第7話 第一章4
「それで、私たちはなにをすれば?」
「簡単よ。吉田さんが自宅へ戻る前に、わたしたちが彼女に会えばいいだけ」
「――? それだけ?」
「ええ。着いてきて」
そう言うと、姫華は公園の出入口へと歩き始めた。
「ちょちょ、待ってよ」
葵依が慌ててその後を追う。
公園を出ると、ふたりは街灯に照らされた夜道を並んで歩く。道路を挟んだ反対側にはシャッターの降ろされた商店が並んでいる。駅の近くなのかもしれないな、と葵依はぼんやり考えていた。
すぐに派出所が見えてくる。警官がひとり、入口の前に立っていた。
姫華は特に速度を緩めることなく歩いている。葵依はその肩を掴んで引き止めた。
「あんたなにしてるの? このまま交番の前を通るつもり?」
「? そうだけど」
「いやいや、私ら半袖セーラーじゃん。ここっていま十一月なんでしょ? お巡りさんびっくりして声かけてくるんじゃない? 私はさっきから歯がカチカチ鳴ってるんだけど、あんたは寒くないわけ?」
「………………寒いわ」
姫華がすっと目を逸らす。
「なにその間? あ! もしかしてあんた、自分だけ魔法で暖かくしてるんじゃないでしょうね?」
「わ、わたしは寒いのが苦手なのよ」
「私だって苦手だよ! ていうか、十一月に半袖って、苦手とか関係なくない?」
「魔法を使ったら、あなたが怖がると思ったの」
「寒いよりましだっての! 私も暖かくして!」
「わ、わかったわ。これでどう?」
どう? と姫華が言うのと同時に寒さが和らいでいく。
「あ、すごい。暖かくなってきた。暖房の効いてる部屋にいるみたい。便利だねぇ」
「そ、そうでしょう? すごいでしょう? 魔法を好きになった?」
嬉しそうに姫華が訊ねる。
「いや。好きとかそういうのは別に」
「あ……ああ、そうなの……」
それで、と葵依が言う。
「交番どうする? この格好で前を通るのはまずいんじゃない?」
「そうね。『転移』を使うわ」
「てんい?」
「ええ。『瞬間移動』と言えばわかりやすいかしら。わたしの目が届く場所へなら、一瞬で移動ができるの。急に消えたり現れたりするから、人目のあるところでは使えないけれど、これだけ暗ければ大丈夫」
「……はあ、そうですか。いいよ。やって。私もう、驚いたりしないから」
魔法ってなんでもありなの? と考えている葵依の腕に姫華が触れる。
――景色が変わった。
葵依に認識できたのはそれだけだった。
目の前にあったのは、シャッターの下りた薬局。それがシャッターの下りた洋菓子店に変わった。
「……マジで?」
前方にあった派出所の光が見当たらない。葵依が振り返ると、それはふたりの後方八十メートルほどの場所にあった。
いやあ、と葵依が頬を掻く。
「もう驚かないって思ったけど、私ってば簡単に驚くんだなぁ。――だいたい瞬間移動って、カテゴリー的には超能力じゃない? 魔法じゃなくない? 魔法使いならホウキにまたがって飛びなよ」
「なにをブツブツ言っているの? 大丈夫?」
姫華が心配そうに葵依の顔を覗き込んだ。
「大丈夫。なんでもない」
「そう? では、ここですこし待っていて。吉田さんがこちらへ向かってくるわ」
姫華は葵依を置いて、スタスタと公園沿いに歩道を歩いていく。
「え? 私は行かなくていいの?」
葵依の問いに、姫華は片手を挙げる。
「ええ。そこで見ていて」
姫華の正面から、ひとりの少女が小走りでやってくる。おそらくあれが三年前の吉田茜なのだろう。葵依は言われたとおりにただ見ていた。
街路灯の下で、姫華に声をかけられた少女が驚いた顔で足を止める。お気の毒にと葵依は思う。こんな寒い季節の夜に、見知らぬ半袖の女に声をかけられるなんて、それはもう事案に相違ない。
その少女は葵依に気づいていないようだった。目の前にいる不審者こと西行寺姫華の存在で、周囲に気を配る余裕がないのだろう。
葵依は少女の顔を見る。葵依の知る吉田の顔よりも当然ながら幼いが、確かに良く似ていた。もし姉妹だと言われたら、なにも疑わずに信じただろう。
「あ、そうだ」
葵依はあることをふと思い出し、姫華と少女にそっと近づく。
そして「あった」と呟いた。
少女の右目尻の下に、泣きボクロがある。それは確かに、吉田茜にもあったものだ。
葵依は思う。
