第14場 炎の片鱗

「あ、おじさん! さっきはどうも」

 カルが元気に声をかける。

 最高取締役社長お猫様に仕えし八百屋のおじさんが、一瞬きょとんとした。

 怪訝な顔をした挙句。

 微妙な笑顔で「おう」と言ってきた。

 ……先ほどジャックとこの店に来てから、あまり時間は経っていないはずだが。

 顔を覚えられていなかったのだろうか。

 気まずい空気に手を右往左往させる。

 カルの右隣で、アスカが口を開いた。

「おじさん、パプリカ三つとじゃが芋を五つ」

「はいよ」

 救いの神。

 そう言わんばかりの八百屋の親父。

 カルは取り残された気持ちになった。


 アスカが腕の中の買い物袋に黙々と野菜を放り込んでくる。

「いやっ……あのね? 」

 ゴロゴロしたじゃが芋の重みを受け止める。

 カルは弁明した。

「さっきジャックさんとここの市場に来たからさ……」

「彼らは人間では無く人形です。小道具です。先ほどトレントが言っておりましたように」

「わ、わかったよ……」

 機械人形なのだから、人の顔など記憶しない。

 そう言いたいのだろう。


「あとは何買うの? えーと、肉屋とかかな? 」

「肉屋に用はありません」

「え、なんで?」

 気を使ったつもりが、アスカが半眼になった。

「これを食べるおつもりですか? 」

 腕の中の袋を示す。

「……違うの? 食べるために買ってるんじゃないの? 」

「召し上がりたいのでしたらどうぞ。ですが、影灼領域の中はすべて生成物で出来ているのですよ。食べても害はありませんが、害がないだけでロクなものではないので私は食べません」

