「宮華さん! 部活行こう!」

 ふと顔を上げると見覚えのある顔があった。たしか、同じ文芸部の浅黄優莉さん。たぶん雰囲気的にものすごい陽キャなのだろう、ということは分かる。そういえば、同じクラスなのだったか。

 本を読んでいて全然気づかなかったが、もう教室には殆ど誰もいなかった。私は本を閉じて鞄に仕舞った。中学校の頃から使っていてもうボロボロになっている鞄だけれど、何かと使い勝手がいいからずっと使っている。

 私はスキップをしているのかと思うような軽い足取りでずんずんと進んでいく浅黄さんになんとか送れないくらいのスピードで歩く。

 文芸部室の前に到着した。浅黄さんはあまり綺麗とは言えないドアをものすごい勢いで開けて、中にいた文芸部の最後の一人の先輩を驚かせた。たぶん浅黄さんは気づいていなかったけれど、入ったときに伊福部昭の『盆踊』がかかっていた。先輩の趣味はかなりニッチらしい。私は盆踊、好きだけれど。

 それぞれ自分の定位置について、誰一人として一言も声を発さずに読んだり書いたり書いたり。この学校はかなり校則がゆるく、大体何を持ってきても授業のときに邪魔にならなければオーケーという学校なので、私はタブレットパソコンで小説を書くようにしている。浅黄さんは私はよくわからないけれど、横書きの文庫本を読んでいる。先輩は、備え付けてあるパソコンでなんだかよくわからない脚本を書いている。

 なんなんだろう、この部活。


 適当に小説を書いて、部活がもうすぐ終わろうとする時間。文芸部室の扉がおもむろに開かれる。開かれた瞬間、文芸部員三人の視線は同時に部室の出入り口に集中する。

「菫、いるか?」

 市ノ川翔伍。よくわからないけれどとうとう学校一のイケメンなんて言われ始めたらしい。まあ、確かに、顔はいいかもしれないけれど――

「お、居るなら返事……は無理だな。これ、母さんがお前にって、急げっていうから学校まで届けに来てやったぜ。じゃあな。」

 翔伍に渡されたビニール袋には、生茶が三本。とりあえず生茶を先輩が持ってきたらしい冷蔵庫に入れる。

 すると今度は浅黄さんが、

「何!? 宮華さん市ノ川くんと知り合いなの!?」

こくり。

「いったいどういう関係!? 下の名前で呼ばれてたけど!?」

ふと思った。浅黄さんの胸、ものすごい不自然に膨らんでいるな。

「教えてよ宮華さん!!!」

 なんだろう、この執念は。

「ご近所さんかなんかじゃない? お母さんがどうのって言ってたし」

 ここで助け舟をだしてくれたのは先輩だった。私は全力で頷く。

「えーっ、うらやましいなあ! 私も市ノ川くんとご近所さんになりたいよ!」

 なんなんだ、この人。

 そうして浅黄さんはちょっとした悪態をつきながら私が冷蔵庫に入れた生茶をがぶがぶと飲み始めた。たぶん三本あるということは部活でみんなで飲んでねということなのだろうから別に構わないけれど、一瞬匂いを嗅いだようなしぐさをして怖かった。


 家に帰っても相変わらず誰も居ない。電気をつけて、少し奥に進んで、手洗い場のようなところで手を洗う。古い家なので洗面所なんてものはない。強いて言うなら廊下が洗面所のようになっている。

 それから冷蔵庫の中から適当なものを出して調理して、なんとなく食事をして。

 テレビの音をBGMに小説を書いていたら、時間は二十二時を回っていた。急いでお風呂に入って、すぐに寝た。


 翌日も適当に授業を受けて、浅黄さんと部活へ向かう。途中で翔伍が他の男子とイチャイチャしているように見える場面を見た浅黄さんは、ぐへへ、と笑っていて怖かった。

 ちなみに今日は金曜日で、今日が終われば明日と明後日は家でゆっくりできる。

 そんなことを考えていたら二日連続で部室の扉が急に開かれて、

「ここに翔伍来なかったか!?」

 さきほど翔伍とイチャイチャしていた男子がやってきた。私はあまり興味が無いからしらなかったけれど、この人はどうやら学校で二番目なんて噂されているイケメンさんらしい。坂本というらしい。

