第2話 シカ出没

 シカと会話できると言い張る鹿田さん。彼女がウソをついているのではない、と知ったのは同じく中学三年の夏休みの時である。


 修学旅行がきっかけで仲良くなった私は、受験勉強のために鹿田さんと一緒に塾の夏期講習に参加することになった。塾と言っても個人経営でこじんまりしていて、生徒は私と同じ中学校の子ばかりが十人程度。進学校を目指す子は電車を使ってまで遠いところの大きな塾に通っていたが、私も鹿田さんも残念ながらそこまで成績が良くない。それでも自分の身の丈にあった高校に確実に受かるための勉強は必要だったから塾に通うことになった。


 夏期講習は六時から九時までで、基礎の確認からみっちりやってヒーヒー言いながら問題集を解きまくっていたから、三時間の授業はなかなかヘビーだった。


 だから授業が終わった後の開放感はひとしおで、私と鹿田さんは決まってコンビニに寄ってアイスクリームを買い食いし、今日の英語の問題はムズかったとか数学がちんぷんかんぷんだとか、そんなことをだべりながら帰り道についていた。


 私たちの住む清和町というのは人口一万五千人弱の小さな町だが、人口のほとんどが町役場と駅周辺に集中している。町役場からちょっと離れたら民家が疎らになり、日が沈むと出歩く人も全くと言っていいほど見かけなくなる。


 私の家はその離れのところで、鹿田さんの家は町役場近くにある。私の帰り道は町役場の裏にある川の橋であり、いつもそこで別れていた。


 夜にも関わらず、橋にある街灯には明かりが着いていない。カゲロウがたかるからという理由で消してしまっているのだ。


「じゃあねー」

「気をつけてね」


 暗闇の中を帰っていく私を、鹿田さんはいつも気づかってくれていた。


 私は安全用の反射タスキをかけ直して、自転車にまたがって漕ぎ出し橋を渡ろうとした。


「きゃああっ!!」


 自転車のライトに浮かび上がったモノを見て、私は急ブレーキをかけた。バランスを崩して転びそうになったが、どうにか堪えた。


「な、何でここに……」

「どうしたの?」


 私の悲鳴を聞きつけて駆けつけてきたのか、後ろに鹿田さんが立っていた。


「いるの、たくさん……」

「何が?」

「とりあえず見たらわかるよ!」


 パニクっていたからつい大声になってしまった。


 鹿田さんはスマートフォンのライトで前方を照らした。


 シカが四頭いた。メスジカ二頭に子ジカ二頭。親子だろうか。とにかく、シカたちが橋いっぱいに広がって寝そべっていたのだ。


 みんなこちらを見ているが、誰一頭として動こうとしない。人間と親しい奈良公園のシカとは違うから、無理やり突っ切ろうしたら襲われるかもしれない。


 清和町の夜はシカが出没する時間帯である。彼らは主に夜になると山から降りてきて、主に町の郊外、川の近くや人通りの少なくなった県道を徘徊するのである。


 しかし橋を塞いでしまうのは、いくら何でもありえなかった。


「ありゃりゃ、図々しい子たちだな。わかった、私が何とかするよ」


 鹿田さんは自転車のスタンドを立てて停車させると、頭をかきながら、シカたちの方に歩み寄った。


「ごめん。この子が渡れないからちょっと退いてくれるかな?」


 シカは微動だにしない。


「いや、『めんどくさい』じゃなくてさ。ちょっと道開けるだけじゃん。何? 『疲れてるから動きたくない』? いやこっちだって勉強で疲れてるし。は? 『あなたもここで寝たら? 気持ちいいわよ』って。いやお誘いはありがたいんだけどさ……」


 鹿田さんが一方的にしゃべっているようにしか聞こえなかった。


「ほんとごめん、ちょっとだけだから」


 鹿田さんは手を合わせた。するとどうだろう、メスジカの一頭がのっそりと立ち上がって、人間一人分通れるぐらいの道を開けてくれたのだ。


「うそ……」


 鹿田さんは本当に何とかしてしまった。


「『しょうがないわね』だって」

「本当にそんなこと言ってんの……? 私には何も聞こえないけど」

「うん。どう表現していいのかわからないけど、シカたちの言っていることは耳で聞くんじゃなくて心で感覚的に聞く、みたいな。シカの言葉が頭の中に浮かんでくるんだ。一種のテレパシーみたいなもんかな?」


 私には何がなんだか、だった。だけど事実、鹿田さんのお願いでシカは道を開けてくれた。


 もうこれは本物の能力としか言いようがない。


 鹿田さんは念のため、橋を渡るまで一緒についてきてくれた。シカの横をビビりながら通ったものの、襲いかかられることはなかった。だけど、


「キィー!」

「わあっ!」


 後ろから突然鳴かれたものだからびっくりしてしまった。その鳴き声は蝶番が油切れを起こしたドアの開け閉めの時に出る音にそっくりだった。


「ははっ、『勉強頑張ってね』だってさ」

「そ、そう?」


 果たしてシカに勉強って何のことかわかるのだろうか。


「ありがとうね」


 鹿田さんが代わりにお礼を言ったら、「キィッ」と返事した。やっぱり会話は通じているのだ。


「鹿田さん、凄いよ!」


 そう讃えるしかなかった。


「そう?」

「だって、私を二度も救ってくれたんだよ」


 ペットを飼っている人たちならば、誰しも一度は動物と会話できる能力があったらなあ、と思ったことがあるはずだ。その能力を鹿田さんは持っている。


 私はペットを飼ったことがない。だけど漫画やアニメや小説に出てくるような異能を持つキャラクターにが実際にいたらなあと思うことはある。そんな人物が現実に、しかも私の身近にいた。


 鹿田さん、凄いよ。

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