「夕飯は……」

「フラウト本部より、水、食料その他諸々は持参しております」

 ならば何故に買った。

 言わずともカルの心のうちを察したのか、アスカはあっさりした答えを事務的に示した。

「属性傾向を採取するんです」

 それだけ言って、アスカはさっさと歩き出してしまった。

 ……属性傾向って何。

 質問する間もない。


 ピリピリと皮膚を刺すような彼女の雰囲気に、カルは後ろに居る少女を振り返って耳打ちした。

「えーと。想像するに、なんかの調査してるってことだよね。で、肉屋さんは調査対象じゃなかった、ってことであってる? アリス」

「そういうことだな! 」

 少女が元気に答えて胸を張る。

 彼女がアリス。

 先ほどまで居なかった、トレント班の最後の一人。

 茶色の髪がぴょこぴょこ揺れる彼女は——少女だった。

 それも、まだ幼い。

 最初は驚いたがもう慣れた。


「あとは余計な混乱を起こさないために一応、買い物の体裁を取ってるってことなのかな。——ねぇ、アリス」

 カルは前を歩くアリスを見ながら言った。

「なんだ? 」

「……いつもあんなんなの? 」

「あんなんとはなんだ! 」

 茶色い頭がカルの腰に届くか否か。

 それほどの幼い少女が弾けたように笑う。

 アリスが、歳に似つかわずどこか奥深い濃緑の瞳をカルに向けた。

「そんなことは無いぞ」

「じゃあ、俺のせい? 」

 俺が足手まといになって、イライラさせてるんだろうか。

 するとアリスーはうーんと難しい顔をした。

「お前のせいでは無いんだけど……お前の役のせいだなっ!」

 それは俺のせいでは無いのだろうか。

「まあなんだ、アスカの私情みたいなもんさ。つまり八つ当たりだ! 」

 大迷惑じゃないですか。

「と、アスカのびみょ〜な感情が言っている! ような気がしないでも無い! 」

 と、あてにならないようなあてになるような、とってもびみょ〜なことを言ってのけた。

 このアリスという少女は、アスカの『片割れようなもの』で、『精霊っぽいんだけど精霊っぽくないもの』だと紹介された。

 紹介したトレント曰く、「そういうもんと思っておいて」。

 気になりすぎて「そういうもん」などと流せないのだが、説明が全く無いので仕方がない。


 ——結局。

 情報収集に出て欲しい、と言われたカルは、再び市場を回っていた。

 ただし今回、隣にいるのはジャックではなくアスカである。

「って言っても、俺が情報なんて、ほんとにちゃんと集められるのかなぁ」

 今度は本屋だ。

 買い込んだ本をアスカから受け取りながら、荷物係のカルはぼやいた。

「大丈夫です。カルさんは役者なのですから、自ずと周りは『役者への』反応を示します」

 だからそこに居てくださればよいのです。

 とアスカが事務的に言った。

 この会話も何度目かわからない。

 そういう問題じゃないんだって、と心の中で独りごちた。

 かといって、なら何が問題かと聞かれても巧く答えられない。

 アスカのフォローが入る度に自信が無くなっている気がする。

 色んな不安が頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消え。

「うう……なんだかプレッシャーだ……」

 カルは買い物袋を抱えて路地裏にしゃがみこんだ。

 ジャガイモの土の匂いに鼻がムズムズする。

「カル、汝はなにゆえにジメジメしとるんだ! カビでも生えそうではないか! 」

 アリスがカルの周りを跳ねるようにうろちょろしている足音が聞こえる。

 絶対面白がっているな。

「だってそんな責任、果たせる自信無い……」

 はあ、と、短い嘆息がつかれて、アスカの声が降ってきた。

「共鳴指数が九十% を越える前に、私達が核を見つけます。何があっても私はあなたを守ります」

「はあ……」

 アスカの眉根が動いて、さっさと彼女は行ってしまった。

「やっぱり嫌われてない? 俺」

「そんなことはない」

 アリスが首を振る。

 そうかなあ。


 先ほどジャックと訪れた土産物屋の前を通りかかった。

(影灼領域の生成物だってことはわかるけど。それにしてもよく出来たお菓子だったなあ)

 店主が子供達の前で伸びるアイスを盛っている。

 キラキラと目を輝かせた子供達が手を伸ばすのをガラス扉越しに見ていた。

 土産物屋を通り過ぎる。

 アスカに続いて隣の雑貨屋に入って、何とはなしに物色する。

(あれ? )

 その時。

 チラ、と視界に、金魚の尾ひれのようなものが瞬いた。

 ちらりと光る、赤。

 柱時計のガラスに、ちらちらと鮮赤が映っているような。

(なんだろ? )

