第15場 僕の袂を夜露に濡らし
香ばしい香りが漂ってくる。
コーヒーが落ちていく音を聞きながら、トレントは後ろを盗み見た。
アスカが机の前で足を抱えている。
そうしてぼんやりと水盤の向こうから聞こえて来る声を聞いていた。
『この刀ってえのは……ああなるほど、ここかぁ』
『私はこっちの方当たってみるから——』
モニカとセドの声だ。
二人は属性源泉の現れた場所を調べている。
今の所、当たった六箇所中、二つが行術痕跡、二つが領域源泉。
属性源泉とは、特に属性力の高い場所のことを言う。
様々なタイプ、原因があるが、例えば前者の『行術痕跡』は属性術を使うなどして要素の操作をした場合。そして後者『領域源泉』は領域にとって重要な物、場所——記憶に強く印象付けられたモノ。
その実況中継が水盤から流れている。
数分前のことだ。
突然、アスカは一人で基地に戻ってきた。
それからというもの、あのように机の前で微動だにしない。
(なーんか、あったんだな? )
コトン、とアスカの目の前に白いマグカップを置く。
「セドが何人かの夢売りと会ったらしいよ」
トレントが声をかけると、アスカが顔を上げた。
「はあ……」
アスカがコーヒーに目を落とす。
勧めると、おとなしくカップを手に取る。
湯気の向こうでアスカは黙したままだ。
トレントは肩をすくめた。
アスカは何も言わない。しかし必要な報告をしない、なんてことはない。
その点、トレントは彼女を信頼している。
あまりつついてもしょうがない。
「二人の報告は見た? 」
トレントはあえて何も触れなかった。
「……見ていないです」
アスカが自分の水盤を開く。
「アスカが報せてくれた属性源泉だけどね。夢売りが何人か抑えてたみたい」
「やはり居ましたか」
「うん。これだけ広い影灼領域も珍しいからねぇ」
一般人はフラウトが全員保護した。
一方で夢売りや観劇者——一般人でない者たちについては警告だけに留めている。
その代わりにフラウトは彼らについて責任は負わない。
互いの暗黙の了解だ。
「でも、俺たちが手こずってるのを見て、退散した人も多いらしいけどね」
影灼領域はいくらでもある。危険な場からは早く逃げるに限るのだ。
「記憶主が泊まっていた宿はどうでしたか」
「宿の解析も上がってるよ」
トレントはアスカの手元を覗き込んだ。
彼女の水盤を横から操作して解析表を示す。
「結局、室内には入れなかったみたい。物理的な干渉も試みたけど無理」
物理的な干渉。
つまりは扉をぶっ壊すってことだ。
セドは様々な方法を試みたそうだが、あえなく諦めていた。
「ということは、我々が宿の部屋に入ることを、領域が——記憶主が拒んでいるのですね」
アスカが手早くセドの報告書を読んでいく。
「そういうことだね。そこに何かがあるんだろう。記憶主にとって、他人には見られたくないものが」
扉が開かない。
ということは、記憶主が『自分以外には開かない』と強く念じていたのだ。
——少なくとも、ここには何かがある。
「アスカ。ちょっと見て」
トレントは机の水盤に視線を注いだ。
水盤の銀の水面がうねり、文字が刻まれていく。
セドの字だ。
「これは? 」
「アスカの見つけてくれた領域源泉の発生物を当たってもらってたんだ。ここのは刀だって話」
領域源泉、その属性力の発生源は様々だ。
場所の時もあれば、物である時もある。
「他の領域源泉は何でしたか」
「雑貨屋のタペストリーと、二番地の家の花瓶だね」
なんとも共通点に欠ける。
『へえ、昨日仕入れたモンなのか』
水面の向こうでセドの陽気な声が聞こえる。
セドが向かっているのは骨董屋。
『ナイフ、短、片刃、直刀、柄 : 象牙。刀: 彫りもの/ 炎/ 多肢/ 象。紫の紐、花の文様、赤で丸』
どうやら見ないで書いているらしく、ところどころ解読が必要なほどに下手な字だ。
机の下にでも水盤を隠しているのか。
「うーん、とりあえず発生源って事は確かなんだろうけど」
トレントが呟いた時。
隣でアスカが息を飲んだ。
「……まさか」
アスカが水盤の音声伝達機能を起動させる。
「——セド、特定いたしました」
ピタリと文字が止まる。
『親父、触ってもいいか? ありがとよ。この彫りすげぇなー』
水盤の地図に駒が出現する。
雑貨屋のタペストリー。
二番地の家の花瓶。
三つ目の駒は宿屋の近くの骨董屋。
発生源の目印だ。
これで発生源が追跡、回収しやすくなる。
「それで」
トレントはアスカを振り向いた。
「アスカはあの刀を知ってるの? 」