あの少女は本当に、三年前の吉田茜なのかもしれない。
もしそうならば、自分は実際に過去の世界へ来ている、ということになるのだ。
「実感がわかないなー」
葵依はそう声に出し、姫華と少女の成り行きを見守る。
最初は明らかに警戒していた少女だったが、その表情は驚きへと変わり、最後は笑顔となった。そして何度も頭を下げてから、少女は来た道を戻って行く。
「終わったわよ。葵依」
姫華はくるりと振り返り、葵依へと平らな胸を張ってみせる。
「は? 終わった? なにが?」
パチパチと瞬きをする葵依。姫華は得意げに長い黒髪をかき上げた。
「ここでやるべきことのすべてが、よ。過去はすでに変わったわ」
「あんた、あの子に魔法でなにかしたの?」
「いいえ。『ハナコは急用で帰った』と言っただけよ。わたしがハナコちゃんの姉だと名乗ったら、すぐに信じたわ」
「……え? 嘘だよねそれ? なにしてんのあんた?」
葵依が露骨に引いた顔をする。
「う、嘘じゃないわ。ハナコちゃんが急用で来られなくなったのは本当だもの」
「え? あ? そうなの? いや、だったら最初にそれは教えておいてよ」
「そ、そうね。ごめんなさい。――では、帰りましょう」
「もう? ハナコちゃんへのフォローは?」
「必要ないわ。わたしたちは吉田さんを救いにきたの。過去の世界では、なるべく他の人たちとは関わらないほうがいいのよ」
「えぇー。……すっごくモヤモヤするんだけど。私なにもしてないし。こんなんじゃ、パートナーとか必要なくない?」
「それはわたしも、そう思うけど――」
「あんたも思ってるのかよ……」
いやいや、と葵依が首を振る。
「待って。待ってよ姫華。普通はこう――導入部でバシッとこっちの興味を引くようなことしなくちゃダメじゃない? 普通はさ? 普通、最初がこんなんじゃ、みんなここでやめちゃわない? 普通は」
「ふ、普通普通と連呼しないでちょうだい。まるでわたしに常識がないみたいじゃない」
「非常識のカタマリだろうがあんたは。なによ魔法使いって。どのへんに常識があるのか言ってごらんよ?」
「そ、そんなこと言われても、わたしには普通なのよ……」
姫華が瞳を潤ませる。
「その顔ずるいからやめて。私が悪いことしているみたいな気分になっちゃう。……ねぇ。『別世界の過去』とやらに来たのに、手応えみたいなものがまるでないんだけど、ずっとこんな感じなの?」
「そ、そんなにつまらなかった? 最初はこんなもの――え? な、なにこれ?」
姫華は弾かれたように背筋を伸ばすと、吉田が去っていった方向へ視線を向ける。
「ど、どうしたの?」
姫華のただならぬ様子に、葵依もその視線を追った。
「吉田さんが引き返してくるわ。『変わったはずの過去が戻って』いるの」
「過去が変わる前に戻っているってこと? なんで?」
「わからないわ。こんなことは初めてよ」
姫華が親指の爪を噛んだ。
そして、もしかして、と呟く。
「『敵』が現れたのかもしれないわ」
「て、敵? なに? 悪い人が来たってこと?」
葵依が怯えた顔で姫華の両肩を掴む。
「そ、そうではないわ。『敵』というのは便宜上の呼称であって、実体はないのよ」
「よ、よくわかんないけど、どうすればいい?」
「結末を変えればいいはずよ。吉田さんが『派出所の手前で引き返す』という結末を」
「それだけ?」
「え、ええ」
「わかった。姫華はここにいて」
「葵依? あなたなにを――」
姫華が言い終える前に、葵依は走り出す。向かうのは、吉田が去っていった先だ。
自分はなにをやっているのだろう? そんな考えが過ぎるも、葵依は走る。
すぐに引き返してきた吉田少女とかち合った。
「ちょっとあなた! なにをしているの!?」
強い口調で、葵依は吉田に問う。足を止めた少女はぽかんと口を開けて、棒立ちのまま葵依を見上げていた。
「ハナコは公園に来ないと言ったでしょう? 暗いのだから、早く帰りなさい!」
「は、ハナコ? だ、誰のことですか?」
少女は胸の前で両手を組んで、カタカタと震えている。
しまった、と葵依は奥歯を噛んだ。
『ハナコ』と言うのは姫華が勝手に名付けた仮称だったと思い出す。そして不必要に吉田を怖がらせていることも心苦しい。
だが、いまさら後には引けない。
