第2話 ラムネ好きの青年

 翌日、なんとか目覚ましで4時に起きることが出来た俺は、着替えて顔を洗い、そっと靴を下駄箱から取り出して、裏庭から家を出た。たまに家を抜け出すときに使っている抜け道だ。まだ家族は眠っている。相変わらず、父さんと爺ちゃんのいびきはうるさい。


 虫の音しか聞こえない朝から走って駄菓子屋に向かうと、駄菓子屋の婆ちゃんと昨日の青年が話をしていた。俺に気づくと、青年は長椅子に座り手招きした。


「いやぁ、朝早くごめんね。あ、お婆さん、いつものください」


 婆ちゃんはにこにこと頷きながら店の中に入り、両手に1本ずつラムネ瓶を持って戻ってきた。それを青年は受け取ると、1本を俺に差し出した。


「どうぞ、僕のおごり」


「あ、ありがとう」


 ラムネ瓶を受け取り、青年の隣に座る。蓋にもなっている栓ではまっているガラス玉を落とすと、勢いよく炭酸が噴出し顔に掛かる。


「はっはっはっ、びしょびしょだね。ラムネはちょっとコツがあるんだよ」


 笑う青年に対し、見ていた婆ちゃんは店からタオルを持ってきて「これで拭きなさい」と俺に手渡した。ラムネ瓶を横に置き、顔をタオルで拭う。


「確か、夏織君もラムネ飲むとき顔に掛かっちゃってたなぁ。兄弟だね」


「かるちゃんもなっちゃんの隣でそうなってたねぇ。何年前のことだっけ?」


 昨日と同じように丸椅子を持ってきて、婆ちゃんは座った。


「ずいぶん前ですよ。8年くらい前かな?彼がまだ一夏くんより少し下ぐらいの頃。飲もうとする度に顔に掛けちゃって。僕がその度に持参してたタオルで拭いてやってたんですよ。可愛かったなぁ、よく『自分でやる』って抗ってた」


 夏織兄さんが、可愛かった?8年前ってことは、俺が5歳の頃だ。今、兄さんは18歳だから8年前は10歳。この人、兄さんよりも年上なのか?じゃなきゃ、タオルで拭いてやるなんて行為、同年代ならやらないだろ。世話好きなら話は別だけど。


「あの、なっちゃんは何歳なんだ?」


「いくつに見える?」


 わ、よくテレビとかで聞くやつだ。いくつ……18じゃないのか?


「18……ぐらい?」


 俺がおそるおそる訊くと、青年は「正解!」と俺に拍手を送った。


「ははっ、僕は永遠の18歳さ!大学に入学したてって感じ」


 じゃあ、やっぱり夏織兄さんと同い年だ。………同い年なのに、兄さんの事を可愛いと言うのか。


「夏織君、確かに雰囲気変わったね。眼鏡なんて付けてて、かっこよくなったよ。それで番長だろう?インテリって感じだね。無駄な喧嘩はしないんじゃないかな?」


「うん。弱そうなやつとかには、睨むだけで降参させる。友達とかが世話になったら、お返しをしに行く程度。でも、いつ見たんだ?」


 そういえば、昨日と同じ姿のままだ。洗濯したのかな。それとも同じ服を何着も持ってる感じか?におわないからいいけど。それよりも、どこか…嗅いだことのある匂いだな……。線香…?


「君が彼からゲンコツもらった時。こっそり見てたのさ」


「え、マジかよ」


 借りたタオルを婆ちゃんに返す。そして、飲めずにいたラムネ瓶を手に取り、くぼみにガラス玉を引っかけて飲もうとする。しかし、ガラス玉がくぼみを越えて飲み口を塞いでしまう。何度か挑戦するが、ガラス玉は同じように飲み口を塞ぐ。


「傾け過ぎだよ。もう少し、角度を下げてごらん」


 言われた通り角度を下げてガラス玉をくぼみに引っかけると、ガラス玉はくぼみを越えることなく中の炭酸飲料水を飲むことが出来た。


「ほらね、飲めただろう?」


 ごくごくと飲みながら、こくんと頷く。さわやかな刺激の炭酸と、ほのかな甘さが喉を潤す。


「僕さ、中にあるガラス玉が欲しくて、よく飲み終わったあと瓶を割ってたんだよね。それで、とれたガラス玉を僕の宝箱にしまってたんだ。結構集まってると思う。他にも、僕にとって大切なものをあの中にしまってた。今はどうかわからないけど、宝箱にはカギを掛けてた。隠してるのに、見つけられて失くされそうになったことが多くあったから。今もあるなら、本当に宝箱だよね」


 ずいぶん昔のことを話すように、青年は続ける。


「宝箱、誰か開けようとか考えてるのかな。まぁ、今となればごみの入った箱って感じなんだろうけど。あー、あの南京錠特殊なんだよなぁ。鍵見つけてくれるかなぁ。どうせならヒントとか書き残しておけばよかったなぁ」


 空は徐々に薄青い世界を明るく染めた。


「もう、皆が起きる時間だね。一夏君、また明日も同じ時間で来てもらってもいいかな?」


 こっちに向く青年に「別にいいよ」と返す。


「あ、このラムネさ、君の家の仏壇に置いておいてくれるかい?」


 青年からまだ口もつけてないラムネ瓶を渡される。


「え、なんで?」


 ラムネ瓶から顔を上げると、すでに青年の姿はなかった。昨日と同じパターンだ。こんな早くに人って移動できるものなのだろうか。


「いちちゃん、なっちゃんの言うように、それを仏壇に供えてあげなさい」


 婆ちゃんも、うっすらと笑みを浮かべて店の中に入っていった。


「えー、まぁいいや。叱られたら、アイツのせいにしよう」


 俺は自分の飲んだラムネ瓶をすぐそばに瓶捨ての箱に入れて、もう一つのラムネ瓶を持って家に帰った。


 家では母さんと婆ちゃんが台所で朝食の準備をしていた。玄関で靴を脱ぎ、下駄箱にしまってから仏壇のある居間に向かった。


 居間には、黒シャツに黒のジーパンをはいた夏織兄さんが、じっと仏壇をの写真を見つめていた。


「一夏、どこに行ってた?」


 少し怒ってるようにも聞こえる兄さんに「駄菓子屋行ってた」と答え、仏壇に青年から渡されたラムネ瓶を置く。


「誰の仏壇か、わかってて置いてるのか?」


 睨むように兄さんが俺を見る。


「駄菓子屋で会った、兄さんと同じぐらいの人に置けって言われたんだよ。あ、兄さん。白い七分袖のシャツに、黄土色の長ズボンはいた人知ってる?『なっちゃん』って言うらしいんだけど」


 兄さんに訊くと、驚いたような顔して「まさか」と小さく呟いた。

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