第4話 ラムネ瓶から見えた世界

 また次の朝。4時に鳴った目覚ましを止めて、着替えて顔を洗い、抜け道を通って駄菓子屋に向かう。まだ日が出てない涼しいこの時間帯は、空が薄青く、車のエンジン音や作業する音なのど生活音がしない。人の気配もなくて、ただただ昨日と同じように虫の音だけが聞こえる。


「一夏くーん、おはよう!」


 俺に気づいた青年がこちらに手を振る。駄菓子屋の前まで走って来ると、2人で長椅子に座り、駄菓子屋の婆ちゃんが見計らったように片手にラムネ瓶を持って出てきた。それを受け取り、栓でガラス玉を落とす。今日は顔に掛からなかった。


「一夏君、今日はちょっと酷な話をしてもいいかい?」


「え?」


 ラムネを飲むのをやめ、青年に顔を向ける。青年は遠い日を思い出すようにそっと目を閉じて話始めた。


「8年前、ここからちょっと離れたところの道路で交通事故があったんだ。田舎だったからかな、そこの道路はよく信号無視が多いところだったんだ」


 俺の脳内で雑音に似た何かが青年の話を妨害しようとしてくる。


「ちょうど、5歳くらいの少年と手を繋いでいた男がその道路を渡ろうとした時だった。赤信号はずなのに、車はそれを無視して突っ込んだ」


 頭が痛い。ガンガンと打ち付けるような痛みが、徐々に大きくなっていく。


「男は少年を護ることを精一杯で、………そのまま男は頭を強く打って亡くなってしまった。少年は大怪我を負ったけど、なんとか命を繋いだ。けれど」


『にいちゃ…ん、なつ、にいちゃんッ…!』


 真っ赤な世界。動かなくなった兄と呼ぶ青年を、何度も呼んだ。あの白いシャツは、頭や体のあちこちからにじみ出た血で赤く汚れた。


「少年は、目の前で男が死んだ瞬間を見てしまったが故にショックで記憶を失った。家族も、とても悲しんでいた。けど、また思い出すよりはいいと言うことで、その男についての事は喋らないことにした。部屋も片付け、その男について関することは残さず隠した」


 手に収まりきれなかったものが手から落ちるように、まるで封じられていた記憶が解かれたように流れ出る。


「亡くなった男も、それでよかった。その方が、まだ幼い少年の為になるって思っていたから。5歳ぐらいの少年には、酷な現実だから」


 青年は、目を開けて俺の方を見た。


「……思い出したかい?そろそろ、話してもいいかなって。こんな時じゃないと、皆真実を話さないからさ。君はもう、そこまで子供じゃないのにね」


 優しく微笑む青年に、俺はその名前を言った。


「…兄、さん……。夏一(かいち)兄さん……ッ」


 涙が止まらなかった。拭っても拭っても、止まる気配がない。


「はは、君は昔から泣き虫だけど、今でもそうらしいね。昔みたいに拭ってやりたいけど、僕の手は生き物には触れられないみたいで……。ちょっと残念だよね」


 家族は教えてくれなかったわけじゃなかった。あの日の事を思い出さないように、遠ざけてくれていたんだ。夏織兄さんも、そうだったんだ。


「一夏君、ラムネ瓶から見える世界はとても青いよね。ずっと、ずっと、青いまま。モノが変わらないなら、それは当たり前だけど、変わってしまったら見える世界も変わってしまう。君と言う存在や夏織君という存在が根本から変わらなければ、僕は僕のまま。君たちの兄でいられる」


 夏一兄さんは立ち上がり、僕の方に体を向けた。


「また明日、今度は夕方の6時ぐらいにここで。家族にはなんとか誤魔化して」


 スッ、兄さんの輪郭がぼやけて消えた。


 俺は残ったラムネを飲み干した。その時、ラムネ瓶を通して見えた世界は、ぐにゃりと歪んでいたけど、とても青くてきれいだった。 


 家に帰ると、昨日と同じように母さんと婆ちゃんが朝食の準備をしていた。夏織兄さんの姿はない。


 ふと、仏壇に置いたラムネ瓶が目に映った。


 ラムネは半分だけになっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る