第13場 「三年前」

「どう思う? 」

 トレントの声にモニカは顔をあげた。

 結露に濡れた窓越しの街を眺めながら、トレントは時計塔下の市場に視線を落としている。

 数十分前に出て行ったアスカとカルは、市場に広がる数多の点のうちのどれか。

「それは何について? カル君のこと? それとも——」

 モニカは言った。

「『三年前』の東部の事件にアスカを関わらせたことかしら」

「……」

 問うたのではない。あてつけているのだ。

 その証拠に、モニカはその言葉の先を断った。


 窓辺から踵を返し机に戻れば、モニカの前にはビーカーと試験官が並んでいる。

「カルくんの共鳴指数は六十% ——もう役の剥離はできないわ。彼を役から下ろすとしたら影灼領域が黙ってないもの」

 ただのガラス製の器ではない。

 光のあたり加減でうっすらと魔法陣が浮かび上がる。

 通常、領域内で一般人が役者となった場合、フラウトは役者の体に様々な装置や術をかける。

 それらを全て、トレントはカルに施さなかった。

 ——手遅れなのだ。


「ねえ、モニカさ」

 トレントは淡々と水質作業を行うモニカの白い指先を視野の隅に認めながらつぶやいた。

「役者とか記憶の再生について——あそこまで説明しときながら、隠してるよね」

 一寸、モニカの荒れた指先が止まった。

「記憶の再生の仕方と、その時、役者がどうなるか——」

 トレントはモニカの顔を覗き込んだ。

「どうして? 」

 試験官を手に取り、ビーカー内の液体との反応を見、繋がれた様々な器具に表示された数値を書きあらわす。

 水属性術の後処理に割れた地表のような指と爪の筋が、殊更に目に白い。

「そもそも一般人には伏せるところでしょ」

「そうだけど……」

 全ての試験官を調べ終える。

 モニカは数値の表を製作し始めた。

 迷いなく定規を引くペン先は手慣れて、紙の上をするすると滑る。

「カルくんのメンタルを考えてのこと? 」

「それもあるわね」

「じゃあ、カルくんを信用してないってこと? 」

「そっちの方が近いわね」

 モニカは言った。

 その疑念はカル自身についてではない。

「ジャックか」

 トレントの言葉にモニカが頷く。

 カルのあずかり知らぬところで、彼がジャックに利用されている事を考慮しての措置。


「でも、それだけじゃないのよ」

 モニカが眉を寄せた。

「役者になるって説明をした時、彼、全然動じなかったじゃない」

 確かに驚きはした。

 けれど真っ先にカルの顔に浮かんだのは。

 落胆と、諦め。

 モニカの言わんとするところにトレントは目を細めた。

「カルくんは役者とはどういうものか、俺たちが説明する前に知っていた——? 」

 わからないけどね、とモニカは言った。

 表の書かれた紙を水盤に浸す。

 天水盤で繋がれた班員のもとにモニカのまとめた情報が渡るのだ。

「なんにせよ、カルくんが私たちに何か隠し事をしているのは確かだと思うわ」

「そんなもんかなあ」

 トレントは唸りながらまとめた髪の中に乱暴に指を突っ込んだ。

 紫色の長髪が髪留めから外れて、純白の制服の肩に落ちる。


「さてと。水質検査の結果よ」

 トレントの居る机の前に先ほどの紙が置かれる。

 計十箇所の検査結果だ。

 今までトレントと話しながらモニカが調べていたもの。

 アスカが調べてきた領域源泉の解析だ。

「軒並み属性量は高いけど、属性はバラバラか」

 属性力が沸く場所領域源泉は記憶の鍵になる場所が多い。

「でも解析値を見るに、ここと——こことか。何かがあることは確かのようね」

 モニカが幾つかの領域源泉を指差す。

「実際に行ってみるわ」

「セドを拾って行ってね」

「当たり前。私じゃうまく立ち回れないもの」

 モニカは口端を釣り上げた。


 出かけの準備をするモニカをトレントはぼんやりと見ていた。

「アスカはさ」

 ぽつり、と言った。

「アスカはさ、強いよ」

「ええ」

 トレントの手元には、カルの調書がある。

 班員だけがこの調書を知っている。

 カルには見せていない。

 彼に割り当てられた『役』は、この記憶の主人公。

 この影灼領域の、記憶の主。

 それが班の判断だ。

 そして。

「——カルくんはもともと東部地方の文字が読めるって言ってたし。アスカだってになってる時に、東部地方の他人のことなんて知ってるはずないし、それに」

「トレント」

 モニカが遮った。

「カルくんの役が『三年前の東部地方の火事』に関わりがある人間かもしれない、ってだけよ。そして——アスカの昔の同業者ではないかという疑いがあるだけ」

