第3話 夏を織り込んだ鍵付きの宝箱

 朝食を摂ってから、暇な時間を潰すために自分の部屋に向かった。兄さんは仏壇前で言った一言以来、何も話さなかった。自分の食器を片付けて、一人外へ出かけてしまった。


 二階建ての別館に来ると、何故だか懐かしい匂いが漂っていた。そうだ、線香の匂いだ。匂いの根源を匂いを辿りながら追うと、そこは俺の部屋、兄さんの部屋と続いて3番目の部屋から匂いが強くなった。


 3番目の部屋は空き部屋だ。でも、朝はこんな匂いはしなかった。おそるおそる襖を引くと、普段と変わらぬ空き部屋だった。低い机にぎっしりと本の詰まった本棚。誰かが昔に使っていたらしいが、今となってはただあるだけの空き部屋。物置にすら使ってもらえない、意味のない部屋。


 匂いの根源は、どうやらその部屋の押し入れからだった。開けてみると、中は使われなくなった布団と座布団、その奥に隠すように置かれた夏のようなさわやかな水色の蓋つきの箱。取り出してよく見てみると、鍵がかかっていてるようで、その鍵穴は不思議な形をしていた。


 あの線香のような匂いはいつの間にか消えていて、結局何故あの匂いがしたのかもわからないままとなってしまった。


「なにが入ってんだろう」


 箱を左右に揺すると、中でゴトゴトと沢山の何かが鳴った。多分、丸い形の何かだろう。確か、青年がガラス玉集めてるとか言ってたな。いや、まさか。あの青年が言ってた宝箱がこれなわけない。だって、俺からしたら青年は知らない人だ。そう、知らない人のはずだ。………でも、じゃあなんであの青年が言ってたやつと似てるものがここにあるんだろう。


『こら、また弄って。呑み込んだらあぶないだろ?』


 脳裏で流れた誰かの言葉。それと同時に俺の目の前で、小さい男の子とあの青年の姿が目に映った。


『なつにいちゃんのほしい!ちょーだい?』


 青年に両手を伸ばす男の子。青年は首を振り、手に持つガラス玉を鍵のかかっていたはずの箱に入れた。


『駄目だよ。その代わり、あとで夏織君と一緒にラムネ飲もう。駄菓子屋まで行って、僕が買ってあげる』


『ほんと!じゃあ、はやくいこう!』


 箱をしまう青年の手を男の子が引っ張る。


『はいはい。その前に夏織君を捜そう?きっと、家のどこかにいると思うから』


『うん!』


 2人が部屋を出たところで、ハッと現実に戻る。多分、俺と青年のはずだ。だって、夏織って名前が出た。でも、青年の身長は会ったとき変わってない。あれ?あの男の子は青年を「なつにいちゃん」と呼んでいた。いや、親戚の人かもしれない。けど、あんな人親戚にはいなかったはず。あれ、あれ、あれ?あの身長で、兄さんの知り合いってどうゆうことだ?明らかに兄さんより年上だ。


 何かを思い出そうと、無理に頭を働かせる。なのに、ごっそりと過去の記憶がない。


 もう一度思い出そうとした瞬間、母さんの悲鳴にも似た声が家中に響いた。箱を押し入れに戻し、声のした本館まで向かう。


 声のした場所、そこは表庭の縁側だった。縁側には、体中血だらけの兄さんが腰をおろしていた。その近くで、母さんは驚いたように口元を隠し、声を聴いて駆けつけてきた婆ちゃんや爺ちゃんが、続いて声を上げた。


「兄さん、また喧嘩してきたのか?」


 喧嘩にしては、あまりにも酷い。腕や足、顔に沢山の切り傷があり、ところどころ腫れている。母さんが理由を聞こうとしたとき、玄関から「すみませーん」と声が聞こえた。婆ちゃんが向かうと、ちょっとしてからその声の本人と婆ちゃんがこっちに戻ってきた。まだ若いおばさんだった。


 おばさんは兄さんを見るや否、何度も頭を下げた。理由を聞くと、墓地の管理者であるおばさんは、墓を荒らしに来た人たちに注意する勇気が出ずにいたらしく、そこをちょうど墓参りに来ていた兄さんが懲らしめたと言う。その際に体の至るとこを刃物やら鉄パイプやらでやられ、今にいたると。


「しかもですね、そこのお兄さん、墓地からその人たちを遠ざけて懲らしめてくれたんです。墓地を守ってくれただけじゃなく、そんな配慮までしてくれたんです。本当に、本当にありがとうございます」


 兄さんは強い。複数人を一人で相手して、勝ってしまう。でも、なんで墓参りなんかに行ったんだろう。


「これ、受ってください。お兄さんの怪我を治すために、これだけじゃ足りないぐらいですけど、それでもどうか」


 そう言って、おばさんは茶色い封筒を母さんに手渡した。


「いらない。俺の個人的なやつでアイツ等をやっただけだ」


「でも、そんな怪我してまで……」


「そのうち治る」


 おばさんの感謝を受け取ることなく、兄さんは冷たくそう言った。母さんと婆ちゃんはおばさんを客間に促し、爺ちゃんは兄さんの為に救急箱を取りに戻った。


「なぁ、兄さん」


 兄さんは何も喋らない。


「菅田家にさ、もう一人兄さんって居たのかな」


 兄さんの隣に座り、庭にある池をぼーっと眺める。


「なんか、覚えてないんだよ。俺が小さかった頃の記憶が、ごっそり無くてさ。空き部屋に行ったら、鍵の付いた箱見つけたし、なんか昔の事ちらって見えた気がするんだけど、いまいちピンと来なくて。兄さん、なんか知ってたりする?」


 兄さんは前を向いたまま、後ろの居間にある仏壇を親指で指さした。


「仏壇に置かれてる写真、誰だかわかるか?」


 仏壇に置かれた写真に、じっと目を凝らす。青年に似た人が写っているだけで、名前まではわからない。


「写真に写ってるやつと、俺たちは一緒に過ごしたことがある。でも、それも過去の話だ。お前は、覚えていないままでいい」


 寂しさの籠ったその言葉に、俺は戸惑った。あぁ、きっとあの青年は俺たちと何らかの関係があるんだ。兄さんの知り合いとかって言ってたけど、きっと違う。


 兄さんにもっと詳しい話を聞こうと口を開いた時、爺ちゃんが救急箱を手にもってやってきた。


「一夏、お前さんは自分の部屋に行ってなさい。宿題、終わってないだろ」


「えー、あー、うん」


 爺ちゃんに言われ、諦めて自分の部屋に戻ろうと立ち上がった。


「あれ?」


 仏壇の方を見たとき気づいた。ラムネの量が4分の3になってる。

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