第3話 事件勃発

 何で鹿田さんがシカと話せるのか? それは実は本人にもわからないという。小さい頃に動物園に遊びに行って、そこで飼われているシカの声を「心で聞いた」のが能力を自覚した瞬間だそうだ。


 シカの声が聞こえるからといって特に得したり、困ったことは別に無いと鹿田さんは言う。ただしシカの発情期にあたる秋は例外で、この季節になるとあちこちでオスジカがメスジカを求めて激しく鳴くのだが人間の言葉に直すととても口に出来ないもので、それを聞かされては辟易させられるのだとか。


 そんな秋もすぐに過ぎて冬も終わり、新年度の春がやって来た。


 私たちは二人揃って地元の公立校、清和高校に進んだ。これまた小さな高校で三クラスしか無かったが、清和町以外の街からも進学者がいたからクラスの顔ぶれに新鮮味がある。


 そして私と鹿田さんとは高校生活一年目にしていきなり、いや、ついにと言うべきだろう。晴れてクラスメートとなった。


「これからもよろしくね!」

「こちらこそ」


 私たちはがっちりと握手した。


 制服もセーラー服からブレザーに変わって、気分も新たにしていざ入学式、と意気込んでいたところに教師が入ってきた。見た目からして偉そうで怖そうな男の先生で私は軽く絶望したが、


「あー今から入学式だが、予め言っておくことがある。担任は俺じゃなく別の先生だ。だが担任は今朝交通事故に遭って入学式に間に合わなくなってしまったから、今日一日だけ俺が代行する」


 あらら、せっかくの日なのに。「今日一日だけ」ということは重大事故ではなさそうだから、良かった良かった。ついでにこの人か担任で無いことも知って良かった。不謹慎だけど。


「先生! どこで事故ったんですか?」


 クラスメートの一人が質問した。


「ここから西にある県道でシカとぶつかった」


 それを聞いたみんなは不謹慎にも笑いだしたが、先生は「お前ら笑うんじゃない」と、自分も半笑いになっているくせにたしなめてきた。


 山から降りてきたシカは時折、車と衝突してしまうことがある。当然シカは怪我をするし最悪の場合は死んでしまうのだが、シカは巨体だから車もただではすまない。これは清和町だけに限らない田舎特有の事故だ。私の両親も車を使うけれど、何度か道行くシカにはヒヤリとさせられたことがあったと言っている。


 シカは主に夜に行動するとはいえ、事故は朝方でも起きる時は起きてしまう。担任の先生にとっては不幸な話だ。


「お前らも車を持てばわかるが、田舎で車が使えないのは死活問題なんだぞ」


 確かにその通りだ。生活必需品は駅周りにスーパーがあるからどうにでもなる。しかしそれ以外で、例えば本。信じられないことに清和町には本屋が無い。漫画はコンビニでも買えるけれどちょっとでも売れ筋から外れた品物は置いてないし、そういう漫画をを買おうとすればやはり本屋に行かなくてはならない。しかし最寄の本屋は車で山道を越えないと行けない場所にある。だから親に車で乗せて行ってもらってその書店に行くか、もしくは通販を利用するか、お金に余裕があるのなら電車で大きな街まで行くしかなかった。


 高校生なら原付が運転できるじゃないか、と言う人もいる。あいにく校則では原付を運転できるのは遠方地から通学する生徒のみで、自転車で通える距離に実家がある私は対象外だ。そもそもプライベートでの運転は全面禁止されていて、見つかったら停学になってしまう。


「かわいそうに」


 と、鹿田さんがつぶやいた。もちろん、かわいそうにと思っている相手は担任だけでは無いのに違いなかった。


 それからさらに一ヶ月が過ぎた。


「おはよう!」

「おはよーっす」


 鹿田さんはまだ眠いのか、大きなあくびをしながら家の玄関から出てきた。


 中学校は町役場から川を挟んで北側にあったから、昨年までは鹿田さんが私の家まで迎えに来てくれた。清和高校は鹿田家と同じく町役場近くにあるから、今年度からは逆に迎えに行くことになったのである。


