シカ娘
藤田大腸
第1話 鹿田さん
私の通う清和高校のクラスメート、鹿田さんには謎の能力がある。
そのことを知ったのは昨年まで通っていた中学校の修学旅行でのことだった。鹿田さんとは中学校も同じで、一学年三クラスしかない田舎の小さな中学校にも関わらず三年の間でついに一度も一緒になったことがなかったのだが、修学旅行の時に起きたある事件のおかげで知り合うことになった。
あの事件は今でも少しだけトラウマになっている。
修学旅行のコースは奈良から京都に向かうという王道的なものだった。一日目に立ち寄った奈良では春日大社に東大寺とこれまた王道的なスポットを巡ったのだが、歴史的建造物よりもその敷地内や周辺道路のあちこちをたむろしているシカに驚かされた。ガイドさんの話によるとシカは神の使いとされていて、そのためにこの一帯では昔からシカを大事にしてきたためだという。
私の住んでいる清和町は、周りが山だらけでそこには多数の野生のシカが生息している。夜の道端でシカを見かけたことは何度かあったが、奈良のシカみたいに身近で人間と触れ合いができる存在ではない。シカが当たり前のように闊歩しているのは清和町民の私から見ても特殊だった。
自由行動になった後、私たち生徒のほとんどは奈良公園に向かった。そこにはもっと多くのシカがいてちょっとした動物園気分を味わえる、とガイドさんに薦められたからである。行ってみたら本当におびただしい数のシカがいた。外国人観光客が物珍しそうにシカを見ているが、海外でも奈良のシカは有名だとガイドさんは言う。
屋台ではおばちゃんが鹿せんべいを百五十円で売っていたので、クラスメートの男子が試しに買ってみた。そしておばちゃんの手から男子生徒にせんべいが行き渡った瞬間、シカたちが一斉に群がりだしたのだ。
「うおー! すげーすげー!」
男子生徒はそう叫びながらもやっぱり巨体が迫ってくると怖いのか、その場から後ずさりした。するとシカもちょこちょこと追いかけていって、男子生徒が恐る恐るせんべいを差し出すとひったくるようにして口にくわえてモグモグと食べだした。それを見た別のシカたちが男子生徒を囲みだしたから、彼はたまらずせんべいを放り投げて、シカたちが漁っている隙に逃げ出したのだった。
一部始終を見ていた私はよせばいいのに、スリルを味わいたいという気持ちになってしまったのだろう。私も鹿せんべいを買ってシカと戯れてみよう、と鹿せんべいを買って与えることにしたのである。
すでにせんべいを受け取る前から、他の個体より一回り大きいオスのシカが私をマークしていた。体に比例してツノも大きく、こんなので頭突きされたらひとたまりもない。
奈良公園周辺に住むシカはとても賢く、おばちゃんが観光客にせんべいを渡すまで決して手を出さない。裏を返せばせんべいを受け取った瞬間がバトルの始まりなのだ。
「気をつけてね」
おばちゃんはそう言いながらせんべいを手渡した。それからコンマ一秒も経たなかっただろう。オスジカは首を伸ばして、私の制服の袖に食らいついてきたのである。
「きゃあああ!!」
いきなりのアタックに私はパニックになってしまった。たまらず、鹿せんべいを落としてしまったらオスジカは口で拾い上げて、せんべいを束ねている紙ごと一口でバリボリと食べてしまった。
この時逃げておけば良かったのだが、あいにく硬直して動けなくなっていた。そこにオスジカが「おかわり」を求めてかにじり寄ってくる。
「もうないよ! もうないったら!」
と言ってもシカに人間の言葉など通じるわけがない。オスジカは息を荒くしてよだれを垂らしながらじり、じりと寄ってくる。まるで変態のようだった。
そこに、私と同じ制服を着ている女の子が助けに来てくれた。彼女はオスジカに向かって、
「もうないよ」
と私と同じことを言った。するとどうだろう。なぜかオスジカは「ぶーっ」と不満げなため息を吐いて、踵を返してトコトコと向こうに歩いて行ったのである。
「大丈夫?」
「う、うん……」
「あ、よだれでべちゃべちゃになってる」
その子はティッシュを取り出して、袖を拭ってくれた。
「ありがとう、えーと、鹿田さん」
私はその子の制服の胸についているバッジに刻まれた名前を呼んで、お礼を言った。
シカに襲われて"鹿"田さんに助けられた。何だかおかしくなって私は思わずクスッと笑ってしまった。
「あ。今、シカから"鹿"田さんが助けてくれた、って思った?」
ぎくっ。
「やっぱり」
鹿田さんはニタニタと笑いだした。しょーもないギャグだなあ、と小馬鹿にしているような感じで。それが恥ずかしかったから、あまり深く突っ込まれないようにするために話をすり替えようとした。
「と、ところで鹿田さん。さっきシカに声をかけたら言うこと聞いてくれたよね。何か言うことを聞かせるコツでもあるの?」
「コツかあ。ねえ、進藤さん」
鹿田さんも私の名前バッジを見てか、私の苗字で読んできた。
「今から言うこと、笑ったりしない?」
「?」
鹿田さんは私の目を真正面から見据えてきた。それはシカのようなクリクリ眼ではなく、ガチャピンのような愛嬌のあるタレ目だった。
「私、シカと会話できるの」
「え?」
私の目はムックみたいに丸くなった。
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