「ハナコってのは――アレよアレ。私が妹につけたあだ名。あの子は用事があって公園には来ないって、もうひとりの姉から訊いてるでしょ?」
「さ、さっきのお姉さんのことですか? お、お姉さんは、さっきのお姉さんと姉妹なんですか?」
「そうよ。似てないでしょ。よく言われる。ほら、早く帰りなさい」
葵依は少女の身体を回れ右させると、その背中を押した。
「けどやっぱり私、直接会いたくて」
「会ってどうするの? 本当のことを話して、妹のことを傷つけるつもり?」
「……え?」
吉田の身体が硬直する。
葵依が少女の耳元へ唇を寄せた。
「――私、知ってるんだよ。あんたたちが妹になにをしようとしたか。私のハラワタ、煮えくり返ってるんだからね」
「――――!?」
「このまま大人しく帰るのなら、なにもしないし、妹にも黙っていてあげる。けれど、もしもそれが出来ないって言うのなら捻って――」
「ご、ごめんなさーい!」
吉田はそう叫びながら、脇目も振らず一目散に逃げ帰っていく。
その後姿を見送りながら、葵依は安堵の息を吐いた。
「……結局、すごい怖がらせちゃった」
「あ、葵依。あなた、なにをしたの?」
ハァハァと息を切らせながら、追いついてきた姫華が訊ねる。
「なにって、追い返しただけだけど……」
「また過去が変わったわ。これで彼女は救われるはずよ」
「ほ、本当に? そ、そうだ敵はどこに?」
葵依が慌てて周囲を警戒する。
「大丈夫よ。さっきも言ったでしょう。敵に実体はないの。あなたに危害を加えることもないわ」
「そ、そうなんだ。というか、敵ってなに?」
「それは帰ってから説明する」
「でもいま帰ったら、また過去が変わっちゃうかもしれないんじゃない? もう少しいた方がいいんじゃない?」
「その心配はないの。だって過去を変えたのはわたしではなく、あなただから」
「んん? なにか違うの」
「大違いよ。安心して。これ以上は吉田さんの過去は変わらない。敵はあなたのしたことに手出しできないから」
姫華はすぅはぁと深呼吸をした。
「さあ、帰りましょう葵依。わたし疲れたわ」
「疲れた? 中学生女子に嘘ついただけで? あんたの体力ゲージって、どんだけ短いのよ?」
呆れ顔で葵依が訊ねる。
「……言葉は選んでちょうだい。わたしはとても打たれ弱くて、心が傷つきやすいのよ」
姫華は涙ぐんでいる。
体力だけじゃなくて、精神力もゴミカスかよ、と葵依は思うが口にはしない。他人の嫌がることはなるべくしないというのが、彼女のモットーだった。
そういえば、と葵依が訊ねる。
「ハナコちゃんは、どうして吉田さんたちから仲間はずれにされていたの? 理由とかあるなら知りたいんだけど」
「……彼女はすこしだけ、人より容姿が優れていたのよ」
言いづらそうに、姫華が口を開く。
「だからクラスの男の子たちから人気があって、吉田さんたち四人はその男の子たちを目当てにハナコちゃんへ近づいたの。でも男の子たちの目的はハナコちゃんだから結局うまくいかなくて。それを彼女のせいにしたかったのだと思う」
「なにその身勝手な理由。本当に中学生? 私のまわりには、そんなことする子いなかったよ」
葵依は腹立たしげに腰へと手を当てた。
「それはあなたが恵まれていたか、気づかなかったかのどちらかなのかもしれないわ」
「そうかなぁ? でも友達になるのにわざわざ公園に集まるって、変な話だよね」
ずっと疑問だったことを、葵依は口にした。
「変? どこが変なの?」
不思議そうに姫華が訊ねる。
「変でしょ? どうして夜の公園に集まるのさ?」
「月が出ていないといけないからでしょ?」
「月? なんの話?」
今度は葵依が不思議そうに訊ねる。
「儀式の話よ」
「儀式?」
姫華の言わんとしていることが、葵依にはまるで見えてこない。
姫華は姫華で、葵依の話がよくわからないようだ。
「地域によって、すこしやり方が違うのかしら?」
ぶつぶつとひとり言を喋る姫華。
まあいいや、と葵依は考える。
なんだかよくわからないけれど、きっと魔法使い特有のなにかだろう。
深く関わらないでおこう、と。
そうと決めたからには、まず。
「――帰ろう、姫華。私、あんたに訊かなくちゃいけないこと、たくさんあるみたいだから」
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