだしていた。

 おはよー、先生おはよー、と教室のいたるところから声が上がる。

 もしかして、と問う姫華の頬を一筋の汗が伝う。

「担任って、そのトーコ先生なの?」

「担任って、そのトーコ先生なの」

 姫華の口調を真似しつつ、葵依が深く頷いた。

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