「俺ならここに居るぞ」

 その坂本某の後ろから翔伍がひょっこりと顔を出した。

「あっ! 翔伍! 会いたかったぞ!!」

「俺はそんなに会いたくなかったな。とりあえずこれだけ渡させてくれ」

 翔伍は私に今日はペットボトルのカルピスの入ったビニール袋を押し付けてきた。とりあえず一本を自分で確保、一本浅黄さんに手渡して、先輩も一瞬見たが首を横に振っていたので残った一本は冷蔵庫へ。

「翔伍ォ!」

 尚も文芸部室入り口付近で繰り広げられる男子二人の戯れを尻目に私はカルピスを口に含んだ。程よく冷えていておいしい。

 そういえば、とあるライトノベルでカルピスは青春の味が云々というのを読んだ気がする。そのライトノベルのヒロインも青春の味は全然わからんと言っていたが、私には尚のことわからん。もっと分かり易い味をしてくれればいいのにな、とは少し思う。

「あーっちょっお前まてお前おいおい助けて菫ェ!」

 とうとう悲鳴をあげはじめた翔伍、なんとも情けない限りだが、あれだ、坂本とかいうひと、あれだ、これは、ホモっぽい。ホモがどうこうといった偏見は大嫌いだからそれについてはどうも思わないけれど、

「あの、それ、セクハラだと思います……」

「え、宮華さんの声もしかして私始めて聞いたんじゃね?」

後ろで浅黄さんが何か言っているが、そんなことはどうでもいいと思う。

「あ? 男同士で身体触って何がいけねぇんだよ」

「だ、男女じゃなくって、その、人の身体をそうやって触るのが……セクハラだって……」

 明らかに機嫌が悪くなっていく坂本とかいう奴。あ、そういえばそろそろ生理の時期だなぁなんてなんの脈絡もなく思ったけれど、だからどうした、毎月そうじゃん。

「喧嘩売ってるのか?」

 坂本とかいう奴はなんだか知らないけれど唐突にこぶしを振り上げた。ああ、なんか殴られそう。先輩が立ち上がるのがちらっと見えた。

 なんとなく怖かったので顔の前で腕をクロスして防御体勢を作ってみたけれど、私の身体に何かが当たることはなかった。翔伍の手が、坂本とかいう奴の左腕をがっしりと掴んでいた。

「おい、止めるなよ、翔伍。俺はコイツを一発ぶん殴るんだ」

 たぶん、この坂本とかいう人はろくな人生を送ってこなかったんだと思う。

 中学では、いじめる側の人間、そして自分にたてつく人間は居ない。さらに言うなら、きっと自分がクラスの支配者として君臨していた気で居たのだろう。最初から私の妄想だからこの際だ、もっと先まで妄想してやろうと思う。

 高校に入って初めてできた友人が翔伍、自分のように圧力ではなくその人柄で中心に位置する翔伍に少しずつ嫉妬し始めた。そして翔伍を蹴落とそうと近づいていろいろと探っているうちに翔伍に恋をしてしまった、的なことだろう。あくまでこれは私の妄想だ。

 ふと現実に戻ってきて前を見ると、先輩と翔伍、二人がかりで坂本とかいう奴を止めていた。かなり暴れているようである。そういえば、いつの間にか浅黄さんは居なくなっていた。

 少ししてから浅黄さんは先生を引き連れて戻ってきた。坂本とかいう奴は、先生にどこかに連行されていった。


 その日は翔伍と浅黄さんと先輩の三人が家まで送ってくれた。家までには歩道が無いけれど地味に広い道をあるかねばならず、道を行く車に乗る人の顔はかなり機嫌が悪そうだったが。

 ぼーっとお風呂に入って、小説を書いて、寝て、起きて、ご飯食べてたら腹が痛くなって、人に殴られそうになってもどうやら普通に日常は進んでいくらしい。

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