「梅ヶ丘の寺で紛失された刀の一振りと特徴が似ています。もし同じものであれば、この刀は梅ヶ丘の
「え、ちょ……宝物? 」
属性術師団体にとっての宝物といえば。
「それってまさか、『奥義』に関係する代物じゃあ」
「その通りです」
アスカはこともなく頷いた。
属性術師にとって、また組織される術師団体にとって最も大事な物。
組織の心臓。
術師の誇り。
団体に伝わる属性術の最高峰。
秘匿された神秘の象徴。
それが『奥義』。
「彫りものは象に乗っり、炎を纏った多肢の男。紫の紐に花の文様は——」
「東部地方で、フラウト傘下の属性術団体が使う識別ラベルか」
「そうです。赤で丸、ってことは、丸みのある花弁の赤い花。その文様は明らかに梅のものです。識別ラベルに梅を刻めるのは、梅ヶ丘だけです」
梅ヶ丘の宝物に間違いはないようだ。
トレントは眉を寄せた。
「なんでそんなものが、中央部の骨董屋に……」
そこでハッとした。
「梅ヶ丘で火災が起きた時、宝物も消えたって言ってたよね」
「はい。焼失したのだと——思っていましたがね」
違ったのだ。
誰かが盗んで、中央部で売り払った。
そうと考えるのが妥当だろう。
「でも待って」
トレントは額を抑えた。
それでも矛盾が生じる。
「火事があったのって十二月の三日って言わなかった? 」
トレントは新聞を手に取った。
「この新聞があってるなら、『今日』は十二月の五日だ」
新聞の上欄にはっきりと印字されている。
つまり、梅ヶ丘の火災から二日しか立っていない。
「三年前の話でしょ。今と交通事情が全然違う。海上特急を駆使したって無理だ」
「無理です。でも」
アスカは言った。
「かつての私と同業の者が動いたとするなら——」
トレントは黙した。
無理ではない。
彼女らであるならば。
「ええと。てことは何。焼けたはずの梅ヶ丘の宝物は実はあって。しかも北八三区の骨董屋に流れてて。記憶主は刀のことを印象深いと——でもタペストリーや花瓶に何の関係が……? 」
トレントは紫色の髪の毛をかき混ぜた。
「記憶主は一体、何をしていたんだ」
記憶の内容が全く読めない。
こんなの、久々だ。
アスカが暫く逡巡したのち、水盤を取り出した。
「少し試してみます」
「試す? 」
「はい。カルさんから情報を引き出してみます」
どういうことだろう。
「私は元いた組織の連絡役でした。つまり東部地方の団体の人間は、私の顔を知っている可能性が高いのです」
「そうか、アスカのところは連絡役の顔が目印だったわけか」
アスカの元いた組織は、その身を隠していた。
彼らと連絡を取るには、アスカら連絡役につなぎをつけなくてはならない。
「その上、私の団体は梅ヶ丘の属性術師団体と交流がありました」
「梅ヶ丘の属性術師が、アスカの顔を知らないわけがない、か」
カルの『役』の記憶を呼び覚ます。
そうすれば、何かが出てくるかもしれない。
「それしか無いか。でもあまりやり過ぎないでね。カルくんは一般人なんだ」
と言えば、アスカが生返事をした。
「………あの」
一旦窓に手をかけておきながら、アスカが動きを止めた。
「どうしたの? 」
「…………」
縁に腰をかけて言い淀む。
「私は、私ですよね」
トレントはきょとんとワイン色の瞳を見開かせた。
私は、私。
それは——。
「アスカが役者になってるかもってこと? 共鳴指数でも調べてみる? 」
「なんでもないですすみませんでした」
早口にまくしたててアスカは時計塔の基地から飛び出した。
アスカの足が窓辺を蹴る。
軽やかに空を裂く。
開けた北八三区が眼前に広がる。
時計塔から落下する。
壁を蹴って屋根の上に着地する。
猫のように。
鳥のように。
蛇のように。
屋根と煙突と屋上と、木々の間をすり抜ける。
空は曇天で、雲は垂れ込めている。
頬を切るのは乾いた風。
なんだか耳の端が熱くて、瞼を下ろした。
——三年前、か。
アスカはひとりごちた。
……あまりに、似た符号だったのだ。
ゲネプロ中のカルと、アスカの故郷の景色が。
だから、カルの下から逃げ出した。
何をしでかすかわかったものじゃなかったから。
そよぐ雪風の中でアスカは自嘲した。
(カルさんに、謝らないといけませんね……)
火事。三年前。山が燃える。
そう。あの頃はよく燃えた。
あの日から。
アスカの瞼は赤い色をしている。
いつまでも夜の闇は赫く爛れて、見えない舌が肌をなめては芯を妬く。
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