 お互いブレザー姿が身についてきたし、部活も一緒に料理同好会に入った。楽しい高校生活を送る地盤は完成しつつあった。


「あ、この前の土曜日さ。朝早く起きちゃったから裏の川の土手を散歩してたらシカの親子がガブガブと川の水を飲んでたんだ」

「山道の方だと朝も出没するけど、ここら辺で朝から出るって珍しくない?」

「私もそう思ってちょっと話をしてみたけど、夜の方が人間いないから里に出やすいだけで、別に自分たちは夜だけ動くわけじゃないよ、って」


 そう言えば奈良公園のシカは昼間でも元気に動き回っていたな。


「ちなみにその親子ジカ、進藤さんが去年の夏休みに遭遇したうちの一組だったよ。私と一緒の高校に行けたって言ったら喜んでた」

「シカに高校って何かわかるの?」

「勉強するところって言うのは知ってる」

「じゃあ勉強の意味は?」

「それも知ってる。シカからすれば何が楽しいのかわからないみたいだけど」


 そりゃシカの世界には読み書きや四則計算は必要ないだろうしなあ。


 高校に着いて教室に入るなり、クラスメートの国見さんが挨拶もせず「ねえ知ってる!?」と聞いてきた。この子は私たちと同じ中学校の出身だった。


「な、何を?」

「清和駅のところ、警察がいっぱい来てるの!」

「え、何があったの? もしかして殺人事件とか……?」

「いや違うよ。駅の南側のところに駐車場があるじゃん。そこに停めてあった車が全部ボコボコに潰されてたの」

「えー!? 酷ッ! 誰がこんなことを……」

「あいつじゃない? ほら、この前刑務所から出てきたばかりの」


 国見さんが犯人と決めつけた某という人間は、私はおろか町の住民のほとんどが知っている。どこそこの誰という奴は相当なワルだとか言う噂は田舎特有の口コミで広まっていて、それが一種のブラックリストとなっていた。


 都会の人間はその行為を陰湿だと嫌うだろうけれど、腹いせに隣近所の子どもを殴り飛ばして骨折させたために長い間刑務所に入っていた人間が今どこで何をしているのかといった情報を共有するぐらいは理解して欲しいと思う。


「まあ、アレならやりかねないよねー」


 鹿田さんもアレ呼ばわりして同意した。


「警察もマークしているだろうし、あとは任せるしかないよ」

「そうだね」


 私たちはうなずいた。


 ところが事態は私たちと違う方向に動いたのである。放課後、私と鹿田さんは料理同好会に顔を出したのだが、同好会でただ一人の先輩である開発かいはつさん(ウソみたいだがこういう苗字だ)が新聞を持ち込んできた。


「これ見て!」

 

 地方紙の夕刊の一面記事に、今朝の駐車場の事件のことが写真入りで載っていた。それを見た私と鹿田さんは「ええっ!?」と一緒に驚きの声を上げた。


『シカが深夜の駐車場で大暴れ』


 記事を読むと、昨日の真夜中に複数のシカがやって来て、駐車していた車に体当たりしたり踏みつけたりと好き放題やっていたのが防犯カメラに記録されていたという。中にはフロントガラスを割られて中にフンをされた悲惨な車もあったらしい。町職員が「何でこんなことをするのかわからない」とコメントしていたが、私も同じ感想だった。


 まだ某というヤツが犯人だという方がかえってスッキリする。一体何が原因でシカが暴れたのか? 考えれば考えれる程不気味だ。


「私にもわからないよ」


 鹿田さんは私の心を読んでいたかのように、そう言った。


「駐車場周辺にシカ避けをつけるみたいだけど、あいつら賢いらしいからね、いつまで騙せるか。あんた達もあまり夜は出歩かないようにね」

「はい」


 この日はクッ◯パッドに乗っていた時短クッキーを作って、三人でシカの話題をしながら食べた。


 この時は事態はさらに悪化するなんて考えもしなかった。

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