 カルはよくよく柱時計を見つめた。

 金魚のヒレのような、赤い、赤い——。

 ヒュ、と喉が鳴る。

 ——柱時計のガラスの中で山が燃えていた。


「ああああああああアリスアリスアリス」

「なんだ汝は一人だぞ! 」

「もっ、そっ、燃えっ、燃えて」

 そんなボケはいらない。

 山が燃えてる。

 頭には明確な言葉が明滅しているのに、口の筋肉がこわばって動かない。

「アスカー。カルが壊れたぞー」

 アリスの声はどこか遠い。

 カルは柱時計のガラスに見入っていた。

「火災、ですか? 」

「え、あ、うん」

 アスカの声が隣からする。

 しかし、カルの視線はガラスに映る火事に吸い込まれたまま。

 記憶の奥底からジャックの声が耳を打つ。


『領域のの予告編みたいなものさ』

『夢だけじゃないさ。あくまで影灼領域の構成要素が持つのは『何かを見せる』という指向性だ』

『見れるモノなら何でもいい。時には映写機、時には鏡、窓や水晶——』


「これが、再生の『予告編』……? 」

 背筋を冷気が駆け上がる。

 これが、この影灼領域の記憶の内容だというのなら。

「ア……アスカ、大変だ、山が燃えている」

「何が見えますか? 」

「だから、記憶の内容が見えるんだ。山が燃えてるんだ。大変だ、この街が火事に、」

「北八三区に山はありません」

 とん、とアスカの手のひらがカルの肩に置かれた。

 落ち着けと言っているように。

「あなたが視ているのは影灼領域の記憶ではないようです」

「じゃあ、これは」

「おそらく記憶主の過去でしょう」

「過去……」

「その柱時計に、かつて視た山火事の風景を重ねたのでしょう」

 どうして、柱時計と山火事が重なったんだろう。

 カルは自分の胸に手を当てた。

 自分の中にいる、記憶主。

 彼には柱時計を見て山火事を思い出す、そんな過去があるのか。

「記憶の内容の手がかりにはなりませんが、記憶主人物像への手がかりにはなります」

 アスカがちょっと口角をあげたのが系はでわかる。

「ね、わかりますでしょう。一般人の役者あなたはただ、居るだけでいいんです」

「……」

 そしてもう一度、その唇が問うた。

「何が見えますか? 」

 カルは時計に目をこらした。

 ごくり。

 喉がうねった。

「草が……燃えている」

 草が燃えている。木々が燃えている。

「木が燃えて……」

 真っ赤な灼熱が口を開ける。

 艶めく唇と濡れた舌で全てを啜り奪い合う。

「建物が燃えている」


 アスカはカルの横顔を覗き込んだ。

(役に入り込んでるわね)

 春の空のような青い目は、完全に遠眼鏡の視野に浸かり込んでいる。

 ——記憶への手がかりを取り出せるだけ取り出さなくては。

「そして……? 」

 アスカは先を促す。

 カルの口が戦慄いた。

 嗚呼、と。

 カルはため息のように声を漏らした。

 どこまでも悲痛な、引き裂けぬものを引き裂かれる音がする。

「柱が崩れるんだ。まるで砂糖菓子みたいに」

 カルの視点は燃えている現場か。

「熱い……」

「熱い? 」

 アスカは言葉を反復した。

 今までは景色の描写だった。

 けれど。

 ——熱い。

 それは、実体験の感覚だ。

(視点が変わった……?)


「地上にね、炎が広がるんじゃ無いんだよ。溶けかけの太陽が落ちるんだ」

 朗々と謳う。

 口調さえ変わってきた。

(相当、役と共鳴してるわね)

 カルは感触を口にしている。

 覗き見たものではなく。

 つまりこの山火事は、記憶主が過去に体験した出来事なのか。

(そしてこの領域の記憶に、密接に関わることだわ)

 やはり山火事がキーワードなのか。

「出る前に、持ち出さなきゃいけなかった」

 ふとカルが言った。

 ——持ち出す?

「代わりの依り代が無きゃ、しまえないから」

「代わりの……? 」

 依り代。

 しまえない。

 何のことだ。

「一体それは——……」

 アスカが聞き出そうとした、その時。

 カルが口を開いた。

「殺したから」

「え? 」

 アスカは顔をあげた。

 青い眼球がアスカを映している。

 その瞳の向こうに。

(——うそ)

 アスカは、記憶主のを見た。

は、まさか)


 目を見開かせたアスカがこちらを見つめてくる。

 どうしたのアスカ——と喉元まで出かかった、途端。

「! 」

 せり上がる記憶の濁流に口を押さえた。

「カル! 」

 駆け寄ってきたアリスの顔の輪郭が乱暴に滲む。

 視界を五色の原色が殴りつける。

 触覚と嗅覚と聴覚と。

 耳と口と、辺り全てが奔流する。

 耐えきれずに床に崩れた。

「カルさん! 」

 アスカの声に次いで、ピリ、と腕に刺すような痛みが走った。

 涼しい一陣の風が、体内を駆け抜る。

 すう、と。

 体の熱が引いていく。

「あ、は、っは」

 横になって、痛む肺を押さえつけて、ようやく落ち着いたのはしばらくしてからだった。

「は……アリス……」

「落ち着いたか! 」

 バンバンと小さな手で肩を叩かれる。微妙に痛い。

 正常に動いた脳がことを理解する。

 途端、全身がぶるりと震えた。

 今、自分は。

 ——


 腕を見ると、アスカの掌が手首を覆っていた。

「カルさん」

 俯いたアスカの表情は推し量れない。

「カルさんはカルさんです」

 そうだ。

 俺は今。

 カルじゃなかった。

 宿屋の屋上から飛び降りた時と一緒。

 俺は今。

 違う誰かだったのだ。


「……応急処置をしました。安静に……なさってください……」

 それだけ言って、アスカは踵を返す。

 からん、と扉のベルが鳴る。

 雪の匂いと冷たい風が石床に一筋、入り込んだ。

 それきりアスカは戻ってこなかった。

 アリスとカルを置いて。

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