 キィと扉の蝶番が啼く。

に、直接関わりがあるって断定されたわけじゃないんだから……」

 パタンと扉が閉じた。

 基地の入り口に錠の降りた音がした。


***


 業務連絡。

 そう言ってアスカを追いかけたトレントは、カルとモニカの声を扉で塞いだ。

「アスカ、三年前の東部地方に、心当たりはない? 」

 言った瞬間、トレントを目眩が襲った。

 手袋の下は汗の海だ。

「それは……」

 それだけ緊張して口にしたにもかかわらず、目の前の少女は常のまま。

「三年前の東部地方のに関心があって、かつ今回の領域のように記憶をデータとして脳内に蓄積できるの能力と、次いでカンパネラ駅へに来る可能性のある人物について、ということですか」

 声には微かな震えさえない。

 トレントの体から力が抜けた。

「あ、うん。そういうこと」

 そうだ、この少女はこういう人間なのだった。

 ——たとえ三年前、東部地方の山火事で全てを失った過去があったとしても。

 さらりと流してしまう鉄面皮。

 彼女の故郷が燃えたのは三年前の夏だったか、春だったか。

「……アスカも忙しかっただろうから、他の属性術団体のことなんて覚えてないかもしれないけど」

「申し訳ありませんが、その通りです。三年前の冬となればフラウトに来て半年といったところでしょうか。東部地方のことは記録に目を通した程度で」

「もうその頃はトレント班うちにいたもんね」

 こくりとアスカが頷く。


「ですが……山火事が鍵だとするなら、もしかすると新聞にあった山火事は、十二月三日の梅ヶ丘、西第三地区のものではないでしょうか」

「梅ヶ丘? 」

「あそこは霊場なのです。寺が一つあって、一帯の属性術師を束ねていました。属性術師たちがそこかしこに基地や工房アトリエを構えておりました」

「驚いたな。そんな場所がよく燃えたね」

 属性力の流れの豊かな場所、霊場。

 術師たちが集まるのも納得だ。

 しかし、それだけ術師が集まっていながら何故、霊場という大切な場所が燃え尽きてしまうような大火事をどうにも出来なかったのだろうか。

 アスカはトレントの言いたいことを察したのか。

 ちょっと、口角を上げた。

「ええ……あの頃はから」

 トレントは思わず、息を呑んだ。

 そうだ。

 あの頃は。

 ——


「あそこの寺は表向きにも、地元にとっては中心とも言える大きな寺だったんです」

 当の少女は何食わぬ顔で続ける。

「文化財もありましたし。けれどその火災で全て燃えました。梅ヶ丘の寺にも属性術師団体がありましたが、そこの宝も全て燃えました」

 ですから、東部地方を縄張りにする属性術師にとって、梅ヶ丘の火事はよく記憶に刻まれた事件でしょう。

 とアスカは言った。

 無論、怨念によって。

 山一帯に有象無象の属性術師が居たのだ。

 一番力のある寺の属性術師団体でも宝を失うほどの有様なのだから、いわんや個の工房の末路など——考えるまでもない。


「ですが……三年前より東部地方の情報を知ることはなくなったとはいえ、カンパネラ駅で身内が何か起こせばおのずと知ることにはなります」

「身内——」

 トレントの声に、何かを察したのだろう。

 勘違いしないでください、とアスカが補足する。

「私は組織間の繋ぎ役だったから、今フラウトに居るんですよ。もし記憶主が東部地方の——しかも梅ヶ丘なんて、私のいた所と近しい団体の者であれば、おそらくすぐに勘付きます」

 身内ってのはそういう意味ですよ、とアスカは言った。

 おそらくアスカは、トレントに「私に妙な気をつかうな」とでも言いたかったのだ。

 そう、なのだろう。でも。

 トレントは唇を噛んだ。

 本来、彼女はフラウトに居るはずがない人間なのだ。

 故郷の属性術団体で家族とともに生活しているはずなのだ。

 彼女は望んでフラウトに来たわけではない。

 

 トレントは少し逡巡して、口を開いた。

「今回の役者の観察を君に任せたい」

「いつもはセドの役割ですが、私でよろしいのですか」

「うん。セドにはセドで、夢売り周りで動いて貰いたくて」

 心得ました、とアスカが頷いた。


***


 誰もいない時計塔の一室。

 トレント班の基地の中で、トレントはうなだれたまま微動だにしない。

「三年前の東部の火災、か」

 それぞれ別の事件であるはずだけれど。

 自分たちには、あまりにも因縁がありすぎる。

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